第二百三十三話 順調
空には満天の星が煌めいていた。そのあまりの美しさに、思わずため息をつく。
「何をしているの?」
背後で声が聞こえた。振り返ると、パジャマ姿のヴァッシュが立っていた。風呂で十分に温まったのだろう。顔全体がピンク色に紅潮していて、とても色っぽい。そんな彼女に小さく微笑みを返すと、再び窓の外に視線を向ける。
「星がきれいだな、と思ってさ」
「星?」
不思議そうな表情を浮かべながらヴァッシュが俺の隣にやって来る。そして、窓の外に視線を向ける。彼女のいい香りが鼻をくすぐる。
「王都に近づいたのね」
「え?」
「ラッツ村で見る星とは、少し違うわ」
「そうなの?」
「村で見る星の方が、遥かにきれいだわ」
「へえ……」
「さあ、寝ましょ。明日は早く出発しないといけないわ」
「……そうだな」
ヴァッシュはそう言ってベッドに横になる。俺は再び、窓の外に視線を向けた。
◆ ◆ ◆
ラッツ村を出てから一週間。王都までの旅は順調そのものだった。特に天候が荒れるわけでもなく、誰かが病気になるわけでもなく、いたって平和な旅だったのだ。
一番心配していたのが、仔竜のワオンだったのだが、彼女はご機嫌で旅を楽しんでいたようだった。何より、彼女を連れていたことで、得をすることが多かったのだ。
俺たちは朝、街を出発して夕方に次の街に着くというスケジュールで移動していた。大体、街に到着するのは、夕方になる前、午後四時ごろだった。到着するとすぐにパルテックが宿の手配に走る。彼女のブッキングは早く、そして的確だった。ちゃんと二台の馬車が止められるだけの広さを持った、その街の一番いい宿屋を探し出してきてくるのだ。しかも、小さな街であっても、それなりの格式を持っている宿屋だ。
聞いた話では、宿屋というのは場所によると、相手を値踏みして法外な値段を吹っかけてきたり、ぞんざいな対応を取ったりするところもあるそうだが、そうしたことは全くなく、どこも下にも置かない対応だった。その原因の一つが、ワオンだった。
仔竜を見ると、きまって宿屋の人間は目を丸くして驚く。そして、それが合図であったかのようにパルテックが俺を、ラッツ村の領主である、ノスヤ・ヒーム・ユーティンであると紹介するのだ。そうすると、ことごとくの宿屋がVIP待遇になった。
俺とヴァッシュは常に一番広くていい部屋を用意され、食事も一番いいものを用意してもらえたのだ。どこの食事も美味く、大満足だった。
同行しているパルテックたちも、それぞれ個室を用意されて快適な旅を楽しんだようだ。心配したクレイリーファラーズも、大きな問題を起こすことはなかった。何故かセレブの夫人のように振舞うようになって、出発のときなどは、見送りに出た宿屋の主人に、昨日の食事はソースが美味しかっただの、肉の焼き加減がどうのと蘊蓄を垂れ、決まって最後は、「美味しゅうございました」といって馬車に乗り込むのだった。
ここ二、三日は、ちょっとしたコツを覚えたようで、宿屋に着くと決まって二人前の食事を用意するようにお願いするようになっていた。その口上が振るっている。
「私は、ノスヤ様の家庭教師でございます。ご領主様と奥方様が召し上がる食事はまず、私が毒味をすることになっております。こちらのお宿に限って、そうした心配はないかとは思いますが、これも仕来りゆえ、ご容赦ください」
そう言って、ちゃっかり夕食を二人前せしめていたのだった。
馬車での移動は必ずパルテックの隣に座って、ハウオウルからセクハラを受けないようにしているようだ。たまに、ハウオウルがエロい目で自分を見ていて、エロい妄想をしている……などと俺の頭にメッセージを送ってくるが、相手にしないことにしている。
一つ、問題を上げるとすれば、クレイリーファラーズは行く先々の街で買い物をすることだ。それ、使う? というようなものまで買い込んでくるために、彼女の乗る馬車にこれ以上荷物が積み込めなくなってしまっている。きっと、帰るころにはその大半を捨てることになるのかもしれない。
天候や悪路……魔物や盗賊など、色々な事態を想定していたのだが、そうしたことは全く起こらず、当初は二週間を予定していたのだが、その半分の日程で王都の一歩手前までたどり着くことができた。さすがにこれには兄のシーズが驚いていた。
彼はこの街に使者を派遣してきて、王都に着いたらまず、自分の屋敷に来るようにと言ってきていた。そして、舞踏会に必要なものについては、本番まで二週間以上あるために、王都で十分そろえることができるから安心するようにとことづけていた。
俺は本家に挨拶に行くにはいくが、滞在は基本的に宿屋で滞在しようと考えていた。だが、ヴァッシュ曰く、それはあり得ないことなのだという。基本的に本家に滞在するのが普通なのだという。それを聞いてかなり憂鬱になっていたのだが、シーズは自分の屋敷に滞在して構わないとも言ってくれたのだ。あまり、好きな人ではないが、全く知らない人と過ごすよりは遥かにマシだ。ヴァッシュは、シーズに任せておけばいいと言う。俺も彼女の言葉に従うことにしたのだった。
煌めく星を見ながらベッドに横になる。目の前にはヴァッシュの美しい顔があった。俺は優しく彼女の体を抱きしめるのだった……。




