第二百九十四話 購入確定
「好きなだけ持っていけ!」
老人は満面の笑みを湛えながらそう言った。彼は手に持つ大金貨を眺めながら、誰に言うともなく呟く。
「これがあれば、この屋敷を修繕することができる。それに、お前さんは偉い。よくわかっている」
「わかっている?」
「ああそうだ。知識というものは金を出して買うものだ。お前さんは、この本棚全部の本に、これだけの金を積んだ。立派なものだ。お前さんに引き取られるのであれば、これらの本も大切にしてくれるに違いない。いいだろう。鍵を外しておくから、好きなだけ持って帰るといい」
老人はそう言って、懐から鍵を取り出し、収納されている本の鍵を、片っ端から開け始めた。彼の背中が躍動しているように感じる。それを見ているこちらまで、心がワクワクしてくる。
『ちょっと、ちょっと、来てください』
突然、頭の中にクレイリーファラーズの声が響いた。一体何だよ。
『早くこっちに来てください』
こっち、と言われてもわからない。取り敢えず、彼女が歩いて行った方角に進んでいく。
『まだですか?』
「どこにいるんだよ!」
「ここです。ここ、ここ!」
声が大きいので、どうやらこのすぐ近くなのだろう。ただ、クレイリーファラーズの言葉が明確ではないので、姿を探すのが難しい。マジで面倒くさい。
……放っておこうか。
そう考えて踵を返した瞬間、シャツの裾が引っ張られた。振り返ると、クレイリーファラーズがいた。
「何だよ」
「来てくださいって言っているに、どうして来ないんですかぁ!」
「わからないよ、ここ、じゃあ」
「もういいです。欲しい本が見つかりました。これです」
彼女は強い力で俺を引っ張っていく。おいおい、服が伸びるだろうが……。
連れて行かれた場所には、分厚い本が並んでいた。一体何だこれは?
「日記ですよ」
「日記?」
「ええそうです。日記です」
「こんなものを求めて、何をしようとしているので?」
「え? 面白いじゃありませんか」
「面白い?」
「ホラ、人の日記を読むの、楽しいじゃないですか」
「アンタねぇ……」
「この本屋はよくわかっています。だって、日記がこんなにあるんですもの」
クレイリーファラーズは、本棚から一冊を取り出して、パラパラとページをめくる。
「ホラ、これなんか、約百年前に書かれた日記です。この人……十五歳から日記を付け始めて、ええと……五十八歳まで? 付けていますね。きっと、六十手前で亡くなったのですよ。……ほら、見てください。この人、十六歳のときにお見合いを失敗しているんですよ。死にたいだって……」
クレイリーファラーズの眼がカマボコ型になっている。イヤな表情だ。
「結構読んでいると面白いですよ。この人、マメなひとで、毎日日記を付けているんです。貴族かしら? ヒマなんですね~」
「いや、そんな、あなたの欲望を満たすためのものを買う気はありませんよ」
「いや、役には立ちますよ、知りませんけれど」
「あのなぁ……」
そこに、先ほどの老人がやって来た。彼はニコニコと笑みを浮かべながら口を開いた。
「おお。本棚の鍵は全部外しておいたぞ。好きなものを、好きなだけ持って行ってくれ」
「ああ。ありがとうございます」
「ところで、そちらのお方は、何か求めるのかね?」
「はい、この日記を戴きたいです」
「ほう、お目が高い」
「え?」
予想もしない答えが返ってきた。老人はお目が高いと言ってクレイリーファラーズを誉めた。一体、何故なんだ?
「昔の日記というのはな、人に読ませることを意識せずに書かれたものだ。そのために、その当時の世相を、事実を記している物が多い。過去の事例から学ぼうというのであれば、日記を参考にするのは、とてもよいことだ」
「私も、そう、思います。まさしく、同感、です」
クレイリーファラーズが、たどたどしく賛同している。ウソをつけ。そんなことなど、微塵も感じていない癖に。
「亡きご当主様も、たまに当時の日記を見て、色々と参考になされていた。よい目の付け所だ」
「ありがとうございます。日記は真実が書いていますから……。私もここから大いに学ぼうと思うのです」
クレイリーファラーズの言葉に、老人は大きく頷いている。
「私は、ここからここまでの日記を戴きたいです」
「よしよし、わかった」
老人は懐から鍵を出して、次々と錠前を外していく。
「お求めの本は、このくらいでよいかな?」
老人は、何か用があれば呼んでくれと言って、スタスタとその場を後にした。
「さあ、ちゃちゃっと、ヴィーニにしまっちゃいましょう」
何故か、クレイリーファラーズのテンションが高い。きっと、この日記の中には、彼女が好むエロい内容が書かれているのだろう。俺はため息をつきながら、懐からヴィーニを取り出して、日記を収納した。
クレイリーファラーズは、他に美術図鑑のようなものも欲しいと言っている。ただ、その理由は世間の中学生とそう変わらないものなのだが。
そんな彼女の話に適当に相槌を打ちながら、俺はヴァッシュが希望した本棚の本をヴィーニ納めていく。
「馬車が片付いたわ」
ちょうど本の収納が終わったとき、ヴァッシュの声が聞こえた。俺は彼女が購入した本を持って、ヴァッシュの許に歩いて行く
「ああ、お疲れ様。じゃあ、これを馬車に運ぼう」
「ええ」
ヴァッシュは、満面の笑みで頷いた。




