第二百六十六話 準備完了
寝室に戻ると、ヴァッシュがこちらを向いて立っていた。ちょうど衣装を着終わったところのようだ。俺は思わずため息をつく。
「何よ、ため息なんかついて」
「きれいだ……」
「……バカ」
少し顔を赤らめたヴァッシュがかわいらしい。まるでハリウッドの映画のヒロインみたいだ。いつの間にかワオンが俺の傍に来ていて、彼女も尻尾を振りながらヴァッシュの姿を見ている。ドラゴンの眼から見ても、美しいと感じているようだ。
大満足で眺めている俺を、ヴァッシュの背後にいたライムネイルが笑顔で頷いている。どうだ、キレイだろうと言わんばかりの表情だ。
彼は足早に俺の許に近づいてきたかと思うと、こちらへ、と促して俺を部屋の隅に連れて行った。そこには、アタッシュケースのようなものが置かれていて、ライムネイルは、そこから大きめのブローチや金の鎖のようなものを取り出す。そして、それらを手際よく俺の服に取り付けていった。
「いかがでしょうか?」
「ああ……ええ……」
正直、俺にはよくわからない。ただ、自分で言うのも何だが、まあ、似合っていると思わないこともない。
チラリとヴァッシュを見る。彼女は立ったまま、女性たちに化粧を施されていた。刷毛のようなもので顔を撫でられている。
「準備ができました」
女性たちがヴァッシュの許から離れる。彼女は小さな声でありがとうと言ってほほ笑んだ。
「さあ、こちらへ」
ライムネイルが俺の前に置いてあった鏡を持って、ヴァッシュの許に向かう。俺も彼の後をついていく。
「ささ、どうぞ」
ヴァッシュと共に鏡に映る。ヴァッシュが美しすぎて、正直、俺の存在が目に入ってこない。それでも、ライムネイルは、お似合いですと言ってほほ笑んでいる。
チラリとパルテックに視線を向ける。彼女は手を胸の前で組んで、まるで神に祈るようなポーズを取りながら、何度も何度も頷いている。何だか、心が温まる光景だ。
ヴァッシュはいつの間にか俺と腕を組み、体を左右に動かして角度を変えながら自分の姿をチェックしている。やがて、大きく頷くと、スッと俺に視線を向けた。
「……何だい?」
「完璧ね」
「……よかった」
「それでは、参りましょうか」
ライムネイルが部屋の扉の前に立っていて、俺たちを案内しようとしている。そのとき、パルテックが口を開いた。
「姫様、ご領主様が作られたお料理を……」
彼女はイモの白煮が乗った皿を持っていた。ヴァッシュはまだ、手をつけていないらしい。
「じゃあ、少しだけいただくわ」
「ちょっと待て。折角の衣装や手が汚れるといけない」
俺はパルテックから皿を受け取り、その上に載っていたフォークを手に取った。そして、それを使ってイモの白煮をヴァッシュの口に運ぶ。
「あ~ん」
「……美味しい」
「もっと食べな」
「……」
俺が差し出すイモをヴァッシュは無言で食べ続けた。何とも言えぬ沈黙が部屋に訪れる。
「ずいぶんお腹がすいていたんだね」
「……」
「そんなにお腹がすいていたら、今日一日もたなかったんじゃないのか……って、イテッ」
気付けば、ヴァッシュに足を踏まれていた。彼女の首筋に赤みが差している。余計なことを言うなといったところか。そのとき、部屋の扉が開き、ブリトーが笑顔で入室してきた。
「お待たせしました、サンドイッチをお持ちしました」
彼は俺たちに満面の笑みを向けると、すぐ傍に皿を置いた。焼き立てのパンの香りが香ばしい。その一つを手に取り、口の中に放り込む。
「……うん、美味い。肉……? いい肉が使っているんだろうね。ヴァッシュも食べな」
「私はもういいわ」
「え? もうお腹いっぱい?」
俺の言葉に、ヴァッシュはしばらく沈黙していたが、やがて、ゆっくりと俺の耳に顔を近づけてきた。とてもいい香りが鼻をくすぐる。
「……食べ過ぎると、お腹が出てしまうわ」
「一口くらい大丈夫だよ。ちゃんと食べておかないと、もたないかもしれないよ」
「……」
「はい、あーん」
ヴァッシュの口元にサンドイッチを運ぶ。彼女は小さな口を開けて、それを一口食べた。
「……美味しいわね」
「だろ? 焼いたパンの香ばしさが、何とも言えないな。今度、屋敷に帰ったら、作ってみよう」
俺の言葉に、ヴァッシュは微笑みながらゆっくりと頷いた。
結局、ブリトーが用意してくれたサンドイッチは、半分近くが余ってしまった。残ったものはパルテックが一つ食べたが、ライムネイルたちは頑なに遠慮して食べなかった。さて、どうしようか。捨てるのも勿体ないし……と思っていたそこに、一つのアイデアが閃いた。そうだ、こんな場面に打ってつけの人がいたじゃないか。クレイリーファラーズだ。
俺は、残ったサンドイッチをクレイリーファラーズにやってくれと、ブリトーにお願いする。彼は、畏まりましたと言って、恭しく一礼して、部屋を後にしていった。
ライムネイルが、俺とヴァッシュの周囲をうろついている。ジロジロと舐め回すように見られていて、何だか気色が悪いが、そんなことはお構いなしに、彼は時折しゃがみ込みながら、俺たちを観察している。
「……完璧でございます」
ライムネイルは、手をポンと叩きながら口を開いた。そして、後ろに控えていた、女性たちにチラリと視線を向け、ゆっくりと頷いた。
「さて、参りましょうか。本日は、この不肖、ライムネイルがノスヤ様と奥方様につかせていただきます。衣装や化粧のことなどは全て、私にお任せください!」
俺とヴァッシュは顔を見合わせながら、頷いた。




