第二百四十四話 すごいよ、ヴァッシュ!
……これって、お城じゃん。
馬車から降り、メゾ・クレールの屋敷を見た最初の感想が、それだった。目の前には堀があり、大きな橋が架かっていた。その先には、巨大な建物がそびえ立っていたのだ。
「さあ、行こうか」
いつもと変わらぬ表情でシーズが話しかけてくる。彼にしてみれば慣れた景色なのだろうが、予想外の光景を目の当たりにした俺は、シーズと城を何度も見比べてしまう。
「何をキョロキョロしているのだ? リリレイス城に来るのは、初めてではないだろう?」
「リリレイス城……」
ヴァッシュが小さな声で呟きながら、城をじっと見ている。
「ああ。ヴァシュロン殿は初めてかな? ここがリリレイス城だ。宰相、メゾ・クレール様はこちらにおいでになる。ノスヤ」
「はっ、はい」
「ヴァシュロン殿に、よく教えておくのだ」
「はっ……はい……」
何故か、怒られてしまった。だが、ヴァッシュが知らないというのは、俺にとっても好都合だ。このまま彼女に、色々と質問してもらおう。
「……わからないことは、どんどん、シーズに聞いて」
俺の言葉に、彼女は不思議そうな表情を浮かべる。シーズが俺たちを呼ぶ声がしたので、ヤツの許に慌てて向かう。そのとき、クレイリーファラーズと目が合った。その瞬間、彼女はパチリとウインクを飛ばしてきた。意味がわからない。逆に、イライラする。
そんな俺を一瞥して、クレイリーファラーズはスタスタと行ってしまった。俺も慌てて皆の後を追う。
ヴァッシュが待ちかねたように、腕を組んでくる。シャンと背を伸ばして毅然と歩いているところをみると、どうやら、貴族の夫婦というのはこうやって歩くのが仕来りなのだろう。単に、寂しいからと言うわけではなさそうだ。
二人で並んで歩くと、通行の邪魔にならないかと思ったが、それは杞憂だった。城の廊下はメチャメチャ広かった。俺たちが腕を組んで歩いていても、何の問題もなかったのだ。
城内は大理石だろうか。いかにも高価そうな石が使われていて、それがピカピカに磨かれていた。各所にフルフェイスの甲と鎧を装備した兵士が警備していて、何とも緊張感のある雰囲気だ。
程なく歩くと、部屋の前に出た。鎧を着た兵士たちがドアの前に立っている。彼らはシーズの姿を見つけると、持っていた槍をスッと顔の前に掲げた。どうやら、敬礼しているようだ。シーズは右手を挙げてそれに応えている。
兵士の一人が扉を開ける。中は豪華な応接室になっていた。部屋の左右にも扉があり、そこにも兵士が警備していた。シーズは迷うことなく左側の扉に向かって歩いて行く。
「遅くなりました」
「待っていましたよ」
部屋には、宰相、メゾ・クレールが大きな机を前にしながら座っていて、にこやかに俺たちを出迎えていた。彼は立ち上がって俺たちの許にやって来て、右手を差し出した。
「ようこそ。あなた方を歓迎します」
まるでこぼれるような笑顔に、思わず心を掴まれそうになりながら、彼の手を握る。宰相は一人一人に丁寧にあいさつと握手を交わしていく。
「もう、ニタク殿の屋敷には?」
「はい、今しがた」
宰相とシーズが短い会話を交わす。それだけで、宰相はすべてを察したようだった。彼は俺に向き直ると、ゆっくりと頷いた。
「大変でしたね」
「いっ……いえ……」
「無理をなさらなくていい。わかります。きっと、兄上からラッツ村の経営に関わりたい……とでも言われたのでしょう。あの方は、ラッツ村から上がってくる利益を横取りしたいのでしょう。何といっても、ユーティン子爵家の財政は火の車ですから」
宰相はまるであきらめきったような口ぶりだった。ふと、隣に控えているシーズに視線を向けると、彼もまた、呆れたような表情を浮かべていた。
「しかし、ご安心なさい。ラッツ村のことは、あなたの兄上の好きにはさせません。あの方には少し、懲りていただかないと……」
「宰相様」
突然、ヴァッシュが口を開く。メゾ・クレールは、優しい眼差しを彼女に向ける。
「ご実家で承りましたが、ラッツ村が直轄地となるというのは、本当でしょうか」
「ええ。本当です」
「と、いうことは、私や……主人は、ラッツ村から追い出されるということですね?」
「追い出すつもりなど毛頭ありませんよ」
「しかし、直轄地となったからには、私たちは……」
「その件については、追ってお話しいたします。あなた方は、何も心配することはありません。それよりも大切なのは、舞踏会です。あなた方が主賓となる舞踏会です。失敗は許されません」
宰相の気配が変わった。何とも迫力のある雰囲気だ。正直、怖い……。
「すでにシーズからお聞き及びかとは思いますが、取り急ぎ、主だった貴族たちへあいさつ廻りに向かってください。これについては、私も、シーズも同行は致しません。その理由は……わかりますね?」
……わかりますね、と言われても、俺にはさっぱりわからない。こういうのは、宰相なりシーズなりが一緒に行って、よろしくお願いしますと言うんじゃないのか?
「……ノスヤ・ヒーム・ユーティンという男が、利用価値があると認めさせるためですね?」
「まあ、そういうことです」
「ノスヤ・ヒーム・ユーティンという男が、敵国の軍総司令官……しかも、皇帝の一族につながる家の娘を娶ったというお披露目も兼ねている……」
「ご明察です」
……ヴァッシュ、すごいな。俺が聞きたいと思っていたことを、ちゃんと先回りして話してくれるとは! 何て頼れる奥さんだろうか。
俺は思わず、右手を握り締めた。




