第三百十五話 間話 名前替え
「う~ん」
眼を閉じながら天を仰いでいるのは、クレイリーファラーズだ。彼女は椅子に腰かけ、足を組んだ姿勢のまま、先ほどから何やらずっと呻き続けている。
彼女が懸念しているのは、最近足を組むのがしんどくなってきた……というわけではない。太った、と言われることもあるが、それは気のせいであり、ノスヤの悪意に満ちた考えによるもので、決して腹が出てきているためではない。それを証拠に、腹に力を入れさえすれば、問題なく足が組め……。少し足を下ろして、腕組みをしてみることにする。
いや、今まで考えていたのは、足が太くなったことでも、腹回りに肉がついてきたということでもない。この「天巫女」という性質そのものについてのことだ。
先日、神――ジジイに天巫女の能力を大幅に削られてしまったが、まだ彼女には天巫女の能力が残っていた。それは、「無印象」というスキルだ。
天巫女が下界に降りて、人族たちの前に姿を現すことは、昔からままあった。だが、本来の天巫女は神の使いであり、人族を遥かに凌駕する能力を備えている者たちなのだ。そのため神は、天巫女と人族が徒に関係を深めないように、天巫女たちに「無印象」というスキルを与えた。それは言ってみれば、人族たちの記憶に残りにくいスキルであった。
クレイリーファラーズは悩んでいた。いつまで経っても人々は名前を憶えてくれない。皆、家庭教師だの、姉ちゃんだの、気安い言葉を使う。ヴァシュロンに至っては、ねえ、とか、ちょっと、とか、その程度の呼び方しかしないし、ヘタをするとガン無視を決め込むことすらあるのだ。そして、しばらく会わないと、自分の存在を忘れるものさえ現れるのだ。
……何とかして、人々の記憶に残る天巫女となりたい。
とはいえ、「私、天巫女なの、テヘヘ」と可愛くカミングアウトすれば、また、あの神――ジジイがノコノコとこの世界に降りてくるだろう。それは面倒くさいことだ。溢れ出る気品と美貌で勝負したいところだが、残念ながら、今はそのときではない。
「そうだ! これよこれ!」
突然彼女に閃くものがあった。名前だ。名前をインパクトのあるものに変えればいいのだ。
大体、クレイリーファラーズという名前がややこしすぎるのだ。センスも何もあったものではない。誰がそんな名前を覚えるだろうか。もっと覚えやすい、一度聴いたら忘れられない名前を付ければいいのだ。とはいっても、いわゆるキラキラネームを付ける気は毛頭ない。もっと可愛くて、オシャレで、ちょっと癒しのある名前はないだろうか。
彼女は思考をフル回転させる。眼を閉じた状態で半笑いの表情を浮かべているので、非常に不気味ではあるが、今の彼女には関係ないことだ。
「うん、これがいいわ。今度から、これでいきましょう」
クレイリーファラーズは、満足げな表情を浮かべながら立ち上がった。
◆ ◆ ◆
「名前を変える?」
クレイリーファラーズは早速、ノスヤの許に向かった。話を聞いた彼は、さも面倒臭そうな表情を浮かべたが、クレイリーファラーズには関係のないことだった。
「ええ。大体、クレイリーファラーズなんて名前は、覚えにくいにも程があります」
「そうかな? インパクトのある名前だから、一瞬で覚えたけれど」
「あなたは特殊です。天巫女の能力に対して耐性がありますから。でも、他の人は、なかなか私の名前は覚えられないものです。実際、あのくたばりぞこないのスケベ魔導士や、梅干しババアなんかは、姉ちゃんだの、あの、だの、まともに私のことを、クレイリーファラーズ様と呼んだことがないじゃないですか」
「ハウオウル先生とパルテックさんに謝れ。なにげに自分のことを様づけでブッこんできているのに腹が立つな」
「ですから名前を変えるのです。今度から私のことをメイ、と呼んでください」
「メイ? なんでそんな権利関係のややこしい名前にするんだ?」
「……一体何のことでしょう? とにかく私のことは今後、メイちゃんと呼んでください。かわいいでしょ? それに覚えやすいですし」
「ふぅ~ん。わかりました。今度からそうしますよ」
「……いやに今回は物分かりがいいですね。まあ、いいです、よろしくお願いします」
「メイッ! 何をしているんだ! メッ! じっとしていろ、めっ! めっ! 道に落ちている者を拾って食べるんじゃない! めっ! っていう使い方をすればいいんですね。いい感じだ」
「……言葉を詰めるのを止めてもらっていいですか? ちゃんとメイちゃん、と呼んでください」
「呼んでいるじゃないか。メイッ! ちゃん、としろ……ってね」
ノスヤは笑みを浮かべると椅子から立ち上がって、クレイリーファラーズにクルリと背中を向けた。
「じゃあ今からあなたはメイちゃんね。ヴァッシュに言っておくよ」
「ちょ~っと待ったぁ!」
「なんだよ」
「今のはなしで」
「何だって?」
「ノーカンで」
「別にいいじゃん、それで」
「……」
クレイリーファラーズはツンとした表情を浮かべながらノスヤの部屋を出た。それを見たノスヤは、クレイリーファラーズの顔が最近、丸くなってきたことに気づくのだった……。
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