第二百四十八話 待って待って
ほどなくして、馬車が停まった。ずいぶん早い。後になって知ることだが、シーズの屋敷とシンセン公爵の屋敷とは目と鼻の先だったのだ。あまりの速さに、一瞬、馬車の中で寝てしまったのかと思った程だ。
「大丈夫? 着いたわよ」
「俺……寝ていた?」
「眠ってはいなかったと思うわよ」
「着くの、早くなかった?」
「確かに、早かったわね。さ、降りましょ。大丈夫?」
ヴァッシュに促されるようにして起き上がり、馬車から降りる。そこには、執事のブリトーが笑みを浮かべながら俺たちを迎えていた。
「お戻りなさいませ」
ありがとうございますと礼を言いながら馬車を降りる。最初に来たときは、赤いじゅうたんが敷かれていたが、今はきれいに片付けられていた。メイドたちの出迎えもなかった。
ヴァッシュからワオンを受け取り、ブリトーの案内で屋敷に向かう。ヴァッシュはやっぱり腕を組んでくる。彼女に触れていると、何となく安心する。
ブリトーは玄関を入ると右に曲がり、長い廊下を進んでいく。しばらくすると、突き当りに扉が見えた。彼は、何のためらいもなく扉を開け、俺たちを中に招き入れた。
「王都においでの間は、こちらの部屋をお使いください」
彼はニコリと笑うと、きびきびとした動きで、部屋を案内し始めた。
「こちらは別棟になっておりまして、元々は警備を担当する兵士たちが詰めていた部屋でしたが、ノスヤ様がお越しになるということで、こちらの建物をすっかり改装しまして、皆様にお寛ぎいただけるように致しました」
一瞬、ブリトーの言葉を疑う。いくら何でも、俺たちを迎えるために一棟丸ごと改装するだろうか? だが、よく見ると確かに、壁や調度品が全てピカピカだ。この執事の言葉は嘘でも誇張でもないらしい。
彼は満足そうな笑みを浮かべながら、次々と部屋を案内していく。
「こちらが、応接室になります。そして……こちらとこちらが寝室になります。そして、こちらがお手洗い、その隣がバスルームとなります」
俺たちがいる広間のような場所から、正面にあるのが応接室、右側に二つ部屋が並んでいて、寝室になっている。左側を見ると、これも同じように部屋が二つ並んでいて、寝室になっている。さらに、応接室の左右に、斜めに通路が伸びていて、左側の廊下を進むと、お手洗いとバスルームの部屋がそれぞれあった。どちらも広く使いやすそうだ。何より、新品なのでとても清潔なのは助かる。右側の通路を進むと、ひときわ大きな部屋があった。そこには、ベッドルームだけでなく、お手洗いとバスルームが備えられていた。ここは、屋敷の警備をする責任者が使っていた部屋だったそうだ。
「皆様、お好きなお部屋をお使いください。何か、御用がありましたら、こちらの鈴をお鳴らし下さい」
扉のすぐとなりに、手のひらサイズの鐘のようなものが置かれてある。ブリトーはそれを手に取り、チリリリーン鳴らした。高い、きれいな音だ。
「食事は三度お持ちいたします。朝は八時、昼は十二時、夜は七時にお持ちいたします。お口に会わないもの、また、普段お召し上がりにならないものがあれば、遠慮なくお申し付けください」
「お代わりは?」
すかさず、クレイリーファラーズが口を開く。マジか、と思ったが、ブリトーは笑顔で答える。
「もちろん、何回でもよろしゅうございます。ただ……あるじ様のお許しをいただいてくださいね」
クレイリーファラーズの表情が固まる。この屋敷では、この天巫女は俺の奴隷であると周知されているらしい。まあ、放っておくことにしよう。
ブリトーは、まもなく夕食をお持ちしますから、と言って一旦退出していった。彼と入れ替わるように、男たちが馬車に乗せてあった俺たちの荷物を運んできた。あらためて見ると、意外と多い。こんなにも馬車に積み込んでいたのかと思った程だ。
それぞれ、自分の荷物がちゃんとあるのかを確認する。ハウオウルはほとんど荷物がないので、確認は一瞬で済んだ。彼は荷物の仕分けを手伝ってくれている。
「これは……お嬢ちゃんのかの? やっぱり、下着は白かの?」
鞄を差し出しながら、ハウオウルは笑顔を浮かべる。クレイリーファラーズは、顔を真っ赤にしながら、まるで汚いものを触るかのように、鞄の柄を二本指でつまんでいる。そんな様子を横目で見ながら、俺はせっせと荷物の仕分けをする。やっぱり、俺たちの荷物が一番多い。
「お嬢様とご領主様は、どうぞ、一番広い奥の部屋に」
パルテックが勧めてくれる。俺とヴァッシュは顔を見合わせて頷く。俺は手に持てるだけの荷物を持って、奥の部屋に向かう。
『待って! 奥の部屋は私に使わせてください! そうしないと、私はこのジジイに襲われます! ちょっと待って! 待って! 私のきれいな体が、こんなジジイの汚い舌で舐め回されるかもしれないのですよ! 力づくでねじ伏せられて……ねえ、ちょっと!』
「さ、ワオンもおいで」
「にゅ~」
「そんなに持っていかなくてもいいじゃない。私も持つわ」
「いいよ。何度も取りに来るのは面倒だろう? ヴァッシュは部屋で休んでな」
クレイリーファラーズはかなり長い間、俺に色々と訴えてきたが、その全てを無視したのだった。




