第二百六十四話 サンドイッチ
寝室から出てホールに向かうと、ハウオウルが満面の笑みを浮かべていた。彼の前には空になった皿が置かれていて、その前で、クレイリーファラーズが目に涙をいっぱいにためて、ハウオウルを睨みつけていた。どうやら、一口も食べることができなかったようだ。
「おおご領主、どうじゃな、奥方の様子は?」
「まだ、色々と準備があるようです。一応、イモの白煮は部屋に置いてきました」
「ホッホッホ」
ハウオウルは満足そうな笑みを浮かべている。そのとき、扉がノックされ、執事のブリトーが部屋に入ってきた。
「お寛ぎのところ失礼します。シーズ様がお戻りになりました」
彼はさっと横に滑るように真横に移動すると、ドアノブに手をかけた状態で頭を下げた。すると、シーズが右手を挙げながら入室してきた。
「やあ、ノスヤ。どうだい、準備の方は?」
相変わらず口元だけ笑みを浮かべている。その後ろから、ライムネイルと数名の女性が入ってきた。ライムネイル以外は、初めて見る顔だ。皆、アタッシュケースのようなものを持っている。
「ヴァシュロン殿は?」
ホールを見廻しながらシーズが口を開く。今、風呂に入って準備中だと告げると、彼は大きく頷いた。
「そうか。ちょうどいい」
そう言って、ライムネイルに目配せをする。それを受けて彼は、連れていた女性たちを伴って寝室へと向かう。
「あの……ちょっと」
「心配するな。衣装の打ち合わせをするのだ」
そう言ってシーズはクスクス笑う。いや、先ほど見たとき、ヴァッシュはまだ裸だった。それが気になるのだが……。
そんな俺の心配をよそに、シーズは俺を応接室に来いと言って連れて行こうとする。いや、待ってくれ。あんたと二人っきりか? それはイヤだ。せめてハウオウルに同席してもらいたいが……。シーズの雰囲気はそれを許してくれそうにない。仕方なく、彼に付いて行くことにする。
ゆっくりとソファーに腰を掛ける。シーズは相変わらず冷たい笑みを湛えている。実に不気味だ。
「どうだ。準備の方は?」
突然、話を振られたために、体が震える。
「いっ、いや、大抵のことは、大丈夫です。ダンスの方も、パルテックさんが見てくれていますので……」
「お前の衣装は準備できているのか?」
「はい……。できています」
必死で喋ろうとしていたにもかかわらず、言葉を途中で切られてしまった。シーズが求める答えを返せていないのだろう。自分のコミュ力不足を痛感してしまう。そんな俺に、シーズはさらに畳みかけて質問を繰り出してくる。
「あれから兄上から何か、連絡はあったか?」
「いえ、ありません。まあ、色々と出かけていたこともありますし、もしかしたら、何か言ってきたかもしれませんが……」
「他の貴族からは?」
「いっ、いえ……あの……ご挨拶には見えられましたが、特段これと言って……」
「ラッツ村のことを聞いてきた者は?」
「えっと……村のことは……どなたも……」
「いなければいい。私のことや宰相様のことを聞いてきた者は?」
「聞かれたことは……なかったと思います……。シーズ様によろしくと……」
「お前の飼っている仔竜のことを聞いてきた者は?」
「えっと……アルマイトさんからは、かなり詳しく聞かれた……」
「貢物を持ってきた者は?」
「えっと……いない、と、思い、ます」
矢継ぎ早に質問を繰り出されてしまって、何だか息が上がってくる。何なんだ、この人は?
「フフフ。一人くらいお前に取り入ろうとする者がいると思ったのだがな。つまりは皆、様子見ということか。それでいい。その方がいい……」
シーズは満足そうに頷いている。
「ヴァシュロン殿の準備が整い次第、出かけるぞ」
「え?」
「お前も着替えてくるといい」
「あの……着替えるって……」
「お城に行くのだ」
「城って……。待ってください。舞踏会は夕方からじゃ……」
「その前に、色々とあるのだ。早くしろ」
「ちょっと待ってください。せめて、もうしばらくは待ってください」
「どうしたのだ?」
「あの……ヴァッシュは……妻は、朝食をまだ食べていません。今、ブリトーさんに頼んで、サンドイッチを……軽い朝食を作ってもらうように頼んでいるところです。せめて、朝食が終わるまで、待っていただけませんか?」
俺の言葉に、シーズは呆れかえったような表情を浮かべている。
「このような大事なときに、食事の心配とは……。お前はどうしてそう、のんびりとしているのだ」
シーズはさも残念、という表情浮かべたまま、大きなため息をつくと、スッと立ち上がり、弱々しい声で口を開いた。
「すぐに行って着替えてこい」
「あの……サンドイッチ……朝食は……」
「ブリトーに運ばせておく。そのようなものを取る時間があれば、食べるといい」
そう言って彼は応接室を出ていってしまった。シーズと入れ替わるように、ブリトーが入ってくる。
「ノスヤ様のお着換えは、ライムネイル様がすでに持って来ておいでです。どうぞ、寝室の方へ」
「あの……ブリトーさん。サンドイッチを……」
「承知してございます。すぐにお届けに上がります」
彼の笑顔に促されるようにして、俺は立ち上がって寝室に向かった。




