第二百七十五話 二人のイキ
「アリア・テーゼ……」
思わずパルテックは呟いた。これまで彼女が経験してきたものとは、全く異なる舞踏会だった。
そもそも舞踏会とは、国に功績のあった者を皆で讃えるという趣旨のものだ。それ故に主賓として踊る者たちには最高の礼を尽くすというのが仕来りなのだが、このリリレイス王国のそれは、明らかに主賓に対して礼を欠くものだった。
それに、いきなり、「ピュアリッツエ」が演奏されるというのも、理解に苦しむ。てっきり、踊られるご領主様と姫様に何かあったのではないかと心配したほどだ。きっと、姫様のことだ、衣装のことで何か変更があったのだろう……。パルテックは湧き上がる不安を、そんなことを考えて抑え込んだところだったのだ。
集まった貴族たちは、てっきり休憩だと思ったのだろう。半分近くが席を離れてしまっている。着席している者も、突然、「アリア・テーゼ」が演奏されたために、鳩が豆鉄砲を食ったような表情をしている。皆、足を組んだり、グラスを持ったりしていて、寛ごうとしていたところだったのだ。
できることなら、演奏を止めたかった。ちょっと、お止めくださいまし、と言って、皆が揃うまで演奏を待ってもらいたかった。しかし、もう遅い。まもなく、二人が入場する場面に差し掛かってしまっている。
ワオンを抱く腕に力が入る。一瞬、この仔竜は苦しくないだろうかという心配がよぎったが、ワオンは微動だにせずに、主人たちが出てくる扉の方向にじっと視線を向けている。
……神よ。姫様たちを、お救い下さいまし。
パルテックは心の中で、強く願った。
そのとき、扉が開いて、一組の男女が入場してきた。言うまでもなく、ノスヤとヴァシュロンだ。二人とも視線を正面に向けたまま、静かに、そして、堂々とこちらに向かって歩いてくる。
二人の動きが止まる。動きが、完全に一致していた。
呆気にとられる会場内をよそに、ノスヤはそこから左に向かって、ヴァシュロンは右に向かってゆっくりと、円を描くように歩いて行く。そして、二人は向かい合う形でその動きを止めた。
実に美しい所作だった。パルテックは振りを教えはしたが、二人がここまで息を合わせてくるとは思わなかった。その見事な位取りは、インダーク帝国の一流の踊り手たちと何ら遜色のない出来栄えだった。
二人は全く乱れることにない足取りで近づいていく。そして手を握り合い、踊るための態勢を整えた。
その瞬間、曲調が変わる。二人はゆっくりと動き出した。
……まるで、夢を見ているかのような光景がそこにあった。ピタリと息の合った二人の動き。折々に決められるポーズの美しさ。まさに、指先まで神経の行き届いた、見事な形だった。
この踊りはある場面にくると、二人が別々の振りで踊る。何度練習しても、上手くいかなかった場面だ。それは、ヴァシュロンの踊りが早すぎて、どうしても経験の浅いノスヤが合わせられなかったのだ。しかしこの日は、二人それぞれの踊りが、何とも言えぬ面白さがあった。これまでは、踊れば踊るほどに二人の距離が離れていったが、まるで、二人の間に糸が張られているかのように、全く間合いを崩すことなく、距離を保ち続けていた。その上、ある場面にくると、二人の動きがピタリと合う。そういう振りが付いているのは十分に承知していたが、イキの合った二人の踊りは、神々しささえ感じさせるものだった。
再び二人が近づく。まるで、吸い寄せられるように、その距離が縮まる。気が付くと、集まった貴族たちが皆、息を呑んで二人の踊りを見守っていた。足を組んでいたものはそれを下ろし、グラスを手にしていた者は、いつの間にかそれをテーブルにおいて、前のめりに二人の動きに見入っていたのだった。
ダンスはいよいよ、クライマックスに向かう。難しいステップも見事に決めた二人は、さらにダイナミックに踊りぬいていく。
「アリア・テーゼ!」
美しき我が思い人という意味の言葉を、ノスヤが美しいポーズを決めながらヴァシュロンに向かって叫ぶ。それを受けて、ヴァシュロンが彼を受け入れるポーズを美しく決める。そして、再び二人が抱き合うような形で踊って、「アリア・テーゼ」は終了した。
二人は手を繋いだまま、ゆっくりと皆に向かってお辞儀をする。客席はシンとしたままだ。だが、ノスヤはそんなことを気にすることなく、右手を出してヴァシュロンを促すようなポーズを取ると、彼女はスカートの裾をつまんで、スッと膝を折った。二人はクルリと客席に背を向け、そのまま入場してきた扉に向かって歩いて行った。
その瞬間、客席から、大きな嘆息が漏れる。皆、二人のあまりに素晴らしいダンスに、息を詰めて見ていたのだ。その緊張が解けたために、思わず一斉に息を吐きだしたのだった。
ノスヤとヴァシュロンは扉の前で再び一礼して、そのまま退出していった。その直後、パラパラと拍手が起こり、やがてそれは急速に大きくなって、万雷の拍手となっていった。それはいつまでもやむことはなく、いつしかそれは手拍子に替り、二人を再びこの会場に呼び戻そうとしていた。
「ホッホッホ。ご領主たちの、勝ちじゃな」
隣でハウオウルが満面の笑みで頷いていた。それを見たパルテックも、大きく頷いたのだった。




