第三百二十八話 美しきわが妻
「う……ん」
気がつくと朝を迎えていた。よく寝た。こんなに寝たのはいつぶりだろうか。ゆっくりと体を起こす。そのときふと、着ている服が昨日のままだということに気がつく。
「あちゃー」
きっとヴァッシュは怒っているに違いない。恐る恐る隣を見てみると、すでに彼女の姿はなかった。手洗いだろうか。もしかしたら、俺と一緒に寝るのがイヤで、別の部屋で寝ているのだろうか。
そんなことを考えながら部屋を出て、ダイニングに向かう。ヴァッシュの姿はここにもなかった。もしかしたら、クレイリーファラーズのようにハンモックを吊って寝ているのではと思ったが、どうやら違うようだ。
ふと、昨日は風呂にも入らずにいたことを思い出す。さすがにそれはマズイと思い、慌てて着替えをもってバスルームに向かう。
扉を開けると、そこには一糸まとわぬ裸のヴァッシュがいた。
大きな盥の中、片膝を立てながら彼女は座っていた。つい今しがた、髪を洗ったのだろう。髪が濡れている。俺が入ってきたことに気づいた彼女は一瞬、ギョッとした表情を浮かべたが、やがて、いつもの表情に戻り、じっと俺を眺めた。
「そこ……閉めてよ」
「あ、ああ……」
俺はバスルームに入ると、そのまま扉を閉めた。ヴァッシュはまた、驚いた表情を浮かべた。確かに、俺が入って来るのはおかしい。普通ならば、ゴメンナサイの一言でも言いながらバスルームを出て、扉を閉めるものだろう。
ヴァッシュは仕方がないという表情を浮かべると、髪の毛をまとめ、ギュッギュッと両手で絞り始めた。大きくはないが、形の良い乳房が見える。なにより、朝日に照らされた彼女の白い肌が、まるで輝くように美しかった。女神とはかくのごとき女性を言うのか……。俺はその美しさに呆然となりながら、彼女の一挙手一投足に注目した。
エロい感情は微塵もなかった。ただ、その美しさに見惚れていた。ヴァッシュはそんな俺の視線を無視するかのように、淡々としていた。ややあって彼女は、近くに置いているタオルを手に取ると、俺に背を向けた状態で立ち上がり、それを頭からかぶった。
形のよい尻が揺れている。彼女はテキパキと頭を拭くと、スッとタオルを自分の体に巻き付けた。俺は思わずあっと声を上げる。
「どうしたのよ」
「いや……その……きれいだなと思って……」
「……バカ、何を言っているのよ」
「いや、本当にきれいだ。本当に、本当にきれいだ。絵にして残しておきたいくらいだ」
「恥ずかしいわ。やめてよ」
そんなことを言いながら彼女は風呂桶から出た。そして再び俺にじっと視線を向けた。
「……まだいるの?」
「え?」
「着替えるんだけれど」
「ああ、ごめん。それにしても珍しいな、ヴァッシュが朝に風呂に入るなんて」
「昨日あなた、そのまま寝ちゃったでしょ? それを見ていたら私も眠くなっちゃって……。それで……」
「ああなんだ、ヴァッシュもそのまま寝たのか」
「ええ。よく寝ていたわね。この様子じゃしばらくは起きないと思って先にお風呂に入ったんだけれど、まさかあなたが入って来るとは思いもよらなかったわ」
「まさかここにいるとは思わなかったんだよ。それに……ヴァッシュの体があまりにも美しかったので、動くことができなかったんだ」
「……バカ」
彼女は顔を赤らめながら下着を手に取り、再び俺に視線を向けた。彼女の眼は、今から着替えるから外に出ていると言っていた。俺は頷くと、後ろ髪を引かれる思いでその場を後にした。
ヴァッシュはすぐに風呂から上がってきた。タオルで髪の毛を拭きながら歩いてくる姿は実に色気があって、かわいらしかった。彼女は俺に風呂に入るように勧めてきたので、遠慮なく俺も風呂に入ることにする。
さっきまでヴァッシュが入っていたので、風呂桶の中がまだ温かい。そこに魔法で湯を出して張り、体を洗う。
……何だか、湯船に浸かりたかった。首まで湯に浸かって、両手両足を伸ばしたかった。そうだ、このバスルームをリフォームしよう。前々から考えていた、ここに浴槽を作ろう。きっと、ヴァッシュも喜んでくれるはずだ。
そんなことを考えていると、クレイリーファラーズのことを思い出した。あの天巫女はエアリアに温泉があるという。泥温泉と言っていたが、普通の温泉はないものだろうか。もし、温泉が出るのであれば、ヴァッシュを連れてゆっくり英気を養いに行くのも悪くはないな……。
「朝食を用意したわよ」
風呂から上がってくると、ヴァッシュが朝食を用意してくれていた。パン、卵焼き、肉を焼いたもの、野菜サラダといったメニューだ。以前より料理が上手くなった気がする。そんなことを伝えてみたが、彼女は気のせいよ、とにべもなかった。
「美味しかったよ、ご馳走様」
俺の言葉に、ヴァッシュはゆっくりと頭を下げる。同じように朝食を摂っていたワオンも、きゅーと鳴き声を上げて、ヴァッシュにお礼を言っている。
「ヴィヴィトさんたちが来たら、街に出てみようか」
「そうね」
ヴァッシュは笑顔で頷いた。今日はいつになく、穏やかな朝だった。
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