第三百話 風光明媚?
王都を出発して二日、馬車が突然止まった。
窓から周囲を伺うが、周囲はまだ、森が見えるのみで、街には到着していないらしい。
一旦、外に出てみる。そこには実に風光明媚な景色が広がっていた。
「うわ~すごいな」
思わず声を上げる。そこには、大小様々な川が縦横無尽に走っている光景があった。
「噂には聞いていたけれど、まさに水郷地帯ね」
隣でヴァッシュの声が聞こえる。彼女は険しい表情でその景色を眺めている。そのとき、後続の馬車の姿が見えた。どうやら、俺たちの馬車が先行しすぎていたので、山を登ったところで待機していたようだ。
馬車が停まると、クレイリーファラーズが飛び出すようにして出てきた。彼女は顔を真っ青にしながら、アタフタと周囲を見廻し、すぐに草むらに向かって走っていった。ああ、お手洗いを我慢していたのだなと思っていると、俺の耳に不快な音が聞こえてきた。
「ヴエッ! ヴェッ! オロロロロロロ~。ゲハッ! ゲハッ!」
しばらくすると、口元を拭いながらクレイリーファラーズが現れた。
「やっべぇ~。マジでヤバかった……。あとちょっと遅かったら、ぶちまけるところだったわ」
「何をやっているんですか?」
「ちょっと、酔っただけです。それはそうです。あんなに揺れるんですもの。そりゃ酔うってもんですよ」
「そんな乗り物酔いする人には見えなかったので意外ですね」
「基本的に私は酔わないのです。今日だけは例外です」
「酔わないって……。よく自分自身に酔っているじゃありませんか」
「ハア?」
……虫けらを見るような眼だ。自分で言っておいてなんだが、何だかイライラする。いや、いかんいかん。ここは冷静にならねば。
「ところで、体調はどうです? 大丈夫ですか?」
「ええ。出すものを出したので、スッキリしました。少しお腹がすいているくらいです」
「それはよかった。街までまだ少しかかりそうです。着いたら食事にしましょうか」
「それは賛成です。いいですね、わかっていますね」
「……では行きましょうか。顔色も良くなっているみたいで、よかったです。真っ青な顔をしていたので、お手洗いが我慢できないのかと思っていましたら、割合、それよりも深刻な事態だったとは恐れ入りました」
「そうだ、私、トイレにも行きたかったんだわ。思い出した」
クレイリーファラーズはそう言うと、再び茂みの中に入っていった。俺は呆れながらヴァッシュに視線を向ける。彼女も、仕方ないんじゃない、と言わんばかりに、小首を傾けてみせた。
「ヴァッシュは大丈夫?」
「……大丈夫よ」
「よかったら、ここで……」
「お気遣いありがとうございます」
彼女はそう言ってペコリと頭を下げた。
山を降りると、さらに驚くべき景色が広がっていた。何と、ここ、キーングスインの人々は、道をほとんど歩かない。船で移動するのだ。
麓から道は続いているのだが、そこには馬車しか通っていなかった。道が狭く、馬車同士が交差するのもやっとなくらいであるためか、人の姿は見当たらなかった。その代り、馬車道の左右には川が流れており、そこには人々を乗せた船が行き交っていた。その中には、物売り専用の船もあるようで、物資を載せた船が売り声を上げていた。
「いや~のどかな景色だね」
思わず声が漏れる。車窓からは入り組んだ川が見え、まさに水の都と言って差し支えない光景が広がっていた。こういう景色は俺は大好きだ。何だか気分がウキウキしてくる。
だが、目の前に座るヴァッシュは、相変わらず厳しい表情を浮かべている。水や川が嫌いなのだろうか。
一方のワオンは、俺の膝の上に立ち、前足を窓に掛け、尻尾を振りながら車窓の景色を楽しんでいる。彼女は俺と同じく、川が好きなようだ。
しばらくすると、川を行き交う船の姿は見えなくなり、周囲は湖のような風景となった。一体これはどうしたことだと思っていたそのとき、馬車が停まった。
「到着しました」
馭者の声と共に、扉が開かれる。降りてみて驚いた。何と、湖の真ん中に城が立っていたのだ。どうやら、あそこにもう一人の兄であるシーアがいるようだ。
「ほほぅ。これはまた、見事なものじゃな」
ハウオウルが馬車から降りながら、そんなことを呟いている。世界中を旅している彼だが、ここ、キーングスインに来るのは初めてのようだ。
俺たちの目の前には、一本のつり橋がかかっている。ここを渡って城に向かうようだ。
「それじゃ、行きましょうか」
俺たちは迷うことなく、つり橋を渡り始めた。
このつり橋は、正直に言うと結構怖かった。歩いていると左右に揺れる。その上、風が吹くとさらに大きく揺れるのだ。そうなると足が止まる。お陰で、ものの数分で着くだろうと考えていたところが、三十分近い時間を要してしまった。
ようやく橋が終わりに近づいたとき、大きな門が見えてきた。堅牢そうな門だ。俺たちが橋を渡り終えると同時に、その門がゆっくりと開いた。
「中に入ったら、すぐに食事ですからね。出すものをすべて出したので、お腹がすいているのです」
クレイリーファラーズが小さな声で呟く。その言葉に俺は、苦笑いを浮かべるしかなかった……。




