第二百九十八話 お世話になりました
昼食を終え、再び馬車に乗って王都を巡る。事前に作ったリストを見ながら、必要な物をドンドン購入していく。ヴァッシュは、ほとんど迷うことがないので、買い物自体はとてもスムーズだ。次々と店を巡っていく。
一方のクレイリーファラーズは、どうやら悩みながら決めるタイプのようだ。品物を両手に持ってグズグズ悩んでいる。だが、ヴァッシュの買い物がすぐに終わるので、いつも買いそびれてしまっている。
そんなこんなで、夕方近くになると、予定していたものの大半は揃えることができた。
屋敷に帰ると、シーズが帰って来ていると言う。取り敢えず、彼の許に向かうことにする。
「やあ、ノスヤ」
相変わらず冷たい笑みを浮かべる。この、口元だけ笑みを浮かべるというスタイルは、何とかならないものか。
だが、シーズは俺の感情など知ったことではないとばかりに、言葉を続ける。
「いつ、出立するのだ?」
「ええと……近日中です」
「それは、いつだ?」
何だ、いやに話を詰めてくるじゃないか。俺たちに早く出て行けと言いたいのだろうか。思わず隣のヴァッシュに視線を向ける。彼女も、冷静を装っているが、少し戸惑っているようだ。そんな状況を察してか、シーズがさらに口を開く。
「いや、ニタクの兄が、キーングスインに向かったと報告があった。あの兄のことだ、どうせ、ロクなことを考えていないだろう。シーアのことが心配だ。できることならば、早めにキーングスインに行ってもらいたいのだ」
「わ……わかりました」
「なに、心配することはない。ニタクの兄が考えることなど、愚にもつかないものだ。お前にもわかるだろう。しかし、シーアが心配だ。あの兄に振り回されて疲弊する可能性が極めて高い。あれは、優しすぎるからな」
「は……はあ……」
「シーアの許でお前に会ったならば、ニタクの兄はどんな表情を浮かべるだろうな。楽しみだ」
そう言うと彼は、クックックと含み笑いを浮かべた。
「わかっていると思うが、ニタクの兄が何を言おうと聞く必要はない。すべて突っぱねろ。言うまでもないことだが、お前は侯爵なのだ。兄とはいえ、侯爵が子爵の言を取り上げるなどあり得ぬことだ。ニタクは兄としてお前に接してくるだろうが、お前は家来として扱って構わない。ちょうどいい機会だ。あの兄に、己の立場をわからせてやれ」
そこまで言うと、シーズは真面目な表情になった。背筋が寒くなる。
「それとは別に、兄であるシーアを助けてやれ」
「……」
「あそこは、何も特徴のない土地だ。お前はキーングスインに行ったことはないのだろう? であれば、お前の眼であの土地を見てくるといい。そして、何か変えるべきものがあれば、遠慮なく変えて行け。お前は西キョウス地区の統監だ。お前の治める領地を栄えさせることが、お前に与えられた使命なのだ。それを忘れるな」
シーズはじっと俺を睨んでいる。正直、怖い……。
彼はすぐに元の表情に戻った。
「あとは、隣国のインダークの動きに注意しろ。すぐさま侵攻してくる可能性は低いが、油断のならない国だ。まあ、ヴァシュロン殿がこちらにいる限り、それについては、あまり心配はしていないが」
シーズの言葉に、ヴァッシュの表情が固まる。裏を返せば、インダークから人質をとっているのだという意味にも取れるからだ。いや、それがシーズの偽らざる思いなのだろう。
「わかりました。では、明日、出立します」
「へぇ?」
突然、ヴァッシュが口を開いた。その直後、クレイリーファラーズが頓狂な声を上げる。
「長々とお世話になりました。また、日々の手厚いおもてなし、心から感謝申し上げます」
ヴァッシュは見事な所作で、シーズに頭を下げた。だが、彼は相変わらず冷たい笑みを浮かべている。
「ノスヤ」
「……はい」
「いい妻を持ったな」
「……自慢の妻です」
「ハッハッハ! お前も言うようになったな。まあ、何か困ったことがあるのであれば、いつでも言って来るがいい」
彼はそう言うと、下がってよいと命じた。俺たちは黙ってその場を後にした。
部屋に戻ると、早速明日の荷造りにかかった。クレイリーファラーズは、まだ買っていないものがあると言ってグズグズ言っていたが、皆が粛々と荷造りを始めたのを見て、彼女も渋々荷物をまとめ始めた。
ヴァッシュは、こうなることを予想していたのか、いつでも出立できるようにある程度荷物をまとめていた。そのために、俺たちの荷造りは、予想以上の早く済んだ。
その日の夕食は、かなり豪華だった。何と、ドラゴンの肉が出たのだ。シーズは何だかんだ言いながら、俺たちを応援してくれているのかと、少し思った程だ。
やっぱり、ドラゴンの肉は美味かった。ワオンがメチャメチャ喜んでいたが、これは共食いにならないのか、などと下らぬことを考えてしまった。
ハウオウルたちは、まだ荷造りをするのだという。明日の朝に出立するので、早めに休んでくださいねと言って、俺たちは寝室に入った。
風呂に入り、寝ようとしたが、ヴァッシュが何だか困った表情を浮かべている。
「……今着ているパジャマをどうしようかしら」
「どうしたんだい?」
「出立してしまったら、しばらく洗濯することができないわ。気に入っているものだから、汚れが染みついてしまうのは、避けたいのよね……。朝早く起きて、洗濯しようかしら……」
「……そのまま、荷造りしちゃえばいいんじゃない?」
「どういうこと?」
訝るヴァッシュに、俺は無言で彼女のパジャマを脱がせた。
「このまま寝て、明日、着替えればいい。さっき風呂に入ったばかりだから、汚れていないだろう?」
「……バカ」
ヴァッシュの体がほのかに紅潮していた……。




