第三百十四話 さらば、キーングスイン
それから三日後、俺はキーングスインから出発することにした。もう、俺が何かをすることはないと判断したためだ。
これからこの地は、大規模な穀倉地帯に生まれ変わるために努力をしていかねばならない。それは、シーアに任せておけば十分だと考えたからだ。確かに、洪水が起こらない保証はない。だが、何となくだが、もうこの土地はそうした天災に左右されることはないだろうと考えたのだ。
ヴァッシュやハウオウルらには、近々出発しようかと話し合っていたのだが、シーアに出発を告げたのは昨日のことだった。それを聞いた彼は、目を丸くして驚いていたが、やがて、統監としての仕事もあるだろうと言って、静かに俺の手を握った。
またニタクが変なちょっかいをかけてくる懸念があるが、それはシーズに任せることにした。俺は彼に手紙を書き、シーアの置かれている状況と、この土地を少しだけ改良したことを手短に書き、今後はニタクに干渉しないよう取り計らって欲しいと書き添えた。彼のことだ、これだけで十分に俺の言いたいことは伝わるだろう。きっと、色々と意地悪なことをして、ニタクが身動きできないようにすることだろう。
出発前の食事は、とても豪華なものが出た。豪華と言っても、肉が出たのだが、何の肉だかはわからなかった。脂身が少なかったが、とても柔らかく、ハウオウルなどは大喜びで食べていた。ヴァッシュも満足そうだったし、クレイリーファラーズに至っては、お代わりを取っていたくらいだった。
同時に、魚料理も出されていたが、これも十分に美味かった。肉と魚が両方出すと、どうしても肉の味が勝ってしまうと考えがちだが、出された魚は、肉の味に劣らない味わいだった。おそらく川魚だろうが、どんな魚だったのだろうか。詳しく聞くのを忘れてしまった。
その日は酒も飲んだために、夜はいつも以上にぐっすりと眠ることができた。朝、起きたときにヴァッシュにお酒臭かったと言われてしまって、大いに反省したのだが。
荷物はあらかじめまとめられており、俺はただ、服をあらためるだけでよかった。ヴァッシュのパッキングの腕は見事なもので、こんなカバンにこれほどの者が入るのかと思う程に上手に収納する。おそらく空間把握能力が優れているのだろう。
部屋を出て、シーアに挨拶をする。彼はうっすらと目に涙をためていた。
「本当に、何とお礼を言っていいのかわからない。十分なお礼もできていないまま見送るのは、本当に心苦しいのだけれど……」
「いいえ。この土地はこれからです。一年後、この土地がどんな変化を遂げているのか……見に来たいと思います。お礼は、そのときに十分にしてもらいますから」
俺はそう言いながら笑みを浮かべる。シーアは大きく頷いた。
「そうですね。来年の収穫のときに、この土地が生まれ変わっている姿を必ず見せたいと思います。そのときに、お礼をしたいと思います。美味しいものを、たくさん召し上がっていただきます」
「そうしましょう。二人で、美味しいお酒を飲みましょう」
俺たちは固く手を握り合った。
見送られて屋敷を出ると、そこには黒山の人だかりがあった。一体何事かと思ったが、人々は俺たちの姿を見ると、大きな歓声を上げた。
皆、俺たちに礼を言っている。ありがとう、本当にありがとうと言う声と共に、期せずして群衆から拍手が起こる。
予想外の出来事に、しばし呆然としてしまう。そのとき、俺の腕をヴァッシュがツンツンとつつく。ちゃんと手を挙げて応えるようにと言っているようだ。俺が右手を挙げると、その歓声は何倍もの大きさに膨れ上がった。
こういう状況になれていないために、どうも居心地が悪い。俺はペコペコ頭を下げながら、足早に馬車に乗り込む。そのすぐ後に、ヴァッシュも乗り込んできた。
「いや、すごい歓声だね」
「それだけのことをあなたがしたのよ」
「そうかな」
「そうよ。もっとあなたは、自分のしたことを誇っていいと思うわ」
「う~ん」
そんなことを話しながら出発を待つが、なかなか馬車は出発しない。一体どうしたことかと思いながら窓の外を見てみると、クレイリーファラーズが右手を挙げて歓声にこたえ続けていた。それだけにとどまらず、彼女は群衆に向けて投げキッスまでしていた。俺は馭者にすぐに馬車を出すようにと言って、キーングスインから出発した。
後にキーングスインは土地の改良に成功し、この土地はリリレイス王国の中でも屈指の穀倉地帯として生まれ変わることになるのだった。それだけでなく、ノスヤが勧めたイモの栽培にも成功し、サツマイモをはじめ、ジャガイモなどが大量に収穫可能な土地となるのだった。
当主のシーアはこの恩を生涯にわたって忘れず、収穫された作物は、必ずノスヤの許に届けさせるのだった。
ちょうど一年後、再びこの地を訪れたノスヤが、大規模な穀倉地帯に生まれ変わっている姿を目撃して感動し、シーアと再び手を取り合って喜ぶのだが……。そんな未来が待ち受けていることは、今のノスヤも、兄のシーアも、想像すらしていなかった……。




