第三話 拒否
俺の動揺をよそに、神様らしき老人は俺を睨みつけていたが、やがてコホンと咳ばらいをすると、キョロキョロと辺りを見廻しながら、俺を連れてきた女性を、ご苦労であったと言って下がらせた。
彼女の姿が消えると老人は、スタスタと俺に近づいてきた。そして、手に持っていた分厚い本をゆっくりと開いて俺に見せた。
……日本語とは違う、よくわからない言語で、何かが書かれていた。どうやら、俺のことが書かれているのであることは、何となくわかる。老人はもう一度咳ばらいをして、おもむろに開いているページの一部を指さした。
「これは、何と読める?」
目を凝らしてよく見ると、何やら数字が書いてある。
「じゅう……19?」
「やはりそう読めるじゃろう? 19に見えるな?」
「は……はい」
老人は満足そうに頷く。そのとき、老人の後ろから一人の女性が現れた。突然のことであったために、俺はその場で固まる。老人は女性の姿を見て、ふう、とあきれたようなため息をつき、重々しく口を開いた。
「クレイリーファラーズ、ボサッと立っておらんで、ここに来い!」
金髪で色白だが、ジト目で、どちらかというと、目つきがよくない。老人と同じような白い服を着ているが、その雰囲気は彼とは全く対照的で、面倒くさそうな倦怠感が体中からにじみ出ていた。
彼女が傍にやって来ると、老人は俺に向き直り、再び本を俺に見せ、先程と同じ個所を指さした。
「これ、19に見えるじゃろう? しかしな、実はこれは、99の誤りなのじゃ」
「え?」
よーく見ると、1の端っこに小さな点が見える。もしかしてこれ、9って書いたつもりなのか?
呆気に取られていると、突然老人の怒号が響き渡る。
「だからいつも言っているじゃろう。字はきれいに書けと! 0と6、1と9は丁寧に書けとあれほど言っておったのにお前はっ! だからこんな間違いが起こるのじゃ! 謝れ! この青海一馬に謝るのじゃ!」
「……サーセン」
女性は面倒くさそうに、ちょっとだけ頭を動かして口を開いた。どう見ても人に謝罪をする態度ではない。そんな様子を老人は苦々しく眺めていたが、この女性には何を言っても無駄だと思ったのだろう。再び俺に向き直り、真剣な表情を浮かべて口を開く。
「と、いうことなのじゃ、すまんかった」
「……あのう、どういうことなのか、わからないんですが」
「それはそうじゃろう。いきなり天界に連れて来られて、神である儂から詫びを言われるのじゃ。それは驚くのは無理のないこと」
老人は一人でうんうんと納得している。
「まあ、わかりやすく言えば、本来そなたの寿命は99歳なのじゃが、このクレイリーファラーズの字が汚かったせいで、寿命を19歳と勘違いしてしまい、そなたを天に召してしまった」
「はあ?」
「本来ならば、そなたの魂を元の体に還すところなのじゃが、あいにくと……な。そなたの体は荼毘に付されてしまい、戻るべき肉体がないのじゃ」
「え……」
「我らとしても、80年もの寿命を残しておる者を天に召すなどは前代未聞のこと。このままそなたを転生させるわけにはいかんのじゃ。そこで、じゃ。そなたには別の人生を生きてもらおうと思っておるのじゃ」
「ど……どういうことです?」
「つまりじゃな、その……説明が難しいのじゃが……要は、肉体はあるが魂が抜けている者にそなたの魂を移し、残りある人生を全うしてもらおうというわけじゃ。ついては、その候補となる人物をリストアップしておいた。おい、クレイリーファラーズ!」
老人が隣の女性に向かって手を伸ばす。彼女は懐から一枚の紙を取り出し、彼に渡す。
「不慮の事故などで、肉体はあれど魂が既に天界に召されるというのは、ままあることじゃ。そなたらの世界では……脳死というのかな? そうした者に再びそなたの魂を入れ、寿命まで全うしてもらおうというわけじゃ。例えばじゃな……」
老人がゆっくりと紙を開いて中を見る。その瞬間、またしても彼の動きがピタリと止まった。
「バカもん! 一人? 一人だけとはどういうことじゃ? しかもこれは……彼の生きていた世界とは全くの別世界ではないか! なぜ彼の世界で魂の入れ替え可能な者を選ばんのじゃ!」
老人はものすごい剣幕で女性に対して怒りをぶちまけている。しかし彼女はそんな様子をチラリと横目で見て、チッと小さく舌打ちをしたかと思うと、面倒くさそうに口を開いた。
「探しましたけど、それしかいなかったんです。他にも探せと言われましたら探しますが、時間かかりますよ? それでもいいんなら探しますが? 早くしないと、その男の子も朽ちちゃいますよ?」
老人はぐぬぬ……と言いながら歯を食いしばっている。彼は忌々しそうな顔つきで女性を見ていたが、やがて俺に視線を向けると、やさしく、噛んで含めるようにして話しかけてきた。
「あ~実はな、そなたが生きていた世界とは違う世界。……いや、生活としてはそう変わるものではない。ただ、その世界は魔法が発達していてな。それに……じゃ。文明もあまり発達しておらんが……なに、神の加護を授けよう。それさえあれば、すぐに死ぬことはない。どうじゃ、魔法のある世界で残りの人生を送ってみる気はないか?」
老人は満面の笑みを俺に向けてきた。俺の答えは既に決まっている。そう、ここに来たときから、すでに俺の中で答えは決まっていたのだ。俺は毅然として自分の決断を口にする。
「そのお話、謹んで、辞退します。お断りします」
またしても老人の動きが止まった。