第三百三話 貴重品?
それからシーアは、一瞬でもニタクの誘い話に乗って俺を殺そうと考えたことを、深々と頭を下げて詫びた。俺はその必要はないと言いながら、彼の肩を抱いた。すぐその後に、シーアに仕えている男たちが入室してきて、外で話を聞いたこと、領主様を責めないで欲しいと言って、一緒に頭を下げた。
シーアはその家来たちに、まるで抱きかかえられるようにして退室していった。
「ほほう、今の世に珍しい名君かもしれぬな」
ハウオウルがにこやかな笑みを浮かべながら口を開く。パルテックもヴァッシュもその言葉に深く頷いている。確かに、シーアの兄は、家来たちから慕われているようだ。
「どうして、あのお方はニタク様のお話を受けようとなさるのかしら? 兄弟とはいえ、実の弟を殺せと言われたら、断るのが普通じゃないかしら?」
「ああ、その話だけれどヴァッシュ。シーア兄さんは、ニタクから少ないけれども援助を受けているみたいだし、借金もあるみたいなんだ。どうやらこのキーングスインという土地は、作物の収穫があまりよくないらしいんだ」
「そうなの……」
ヴァッシュは少し厳しい顔つきになり、腕組みをしながら天を仰いだ。
「お金に関してだけであれば、何とでもなるけれど、作物のこととなると……」
「そうだな。少し落ち着いたら、この土地を廻ってみようと思うんだ」
「そうね。何か発見できるかもしれないものね。私も行くわ。ハウオウル先生にも一緒に行っていただいたら?」
「おお、是非、儂もお供させてもらうぞい」
「ありがとうございます、先生」
「せっかくだから、皆で行きましょうか。パルテックは大丈夫?」
ヴァッシュの声に、パルテックはゆっくりと頭を下げる。クレイリーファラーズは、あらぬところに視線を向けていて、心ここにあらずの状態だ。
「ワオンは大丈夫?」
「ンきゅ」
ワオンが俺の腕の中で力強く頷く。彼女の振る舞いは周囲の空気を和らげてくれる。皆、笑顔になっている。いや、クレイリーファラーズだけが呆然としている。大丈夫か?
「あなたは、大丈夫?」
クレイリーファラーズの肩をポンと叩く。ハッとした表情を浮かべているのを見ると、俺たちの会話は耳に入っていないだろう。
「大丈夫です」
にもかかわらず、この返事だ。思わず苦笑いが漏れてしまう。彼女はキッと俺を睨んだ瞬間、声が頭の中に響き渡った。
『シーア君、いいじゃありませんか~。そそるわぁ~。逞しい美青年の逞しいイチモツで攻められて、未知の快感に打ち震える……最高じゃないですか。何とかならないかしら? 何とかなりませんかね?』
……俺はゆっくりと彼女から視線を外した。
しばらくすると、少し年長の女性が入室してきて、食事の準備ができたと言ってきた。ちょうど腹が減っていたところだったのだ。すぐに持って来てくれというと、女性は畏まりましたと言って、退室していった。その後すぐに若いメイドが食事を持って来てくれたが、ごくシンプルなメニューで、豪華さとは無縁のものだった。
「……頑張っている感が半端ないですね」
クレイリーファラーズが、誰に言うともなく呟く。心の声を口に出すんじゃないよ、全く……。
雰囲気を変えようと、メイドにシーアはどうしているのかと聞いてみる。女性は、少し困ったような表情を浮かべながら、今は政務を執っておいでになりますと言って、そそくさと俺たちの許を辞した。
……何とも言えない雰囲気になる。それを察したヴァッシュが、せっかくだから食べましょうと言ってくれ、俺たちは食事を摂ることにした。
メニューは、これでもかと言わんばかりに野菜が多かった。一見すると健康そうでよさそうだが、淡白な野菜ばかりだと、少し飽きてくる。せめて、スクランブルドエッグくらいあればよいのだが。
そのせいだろうか、クレイリーファラーズは早々にごちそうさまと言って、食事を終えてしまった。いつもはお代わりはあるのかと言い出すのだが、さすがに野菜ばかりだと、その旺盛な食欲も減退したらしい。
食後、皿を下げに来たメイドたちに再び話しかけてみる。とても新鮮な野菜で美味しかったと言うと、この日の野菜は、この屋敷で作っているもので、シーア自らが作ったものなのだと言う。俺もラッツ村で色々な作物を育てている。農業という点では、シーアとは話が合いそうだ。
メイドの女性は、シーアがどれだけ真面目て、優しい人物であるのかを語って聞かせてくれた。どうやら、あの風貌の通り、とてもやさしい、気遣いの人であるようだ。俺は、できたら、このキーングスインという土地をじっくり見てみたいと話すと、メイドはシーア様にお伝えいたしますと言って、退室していった。
「このキーングスインというところは、葉野菜がたくさん採れるのかしら?」
ヴァッシュが誰に言うともなく呟く。確かに、野菜ばかりのメニューだった。彼女がそう思うのも理解できる。
「まあ、山に囲まれた土地じゃからな。採れるのは野菜か川魚くらいのものじゃろう」
ハウオウルが説明してくれる。彼はため息をつくと、さらに言葉を続けた。
「ただ、この土地は作物を育てるのに向いておらん。おそらく、昼食に出された野菜は、この土地では大変な貴重品じゃろうな」
「……え?」
何だかイヤな予感がした。




