第二百五十七話 衣装合わせ
皆、俺の様子を呆然と見守っている。それはそうだ。いきなり入ってきて泣き出したのだから、無理もない。
ゴシゴシと袖で涙を拭う俺に、執事のブリトーがそっとハンカチを差し出してくれる。それを笑顔で断り、再びヴァッシュに向き直る。
「いや、本当にキレイだ」
「さっきから、そればっかりだわ」
ちょっと照れた表情がかわいらしい。
「鏡を見ていないから、どんな仕上がりになっているか、わからないのよ。ちょっと、鏡を見せてくれるかしら」
シーズ家の侍女が大儀そうに大きな鏡を持ってきた。彼女は自分の姿を映すと、右に左に向きを変えて、確認をし始めた。
「ありがとう。では、当日はこれでお願いね」
ヴァッシュの傍に、一人の男が控えていて、恭しく頭を下げる。彼はヴァッシュと何か言葉を交わしたかと思うと、再び頭を下げた。彼は立ち上がって俺の許にやって来て控えた。
「ノスヤ様、初めてお目にかかります。衣装屋のライムネイルと申します。お兄上様のシーズ様にはいつも、ご贔屓をいただいております」
「あ、ああ、そうですか」
「シーズ様からご依頼をいただきまして、奥方様の衣装を持って参りました。本日は衣装を合わせて、仮縫いを済ませました。舞踏会当日までには、必ず仕上げて御覧に入れます」
そう言って彼は再び頭を下げる。そして、声を落として、小さな声で呟いた。
「お兄上様のお計らいにより、奥方様には最高のお召し物をご用意いたします。どうぞ、ご安心ください」
思わず男に視線を向ける。彼は力強く頷いた。
「ノスヤ様のお衣装も、お作り致せとシーズ様より命じられております。とは申せ、男性の場合はほとんど衣装は決まっております。いくつか、ご試着いただきまして、すぐにお仕立ていたしたく存じます。ノスヤ様のお衣装は、二日もあればできあがります」
彼はニコリと笑うと、俺を寝室に連れて行った。
衣装合わせは、呆気にとられる程に短くて済んだ。僅か十五分ほどだっただろうか。並べられた三つの衣装……といっても、ほとんどデザイン的には違いがなかったが、その中の一つを選んで試着する。腕の長さも、足の長さもぴったりだった。まるで、俺に合わせて作ったかのようだった。ライムネイルは、袖口や肩など、細かいところを少しチェックしたくらいで、すぐに、もう、大丈夫ですと言って衣装合わせを終わらせてしまった。
「装飾品につきましては、シーズ様より指示が出ております。そちらにつきましては、万事、私にお任せください」
そう言って彼は再び、満面の笑みを浮かべた。
ライムネイルが退室すると、それと入れ替わるように昼食の時間となった。ハウオウルは出かけてしまっていたために、彼の分をどうしようかとブリトーから言われたが、そのまま置いておくようにとお願いする。きっと、クレイリーファラーズが平らげるだろう。……ってゆうか、大きく頷いている。言われるまでもなく、食べる気は満々だったようだ。料理を並べていくブリトーに、もしかしたら、改めて昼食を用意してくださいとお願いするかもしれないと伝えると、彼は笑顔で、畏まりましたと言って頭を下げた。
着替えを済ませたヴァッシュが席につくのを合図に、皆、食事に手をつける。化粧をまだとっていないために、ヴァッシュの美しさが先ほどのままだ。
「何? 何を見ているのよ?」
「いや、やっぱりきれいだなと思って……」
「バカ……」
そんな俺たちを、パルテックが優しい笑みを浮かべながら眺めている。
「本当に、お嬢様はお美しいですわ。婆も鼻が高うございます」
「ちょっと、パルテックまで、何を言っているのよ」
「いやでも、本当にヴァッシュはきれいだよ。さっき、ライムネイルさんが言っていたけれど、装飾品もいいものを持って来てくれるみたいだし、そうなると、ヴァッシュはもっときれいになるよな。本当に楽しみだよ。何でも、これは全部シーズの指示だって言うじゃないか。いいとこあるんだな」
「そんなの、当り前よ」
「え? そうなんだ?」
「自分の弟が舞踏会の主役に抜擢されているのよ。ここは家名を上げる絶好の機会なのよ。逆を言えば、ここで失敗すると、ユーティン子爵家の評判を落とすことにもなるわ。だから、あの方は私たちに、できうる最高のものを身に付けさせようとしているのよ。衣装なんかで後ろ指をさされることなど、あってはならないことだわ」
「そういうものなのか……」
「そういうものよ。だから、私たちも、心を引き締めなければならないわよ」
「え? どういうこと?」
「私たちの一挙手一投足が注目されるの。少しでも粗相があってはいけないわ。だから、当日のことをよく頭において、行儀作法をもう一度確認しなければならないわ。それについては、パルテック、お願いするわね。あとはダンスね。もう一度、おさらいをしなければならないわ。これから、本番まで、みっちりやるわよ」
「わっ、わかった。そのときも、パルテックさんに見てもらうんだよね?」
「何を言っているの? ダンスの練習なんて、これまで散々二人でやってきたじゃない。二人でやれば十分でしょ」
「いや、たぶん、そうなると、俺はヴァッシュを抱きしめてしまうから、練習にならないと思うんだ。だから、パルテックさんも……ね?」
「バカ……」
ヴァッシュはそう言ってプイッとそっぽを向いた。どんどん赤みが差してくるその顔は、やっぱり、とてもかわいらしいものだった。




