第二百九十三話 一本取る
「すまんが、欲しい本があるのじゃが」
ハウオウルが、ニコニコと笑みを浮かべながら戻ってきた。老人はどれじゃなと言って、ハウオウルの後を付いて行く。そこには、バカでかい本が並べられていて、彼は二冊の本を指さした。背表紙には、何やら怪しげな紋章が描かれている。
「ちょっと、手伝って!」
突然大声が聞こえた。声のする方向に歩いて行くと、ヴァッシュが本棚からヒョッコリと顔だけを出して、俺を手招きしている。慌ててそこに向かう。
「この本とこの本……。それと……これとこれとこれ」
パルテックが、ヴァッシュが指示する本を懸命にメモしている。彼女は俺に視線を向けると、目を輝かせながら口を開いた。
「すごいわ、この本棚! 全部持って帰りたいくらいだわ!」
え? ヴァッシュって本が好きだったの? 思わずパルテックに視線を向けるが、彼女はヴァッシュのオーダーを取ることに必死になっている。
「うわぁ、これも興味あるわ」
「姫様、そんなにたくさんの数は持って帰られませんよ」
「う~ん、そうなのよね」
ヴィーニがあるじゃない……と言いかけて、言葉を飲み込む。神の記憶は消されているのだ。神から与えられたギフトに関しての記憶も消されているので、俺がそんな話をした日には、せっかくの神の取り組みが無駄になってしまう。
「ねえ、どれにしようかしら?」
ヴァッシュが俺に話しかけてくる。パルテックがメモを見せてくれる。殴り書きしたと間思えない程のきれいな字だ。そこにはおよそ、ニ十冊の書名が記されている。
「結構大きな本ばかりだから、持って帰られるのは五冊が限界かしら。となると、どれを持って帰ろうかしら……」
ヴァッシュが俺の顔のすぐ傍に顔を寄せながら口を開く。とてもいい香りがする。
メモに目を向けてみると、確かに多くの書名が並んでいるが、ジャンル別に分けると、ちょうど五つのジャンルにわけられることに気が付いた。と、なれば、各ジャンルから一冊ずつ選べばいいのだ。
「これと、これと、これ……。ここと、ここの中から一冊選べばいいんじゃないかな?」
「そうね……。そうなのよね。ただ、それでも悩んじゃうのよね」
「じゃあ、それぞれの中で一番高いやつを買えばいい」
「う~ん」
「たぶん、その悩みは解決しないよ。いったん決めてしまった方がいい」
「……わかったわ」
ヴァッシュはパルテックに近づき、二人で何やら話を始めた。
「それはいかん、いかんぞい!」
突然、ハウオウルの声が響き渡る。何事かと思いながら彼の許に走る。すると、彼は老人と何やら言い争いをしていた。
「いや、その金額でいい」
「何を言うのじゃ! この本は、大魔導士リクラ・エララが記した魔術書じゃ。儂の師匠の師匠が記したもので、幻の魔術書と呼ばれたものなのじゃ」
「そうか……。そんな貴重な本だったか」
「ここの本はお主が集めたと言っておったの。この本をどこから手に入れた?」
「……」
老人は苦笑いを浮かべている。その表情からはそれ以上は聞いてくれるなという雰囲気が漂っている。
「ともあれ、この本はそんなに安い金額で買うわけにはいかん。それでは、大魔導士リクラ・エララに失礼じゃ」
「いや、いい。いいのだ」
「そういうわけには……」
「この商売、客に一本取られることもある。気にしなくていい」
「……」
ハウオウルは何とも言えぬ表情を浮かべているが、俺はこの老人を偉い男だと思った。
「ちょっと、お願いするわ」
再びヴァッシュの声が聞こえた。俺は老人を促して、二人で彼女の許に向かう。
「この本をお願いするわ」
彼女はパルテックのメモを老人に手渡した。そこには、記されていた多くの書名の上に線が引かれていた。かなり悩んで、苦渋の決断をしたのが見て取れる。
「一番高い本にするんじゃなかったの?」
「それも考えたんだけれど……。これにすることにしたわ」
「ヴァッシュがそう思うなら、それでいいと思うよ」
老人はメモを眺めながら、本棚を確認している。そして、懐から鍵を出すと、一つ一つ丁寧に書棚から本を取り出していく。
「合計、五冊だな」
「お支払いは……」
「ああ、いい。俺が払っておく。ヴァッシュは馬車の整理を頼む」
「わかったわ」
ヴァッシュは再び本棚に視線を向ける。
「……本当に、すばらしい本が揃っているわね。羨ましいわ。本当に、本当に、この書棚にある本は全部持って帰りたいわ」
「そう言ってくれると、この本たちも幸せというものだ」
「次に王都に来ることができるのは、いつになるかしら……」
「……」
「じゃあ、馬車を整理してくるわね」
ヴァッシュはパルテックを伴って、パタパタと走っていった。
「ええと、代金は……」
「あの、すみません。つかぬことを聞くのですが……」
「うん? 何だい?」
「この本棚の本、全部買うといくらになりますか?」
「うん? 何を言っておるんじゃ?」
「これで、足りますか?」
俺は懐から大金貨を三枚取り出す。老人は眼を見開いて驚いている。
「お前さん……正気か?」
「ええ。妻が本当に欲しそうにしていますし、それに……本当にいい本が揃っているようですから、全部ウチに持って帰ろうと思います。土地は余っていますので、十分収納できると思います」
老人はぽかんと俺を眺めている。
「それに、ハウオウル先生にも言っていたじゃありませんか。客に一本取られることもあるって。俺も、一本取りたいと思います」
「クハハハハ」
老人は、カラカラと喉を鳴らしながら笑い声をあげた。




