第二百二十五話 お助け
「先生……わざわざおいでいただいて……」
俺はは思わず笑顔を浮かべた。この人を見ていると、何だか安心するのだ。彼は笑みを絶やさぬまま、呵々大笑する。
「カッカッカ! レークから、ご領主が王都に向かうと聞いたのでな。なんでも、今夜か、遅くとも明日の朝には出発するというではないか。最後の挨拶をしておかねばと思ったのじゃ」
「最後だなんて、そんな……。ひと月……遅くとも、ふた月後には帰ってきますから、それまではこの村にいてくださいね」
「まあ、ご領主がおいでのかぎりは、この村を動くつもりはないがの。儂も年じゃ。いつ神の許に召されるか、わかったものではないからな」
「そんな、ご冗談を……」
「ねぇ……」
俺の後ろから、ヴァッシュが申し訳なさそうに声をかける。
「せっかくいらしていただいたのよ。中に入っていただいたら?」
「いやいや、奥方。すぐに帰るでな。儂には構わんでええ」
「そんな、先生。どうぞ中にお入りください。……そうだ。折り入って相談に乗っていただきたいことがあるのです。どうぞ、中に」
「相談? 何じゃろうな」
ハウオウルは髭を撫でながら、俺たちの後に続いた。
「チッ……」
ハウオウルの姿を見た瞬間、クレイリーファラーズは誰にも聞こえる程の音を立てて舌打ちをした。そんな彼女にも、ハウオウルはにこやかに話しかける。
「やあ、お嬢ちゃん。おや……ちょっと、太ったかの?」
「はあ? あなたと会ったのは、つい数日前です。そんな短期間に太るわけないでしょ! 女子に対して失礼ですよ!」
「カッカッカ! そうか。最近、目が悪くなったからの。気のせいであれば、それでええ。ところで……今日も白かの?」
まるで汚いものを見るかのような表情で、クレイリーファラーズはハウオウルを睨みつける。その振る舞いのせいで、今日も白の下着を着用していることがバレバレになってしまっているが、彼女はそれに気が付いていない。
「ところで、相談というのは、何かの?」
ダイニングの隅で様子を眺めているワオンに、手を振りながら椅子に座ったハウオウルは、少し真剣な表情を浮かべて口を開いた。俺とヴァッシュは彼の前に並んで座り、二人で顔を見合わせながら口を開く。
「いえ、王都に連れて行く人のことなのですが……」
「ほう」
「俺とヴァッシュ、そして、パルテックさん、ワオン……この他にも連れて行った方がいい人がいますか?」
「それは……ご領主が好きに決めたらええと思うぞい」
「そうですか……。実は、そこにいるクレイリーファラーズ……さんを連れて行こうかどうかを迷っていまして……」
ハウオウルの背中越しに立っているクレイリーファラーズが、眼を見開いている。
「このお嬢ちゃんは確か……ご領主の家庭教師だったんじゃな? ということは……ご本家にもつながりがあるじゃろう。連れて行くのは……」
「うっせぇな、黙っていろよ」
「ほ?」
「あっ、イヤ、何でもありません。大丈夫です、続けてください」
……クレイリーファラーズがうるさいのだ。さっきから俺の頭の中にガンガンメッセージを送ってきていたのだ。お陰でハウオウルの話が頭に入ってこない。
『ジジイもいいって言っているじゃないですか~。たまにはいいこと言うじゃないこのジジイ。さあ、王都に行きましょう~。王都~王都~王都で上手いものを食べる~王都でうまい酒を飲む~そして、王都で嘔吐~♪』
……こんな話が頭の中で鳴り響いているのだ。俺がうるさいと思わず呟くのも、わかってもらえるだろうか。
「まあ、このお嬢ちゃんを連れて行くのは、悪いとは思わんぞい」
ハウオウルはそう言って話を締めくくった。そのとき、俺の頭の中に一つのアイデアが思い浮かんだ。
「先生、恐れ入りますが、先生も王都に一緒に行っていただけませんか?」
「ほ? 儂……か!?」
「はい、是非、お願いしたいのです。こう言っては何ですが、先生はいろんなことをご存知です。いえ、ヴァッシュやパルテックさんがダメ、というわけではありません。ただ……相談相手が多ければ多いほどいいんじゃないか……。そう思うのです。無理なお願いなのはよくわかっています。ですが、そこを曲げて、俺のわがままを聞いていただけませんか」
そう言って俺は頭を下げる。ハウオウルは、髭を撫でながら呆然と俺を眺めている。そして……その後ろで、クレイリーファラーズは、殺意を込めた視線を俺に投げかけていた。
『ちょっと待ってください。なんでこのジジイを連れて行くんですか! いらないでしょ! 小娘とババアだけでも面倒くさいのに、どうしてさらに面倒ごとをしょい込むんですか! やめましょ、このジジイは、やめときましょ!』
およそ神に仕える天巫女とは思えない程の罵詈雑言が俺の頭の中に響き渡る。コイツは本当に天巫女なのか。単なる堕天使じゃないのか……。イヤ、堕天使なんていう萌えを連想させるものじゃないな。ああ、うるせぇな……。
そんなことを思いながら俺は、頭を振る。
「ご領主」
ハウオウルの落ち着いた声が聞こえた。俺は居住まいを正して、彼に向き直る。ハウオウルはニコリと笑うと、再びいつもの明るい声に戻って、口を開いた。
「ご領主の頼みじゃ、仕方ないのう」
「じゃあ、先生……」
「儂も王都にお供するぞい」
クレイリーファラーズの表情が、どんどん強張っていく……。




