第二百三十五話 覚えていやがれ
「何よ、一体どうしたのよ?」
ヴァッシュが驚いている。笑ってはいけないと思いながらも、クレイリーファラーズの言葉があまりにも面白すぎたのだ。「キュート」って何だ。どの口が言いやがるのだ。
そんな俺にクレイリーファラーズは、相変わらずジトっとした目で睨んでいる。
「な、に、が、おかしいのですか?」
「おかしいさ。おかしすぎるよ」
「ほ~う。そんなに私の話がおかしかったのですか?」
「いや、話じゃない」
「へぇ……では、何が?」
「アンタの考え方だよ」
おおっ、クレイリーファラーズが目をカッと見開いている。これは……色んな意味で怖い。彼女はその猟奇的な表情のまま、ヴァッシュに向き直る。
「今日から私のことは、キュートさん。よろしいですね?」
あまりのことに、さすがのヴァッシュも固まってしまっている。そんな彼女を俺は手招きをして呼び寄せる。
「ヴァッシュ、ちょっと……」
「え?」
彼女に耳打ちをする。だが、俺の言っていることが理解できないために、ヴァッシュは何とも言えぬ表情を湛えたまま、首を傾げている。
「いいから。大丈夫だから」
「……」
俺は笑顔で頷く。そして再びクレイリーファラーズに向き直る。
「いやね、キュートってのはちょっと違うと思うのですよ」
「ほう、それは、どういう意味ですか?」
「キュートっていうのは、俺の中で何だか……子供チックな? 小さな子供がかわいい……みたいなイメージなのですよ。まさか、それを狙っているわけじゃないでしょ?」
「……」
「だとすれば、ですよ。もう少し、違う言葉に置き換えた方がいいと思いましてね」
「例えば?」
「プリティーってのはどうです?」
「プリティーぃ? それこそ子供っぽいでしょ!」
「そうかな? 俺のイメージではあの……ほら、実業家とコールガールの物語を思い出すのですけれどね。チャラチャラ~チャチャチャチャッチャー♪ みたいな……」
「……まあまあですね」
「何?」
「ジュリアですか……まあまあってところですよね。私と髪の毛の色と……スタイルが似ているくらいですか? どうしても、というのであれば、仕方がないので、それで妥協しますけれど?」
「……なんて強気な」
「何ですって?」
「何でもないですよ」
周囲で見ている分には面白い会話なのかもしれないが、直接対峙していると、どんどんストレスがたまってくるのがよくわかる。この天巫女は、時にこんな強気な発言をしてくる。最初は、単にスネているだけだろうと思っていたが、ここ最近はマジでそう思っているのではないかと思うようになってきた。確かに、ウォーリアへのプロポーズ大作戦のときにかなり痩せたが、今はいい感じで戻って来ている。もしかして、じっくり鏡を見られていないのだろうか。
「あの……」
ヴァッシュが戸惑いながら話しかけてくる。それはそうだ。彼女にしてみれば、俺とクレイリーファラーズの会話は、何のことだかわからないだろう。
「ああ、ごめん。いいよ、今日からクレイリーファラーズはプリティーと呼ぶことになった」
「わかったわ。じゃあ、よろしくね、プリティーさん」
そう言ってヴァッシュは両手の握りこぶしを合わせて、まるで剣道の面を打つような仕草をみせた。クレイリーファラーズは相変わらずジト目でその様子を眺めていたが、やがて、ゆっくりと口を開く。
「よろしくお願いします」
そう言って彼女は、スタスタと部屋を後にしていった。
「本当にあれでいいの?」
ヴァッシュが怪訝そうな表情で尋ねている。俺は笑顔を浮かべながら、ゆっくりと頷く。
「いいんだ、いいんだ。あれで十分大丈夫」
「プリティーさん、って呼ぶたびに、このポーズを取らなきゃいけないの? 何だか……」
「ああ。次からは別にそのポーズは取らなくてもいいよ。そうだな……。イラッとしたときに、そのポーズで呼びかけるといい」
「別に私は……」
「いいのいいの。ほら、かわいいんだから、みたいな感じで、窘める感じになるから」
「う~ん」
「まあ、難しく考えないで。プリティーってかわいいって意味には間違いないんだから」
「何か、違う気がするんだけれど……」
「気にしない気にしない。さあ、着替えにかかろう。ヴァッシュはドレスを着るんだろう? 俺も手伝うよ。ね?」
「そうやって、私の体を明るいところで見ようとしているのね?」
「そんなことはない。見たいか見たくないかと言われれば見たいけれど、今は、君の着替えを手伝いたいという思いの方が強い」
「……バカ」
ヴァッシュは少し顔を赤らめながら、俺から視線を外した。
◆ ◆ ◆
「ふぅ~」
朝食を平らげたクレイリーファラーズは、何とも言えぬ満足感を覚えていた。その彼女をパルテックはにこやかな笑みを浮かべながら眺めている。
クレイリーファラーズは、この旅が予想以上に快適だったことに満足していた。何より、どの宿屋も、朝食はパンが食べ放題なのだ。多くの種類の焼き立てのパンが運び込まれ、その中から好きなものを好きなだけ食べられるのだ。このシステムに、クレイリーファラーズは感動すら覚えていた。
空腹が満たされたお陰で、心も落ち着いてきた。何より、これから自分のことを「プリティー」と呼ばれるのだ。つまり、ジュリアと呼ばれるのと同じになるのだ。
ジュリアか……悪くない。あの映画の衣装を拵えてみようかしら……。そんなことを考えていると、ふと、ヴァシュロンの取っていたポーズが気になった。あれは一体、何だろうか。
……もしかして、ナガシマ?
「野郎っ!」
突然立ち上がったクレイリーファラーズを見て、パルテックが驚いている。そんな老婆には目もくれず、クレイリーファラーズは覚えていろよと、握る拳に力を籠めるのだった。




