第二百九十九話 いざ、キーングスインへ!
「それでは皆さん、お世話になりました」
俺は心から感謝を込めて頭を下げた。目の前には、シーズの屋敷に仕えているほぼ、全員の顔ぶれがあった。
すべての準備を終え、いざ出発しようとしたそのとき、屋敷からゾロソロと人々が出てきて俺たちを見送ってくれたのだ。さすがにこれは予想外で、面食らってしまった。
「王都にお戻りのときは、必ず当屋敷にご逗留ください」
執事のブリトーが俺たちの前に進み出て、深々と頭を下げる。彼の眼には涙が溢れていた。
また、王都に帰ってこなければならないのか、という感情と共に、またシーズの屋敷に厄介にならなければならないのかという面倒臭いという感情が湧き出してくる。そんな俺の感情を感じ取ったのか、ブリトーは顔を上げると、優しげな笑みを浮かべた。
「ノスヤ様は、西キョウス地区の統監とおなり遊ばしました。そして、ムロウスの家を建てられ、侯爵に任じられました。あなた様は立派な貴族の当主におなり遊ばしました。本来ならば、この王都にお屋敷を頂戴するのですが、シーズ様は、この屋敷を使って構わないと仰せです。こう言っては何ですが、この王都に屋敷をいただくと、その維持だけでも大変な出費になるのです。ノスヤ様、色々と思うところはありましょうが、是非、当屋敷をお使いください。我々一同、心よりノスヤ様のお帰りをお待ちしております」
ブリトーはそう言って再び、深々と頭を下げた。俺は彼に感謝の言葉を告げ、馬車に乗り込んだ。シーズに仕える人々は皆、手を振って俺たちを見送ってくれた。
「……いや~盛大な見送りだったね。貴族って、あんな見送り方をするのかな?」
「……普通はしないわ」
俺は車窓に流れる王都の景色を眺めながら、隣に座るヴァッシュに話しかける。彼女も車窓を眺めている。窓を開けているので、結構強い風が入ってくる。そのために彼女は両手で帽子を押さえている。
「と、いうことは、シーズ家独特の風習なのかな。びっくりしちゃったよ」
「そんなことないと思うわよ。それだけ、あなたが慕われているのよ」
「慕われている? 俺が? 別にあの人たちに何かした覚えはないけれど?」
これまでの滞在していたときのことを思い出してみるが、別に彼らにお土産を買ってきた訳でなし、特にそれらしきことは覚えがない。むしろ、毎日美味しい食事を提供してくれたり、色々と細やかに気を使ってくれたりしたので、何か餞別の一つでも贈っておくべきだったという後悔の念が湧き上がってくる。
そんなことを考えている俺に、ヴァッシュが驚いたように口を開く。
「それは慕われるわよ! だってアナタ、部屋に来る人全員にお礼を言っていたでしょ? ありがとうって。そんなことを言う貴族はいないわ」
「え? そうなの?」
「当り前よ! 召使にお礼を言う貴族なんて珍しいわ。やれ、料理がおいしかったですとか、遅いのに出迎えてくれてありがとうとか、何でもお礼を言うんですもの。相当シーズ様に気を使っているのだわと思っていたのだけれど……」
「う~ん。別にシーズに気を使ったつもりはないな。自然に、というか……」
「……呆れた」
「う、ごめん」
「別に謝らなくてもいいわ。それが、あなたの優しさだもの。そんな優しいアナタだから、私はアナタを好きになったのよ」
そう言うとヴァッシュは俺に背中を向けた。きっと、顔を真っ赤にしているに違いない。
しばらく俺たちは無言のまま、車窓に映る景色を眺めた。ちょうど、馬車が貴族街の門をくぐろうとしたそのとき、不意にヴァッシュが口を開く。
「でも、これからは、その優しさに付け込まれないようにしなくちゃいけないかもね」
彼女の言葉が、胸にグサリと刺さる。確かに、これからは気を引き締めていかなければならない。何と言っても、これからはニタクとまみえることになるだろうからだ。あのオッサンは油断がならない。
「もしかして、ニタクお兄様のことを考えているの?」
「あっ、いや、その……」
「大丈夫よ。あなた一人ではないわ。私も付いているし、ハウオウル先生も、パルテックもいるわ。それに、あの、クレイリーファラーズさんも……」
「あの人は役に立つかなぁ……」
「意外とああいう人は、ニタクのお兄様に対しては強いと思うわよ。だって、物おじせずに言いたいことを言うじゃない?」
「まあ、それはそうだけれど……」
「ニタクのお兄様って、大人しい人には強く出られるけれど、言い返してくる人や、あの方以上にしゃべる人に対しては、苦手意識を持っておいでよね」
「そうかな?」
「そんな気がするわ。いずれにせよ、次のキーングスインでお兄様と会うでしょうから、そのときは、クレイリーファラーズさんに交渉役を担ってもらえばいいんじゃないかしら」
「二人で共謀しないかな……」
「それは、ないと思うわよ」
ヴァッシュは何だか楽しそうだ。俺は一抹の不安を覚えながら、膝に抱いているワオンを抱きしめる。彼女は俺の気持ちなど知らないとばかりに、大きなあくびをしていた……。




