第二百三十九話 いざ、本家へ
シーズは、舞踏会までにあいさつに廻る家について、指示を出し始めた。ヴァッシュはパルテックに目配せをすると、彼女は心得ていたとばかりに、どこからともなく紙とペンを取り出してメモしようとしていた。その様子を見て、シーズは満足そうな表情を浮かべながら、口を開いた。
「大丈夫だ。ちゃんとここに、挨拶に行くべき家々を書いた紙を用意しておいた」
そう言って、彼は俺の許に一枚の紙を差し出した。
「シーズ本家に行って……。宰相様にご挨拶に行った後で、これは……四公爵家かしら? その後……ツールー家、ニーシーズ家、そして……ギモルト家……」
俺の持つ紙を、ヴァッシュがのぞき込むようにして見ている。数えてみると、どうやら十数家の貴族に挨拶に行かねばならないようだ。
「まあ、そのうちの大半は、この屋敷からはさして遠くないところに屋敷を構えている。まずは、遠方の家から挨拶に行くといい。そうなると、ニタクの兄のところが最初になる」
シーズはフフフと含み笑いを浮かべる。
「あの……その、ニタクの兄……さん、のところへは……」
「今から行くとしようか」
「いっ、今からですか?」
「そうだ。早いに越したことはないだろう。王都に到着してすぐに挨拶に来ましたと言えば、周囲の聞こえもいいだろう」
「あの……ニタク兄さんは……」
「兄さん? 決まっているだろう。それなりに嫌味なことは言われるだろう。そのくらいのこと、お前も予想がつくだろう?」
「あっ、はい、まあ……」
「心配するな。私も一緒に行くのだ。悪い話にはならないだろう。それに、時間の無駄はしてはならない。兄と話をするなど、時間の無駄以外の何物でもないだろう。できるだけ早く終わらせて、メゾ・クレール様にご挨拶に行かねばならない」
そう言うとシーズは立ち上がり、パンパンと手を二回打った。すると、扉が開き、俺たちを案内してくれた初老の男性が現れた。
「この屋敷で執事を勤めているブリトーだ。私が不在のときは、このブリトーに用事を言いつけてくれて構わない」
シーズの言葉を受けて、男は恭しく一礼する。
「これから、ニタク兄の屋敷に向かう。馬車を用意しろ」
そう言ってシーズは部屋を後にしていった。俺はぽかんと口を開けたまま、その背中を見送った。
「皆様もどうぞ、馬車にご案内いたします」
ブリトーの言葉でハッと我に返る。皆立ち上がって、部屋を出ていこうとする。俺は皆の一番後ろから付いて行く形になった。と、目の前にクレイリーファラーズがいた。
「何ですか!?」
「何ですかじゃないよ。ちゃんとフォローしなさいよ」
「フォロー?」
「シーズの話の半分くらいしかわからなかったよ。公爵家とか何だよ?」
「ああ、長くなりますよ?」
「手短に説明して」
「無理です」
「……その、今から行くニタクの屋敷は、そんなに遠いの?」
「知らないです」
……ポンコツ野郎が。全く役に立っていないじゃないか。
「何をしているの? 早く行くわよ」
クレイリーファラーズと小さな声で喋っていると、廊下の先でヴァッシュが呼んでいた。俺は、クレイリーファラーズにわかる範囲で、できるだけ俺にアドバイスを送るように言って、ヴァッシュの許に小走りで走っていった。背中から「面倒臭い」という声が聞こえたような気がしたが、空耳だったと思うことにする。
馬車に乗り込むと、まるで俺たちを待っていたかのように、あわただしく走り始めた。この王都、特に、このシーズの屋敷の周辺は、石畳になっていて、けっこう馬車が揺れる。慣れないせいか、その揺れ方がどうも気持ちが悪い。あまり満腹で馬車には乗らない方がよさそうだ。
相変わらず、ヴァッシュもワオンも、じっと窓の外を眺めている。二人には、この揺れは問題がないようだ。
元来た道を戻っているのか、再び、兵士がいるゲートをいくつかくぐる。何回目のゲートをくぐったときだろうか、ヴァッシュがポツリと呟いた。
「認めていただけるかしら」
「え?」
「ご実家に、ご当主様に、あなたの妻と認めていただけるかしら?」
「実家は関係ないだろう」
「そうだけれど……」
「どうしたんだ、ヴァッシュらしくないな。シーズや宰相が認めているんだから、ヴァッシュは俺の妻だ。もし、何か言われても、気にすることはないんだ」
「……」
ヴァッシュは再び視線を窓の外に向けた。何だか、雰囲気が暗くなってきたので、話題を変えることにする。
「それにしても、遠いな。まだ着かないのか」
ヴァッシュは、チラリと俺に視線を向け、優しく微笑みかけてくれたが、やがて視線を元に戻した。
それからしばらくして、馬車が停まった。窓の外を見ると、石垣のような壁が見えていた。
馭者が扉を開けてくれ、俺たちは馬車から降りた。すると、すぐ目の前に門があり、それがゆっくりと開いていくところだった。
「おお~ノスヤ様! 久しくお目にかからぬ間に、何とご立派になられて~!」
門を開けていた男が、俺を見て懐かしそうな声を上げる。誰だかわからないが、どうやらノスヤ君と親しい人であることはわかる。取り敢えず、愛想笑いを浮かべながら挨拶をする。
「た、ただ今、戻りました」
「お帰りなされませ」
男は満面の笑みで頷くと、後ろに控えていたヴァッシュに視線を向けた。
「おお! あなた様がノスヤ様の奥方となられた、ヴァシュロン様でございますか! お初にお目にかかります。私、この家で執事長を勤めます、キルガと申します」
「キルガさんですね。ヴァシュロン・リヤン・インダークです。今後ともよろしくお願いします」
「何と丁寧なごあいさつをいただき……。ありがとうございます。ささ、ここでは何ですから中へ。どうぞどうそ」
キルガと名乗る男は、足早に屋敷に入っていった。俺はヴァッシュと顔を見合わせながら、男の後に付いて行った。




