第二百四十話 私よ私
「さささ、どうぞどうぞ。お屋敷の中は何も変わっておりません。お前が案内をする必要はないとお思いでしょうが、どうぞ、案内をさせてください」
執事長のキルガは両手を前に出しながら案内をしている。その表情からは、俺たちを迎えるのが本当にうれしいのだという感情が伝わってくる。
「おや? こちらがお噂の仔竜ですか!?」
俺の腕に抱かれているワオンを見て、キルガは頓狂な声を上げた。俺はどう返事をしていいのかがわからず、苦笑いを浮かべる。当のワオンは俺の胸に顔をうずめていて、キルガからはその顔を見ることはできない。一見すると子犬に見えるが、背中に生えた羽で、犬ではないことがわかるのだろう。
キルガは、ワオンの顔を覗き込もうとしたが、彼女は頑なにそれを拒んで、顔を背けている。彼はそれ以上深追いすることはせず、にこやかな笑みを浮かべながら、何度も頷いていた。
本家……ニタクの屋敷は、ちょっとよいホテルをイメージさせる作りだった。周囲には石垣のような壁が積まれているが、シーズの屋敷ほど広くはない。門を入ればすぐに玄関があり、そこから廊下を一つ曲がると、応接室があった。そこには二つの長椅子が向かい合って置かれていたが、どう考えても俺たち全員が座れる広さではなかった。キルガは、俺とヴァッシュにまず、椅子に座るように促し、少し戸惑った様子を見せた後、ハウオウルたちを俺たちに向かいの椅子に座らせた。そして、一旦部屋を出ていったかと思うと、大儀そうに一人掛けのソファーを持って来て、俺たちの前に置いた。
「さて、準備が整いました。しばらくお待ちください」
そう言って、キルガは部屋を出ていった。
「……シーズは来ていない?」
俺の問いかけに、皆、顔を見合わせている。一体どうしたんだ?
まあ、もう少しすれば来るだろう。そんなことを考えながら、キョロキョロと部屋を見廻す。
古い部屋だ。建物の規模としては、俺の屋敷を一回り大きくしたような感じだろうか。シーズの屋敷とは比べ物にならない。
部屋には暖炉があり、古ぼけた壺やはく製などが置かれているが、どれも古い。精一杯格式を強調している感じが否めない。ヴアッシュもゆっくりと部屋を見廻しているが、あまり感心はしていないようだ。
「お待たせしました」
コンコンと性急さを感じるようなノックが響き渡ったかと思うと、両手を前で合わせながらキルガが入室してきた。そのすぐ後を、こじゃれた格好をした男が入ってきた。どうやらこの男が、ニタクらしい。口元にニタリと笑みを浮かべているが、目は笑っていない。確かに、あまり雰囲気のいい男ではない。
「相変わらずキルガは騒々しい……。いや、お待たせしました」
彼の登場と共に俺たちは全員が起立した。ニタクはそんな俺たちを、まるで値踏みをするように眺めていたが、やがて、着席を促して、自分も席についた。
「久しぶりだな。しばらく見ない間に、少したくましくなったか? お前がこの家を出てラッツ村に行って、何年になるか……。お前の部屋は今でも誰も使っていない。後で見てみるといい。どうだ、懐かしいか?」
……何だか、支離滅裂な話し方だ。一体、何から答えていいのかがわからず、戸惑ってしまう。ニタクはそんな俺には構わず、隣のヴァッシュに視線を向けた。
「こちらが、お前の奥方かな?」
「申し遅れました。ヴァッシュロン・リヤン・インダークと申します。どうぞ今後ともよろしくお願い申し上げますわ」
ヴァッシュがスッと立がって挨拶をする。最後に胸に右手を添えて、小さくお辞儀をする。その所作が実に見事だ。
「ユーティン子爵家の当主、ニタク・ヒーム・ユーティンです。今後ともよしなに」
ヴァッシュの挨拶を受けて、ニタクが立ち上がり、口を開く。彼はヴァッシュに着席を促して、再び自身も席に着く。
「まさかお前が主催の舞踏会が開かれるなど、想像もしていなかったぞ。貴族の間では、お前のうわさで持ち切りだ。精々頑張って勤めるがいい。私も、知り合いの貴族たちに、お前のことをよく頼んでおいてやろう」
「あっ、ありがとうございます」
「……で、こちらの方々は?」
ニタクがクレイリーファラーズに視線を向け、顎をしゃくった。それを受けて、ハウオウルとパルテックが立ち上がり、一呼吸おいて、クレイリーファラーズが立ち上がった。
「いや、本来は弟が紹介せねばならぬのに……。気の利かぬ弟で申し訳ない」
そう言いながら、ニタクも再び立ち上がる。俺も彼らを紹介するために立ち上がろうとするが、ニタクは必要ないと、手で制した。
「いや、儂は、ハウオウルと申す。ご領主の友人と思ってくだされ」
「友人?」
「そうじゃ、友人。友人じゃ。ホッホッホ」
「申し遅れました、私は、ヴァシュロン様にお仕えします、パルテック・フィルと申す者でございます。ご領主様のお蔭をもちまして、ご当家にお仕えさせていただいております」
「ああ……そう、です、か」
何とも言えぬ表情をニタクは浮かべている。彼女にどう接していいのかがわからない素振りだ。彼は苦笑いを浮かべながら、クレイリーファラーズに視線を向ける。
「クレイリーファラーズでございます。お久しぶりでございます」
「クレイ?」
「クレイリーファラーズですよ。ほら、私です……」
クレイリーファラーズがずいっとニタクに顔を近づける。彼は驚いた表情を浮かべたが、やがて眼がトロンとなっていった。
「あー、クレイリーファラーズさんかー。家庭教師のクレイリーファラーズじゃないですかー。お久しぶりですねー。見違えがえがえるように、きれ、きれいになっているではないですかー。あー、お久しぶりですー」
……オイ、アンタ、何をしたんだ? しかも、ニタクさん、大事なところで噛んじゃってますけれど。




