第二百八十四話 失格
「さてと」
神様は微笑を浮かべたまま、ソファーで眠っているヴァッシュの許に向かった。そして彼は、持っていた杖の先を彼女の頭の上にそっと載せた。その瞬間、部屋が黄色の光に包まれた。
「ちょっ、何を……?」
「儂らの記憶を、消させてもらった」
「えっ?」
「この娘は、儂らのことを知って以来、想像を絶する心の葛藤と戦っておった。神の存在を口にしてはいかん。神に背くことをしてはいかんと、自分に言い聞かせておる。常日頃から神に見られているのだと考えておる。まあ、それは悪いことではないのじゃが、あまりに度が過ぎておる。このままではこの娘は心を病んで、寿命を縮めてしまう。そうなれば、色々と……な。従って、この娘からは儂らの記憶を消させてもらったというわけじゃ」
……なるほど。そう言えば、この王都に来るまでの間は、妙によそよそしいところがあった。それは、きっと神に自分の行動を見られていると思っていたからなのだろう。ヴァッシュとしても、ハメを外したいこともあっただろうに、それが一切せずに、自分を押し殺していたのだ。それは相当精神的にも、しんどいことだっただろう。
だが、そんな苦しみはおくびにも出さずに、彼女はずっと俺をサポートしてくれていたのだ。そう思うと、彼女が本当に愛おしく思えてくる。俺は思わず彼女の頬をそっと撫でた。
「いつまでも、仲良くで、お願いしますね」
神の後ろの控えていた天巫女が優しい口調で話しかけてくる。俺は笑顔で力強く頷く。
「さてと。儂らは帰るとするかの。お前さんが天界に来るまでは会わぬ……と言いたいところじゃが、何かあれば、また来るであろう」
「……そうですね。そうならないように、俺も頑張ります」
「そうじゃな。しかし……儂は、神失格じゃな」
「……イエス」
クレイリーファラーズが頭を押さえて悶絶しながら、小さな声で呟いている。だから、大人しくしていなさいって。
「……神じゃなくて、紙じゃねぇかよ。薄いペラッペラの中身しかねぇじゃねぇか」
「やかましい!」
「ぐうっ!」
神が杖の先をクレイリーファラーズに向ける。その瞬間、その体が再び緑色に輝いた。そして、そのままこの天巫女は大人しくなった。
「あの……何をしたので……」
「少し黙らせただけじゃ」
「そうですか……。ただ、あなたは神様失格だとは俺は思いませんよ。だって、この世界に転生させた俺を、色々なところで助けてくれていますから……」
「フッ。それが、失格なのじゃよ」
「え? どうしてですか?」
「神たるもの……何があっても動いてはならんのじゃ」
「どういうことです?」
「神は下界に住む者を見守る存在なのじゃ。何が起ころうとも、じっと見ている。それが、神という者じゃ」
「は……はあ……」
「何が起ころうとも、何もせぬ。しかし、見ている。どんなに残酷で、猟奇的で、愚かしいことが起こったとしても、それでも目を背けずにじっと見ている。それが、神という者じゃ」
「……なるほど。どんなときでも、見られている。そう考えれば、そうそう悪いことはできなくなりますね」
「……そうじゃな。そう考えてもらえれば、もっと世の中は静かになるのじゃがな」
神はそう言ってフッと寂しそうな笑みを浮かべた。
「ただ、そなたは別じゃ。このバカ者のせいでこのようなことになってしまった。まあ、その責任の一端はこの儂にもある。じゃから、これからも、見守っておるぞよ」
「ありがとうございます。心強いです」
「それでは、な」
そう言うと、神の姿はまるで雲のように雲散して消えてしまった。俺は神がいた場所に向かって、静かに手を合わせた。
「……ってぇ」
クレイリーファラーズがウンコ座りをしながら、両手で頭を撫でている。顔が歪み切っている。こういうとなんだけれど、ブサイクな顔だな……。
その表情のまま、彼女はゆっくりと立ち上がった。首を左右に揺らしながら、グルグルと肩を廻している。
「クッソ……何をするんだよ……」
「よかったじゃないですか。能力を全部奪われないで」
「ああっ! そうだ!」
俺の言葉に、彼女は飛び上がるようにして体を震わせた。そして、あらぬ方向に視線を向けたかと思うと、ピタリとその動きを止めた。
「……うわっ! 本当に宝龍眼をとりやがった! あとは……ある、ある、ある。……あれ? なにこれ? 『失語(神)』? ……神への暴言や不満を口にしようとするときは、言葉が出づらくなる? マジかよ! あの……。チッ」
悔しそうな表情を浮かべるクレイリーファラーズ。どうやら、先ほどの神様のお仕置きでは、この天巫女にバッドステータスを付与したようだ。
彼女はしばらく眉間に皺を寄せながら宙を睨んでいたが、やがてフッと息を吐くと、スッと俺に視線を向けた。
「まあ、いいでしょ。帰りましょうか」
「切り替え早ぇな」
「宝龍眼を取られたのはイタイですけれど、鳥と会話する能力は死守しました。まあ、最悪の事態は逃れられたので、よしとします」
「そんなにその能力が大事なの?」
「当り前ですよ! 鳥と会話するために天巫女になったと言っても過言ではありませんから」
「ふぅ~ん。そうなの?」
「はやくこんなショボイ任務を終えて、森の中で美味しいものを食べて、フェルディナントに抱きしめられながら、思う存分鳥の声を聞く生活を送りたいです」
「夢見てんじゃねぇよ」
俺は呆れた表情を浮かべながら、かわいらしい顔で眠っているヴァッシュの許に向かった。




