第二百二十二話 賊が入った?
「へぇ?」
頓狂な声を上げているのは、クレイリーファラーズだった。彼女の目の前には、にこやかな笑みを浮かべたウォーリアの姿があった。
「その様子では、ご存じなかったのですね。失礼しました。追っ付け、ご領主様から知らせがあるでしょう」
彼はそれだけ言うと、仕事に戻って行った。彼女はヤレヤレと呆れた表情を浮かべながら、誰に言うともなく呟いた。
「いよいよ王都に行くのですね。きっと、わかっていないことも多いでしょうから、私が詳しく言っておかないといけませんね……」
クレイリーファラーズはスッと立ち上がり、足早に自室を出ていった。
人ごみの中、ゆっくりとした足取りでノスヤの屋敷に向かう。本当はすべての準備が整う前に着きたいのだが、人が多すぎて早く歩くことができない。ここ最近はめっきり人が多くなった気がする。避難所として作られたこの場所も、もはや村というより町に近い状態になってきていた。
「やあ、クレイリーさん」
「どうも~」
歩いていると、顔見知りに声を掛けられる。誰だっけ? と思いながらも、にこやかに挨拶を返す。正直、面倒くさい。だが、自分は天巫女なのだ。常に人々の天使でなければならない。うっせぇよ、誰だよテメェ。気安く声かけてんじゃねぇよ……などと言えるわけもないし、そんなことは思ってもいけないのだ。
彼女はため息をつきながら屋敷へと急ぐ。途中、何度か人にぶつかりそうになり、小さく舌打ちをしながら歩いていたので、ストレスのためか、少し呼吸が乱れてしまっている。何だか、急いで来たと思われるのもイヤだわ。そんなことを思っていると、屋敷が目の前に迫ってきた。
ゆっくりと深呼吸して息を整える。そして、ゆっくりと玄関の扉を開けた。
……屋敷の中は誰もいなかった。普段であればレークが元気よく飛び出してきて、ダイニングに案内してくれるのだが、その彼女すら出てこない。そうだ、王都に行くための準備をしているのだ。きっと、村中を駆け回っているのだろう。そんなことを考えながら、彼女は屋敷に入り、ダイニングに向かう。
……人の気配がする。ついさっきまで、ここで誰かが食事などを摂っていたような気配がするのだ。誰かいるのだろうか。彼女は訝りながら周囲を見廻す。
「いいな」
彼女の耳に、そんな言葉が聞こえた。これは……どうやら、ノスヤの部屋から聞こえてきたようだ。クレイリーファラーズは、部屋の前に行き、聞き耳を立てる。
「じゃあ、脱ごうか」
えっ!? 一瞬、顔が硬直する。まだ、真昼間だ。こんなときに……? いや、こんなときだからか。二人とも若いから、そうなるのは当然だ……。そんなことを思いながら、クレイリーファラーズはゆっくりと扉に耳を付ける。
いや、当然、空気を読んでこの場を後にしなければならないのはわかっている。わかっているが、それはそれ、これはこれだ。一応、自分の予測が正しかったのかどうかを確認しなければならない。そう、確認が必要なのです……。クレイリーファラーズはドキドキと胸を高鳴らせながら、耳に全神経を集中させる。
「いいよ、俺が脱がせてあげるよ」
……確かに、脱がせる、という声が聞こえた。目つきの鋭いあの小娘は嫌がっているのだろうか。それはそうだろう。こんな明るい時間からというのは、やはり恥ずかしいだろう。それに、いつ、レークが帰ってこないかが気になるだろう。よく見ると、あのババアも姿が見当たらない。なるほど、だから、か。しかし、私という存在を忘れている。ダメですよ、油断しちゃ。いやでも、誰もいなくなったと思ったら、居てもたってもいられなくなっちゃったのですね。全く若いんだから……。
そんなことを思いながら、彼女の耳にはシュルシュルと衣擦れの音がする。部屋の中はどんな様子だろうか。頭の中で妄想を膨らませる……。
「おわっ!?」
突然、クレイリーファラーズは体のバランスを崩して、前のめりに倒れた。ふと気が付くと、目の間にはノスヤとヴァシュロンの姿があった。二人とも服を着ている。
「……何やってんだ、アンタ?」
まるで汚いものを見るかのようなノスヤの視線が痛い。クレイリーファラーズはまるで何事もなかったかのように立ち上がる。
「よかった」
「何? 何がよかったんだ?」
「いえね、部屋の中から何やら人の声がしましたので、まさか賊が入ったのかと思ったのですよ」
「ハア? 賊だぁ?」
「そうです。賊です、賊。誰だってそう思うでしょ。屋敷の中には誰もいないのに、あなたの部屋から声が聞こえるのです。誰だって賊だと思うじゃないですか。もしかして、賊に襲われていたら、助けを呼びに行かなきゃいけないでしょ? だから……」
「部屋の前でしゃがんでいたと? ごめんください、とか、おはようございます、とか言っていただければ、ちゃんと出迎えたのに」
「いっ、いっ、いっ、言いました」
「本当に?」
「言いましたよ。オハヨウゴザイマスって。本当に、本当ですってば。ガチです。マジガチです。神に誓ってもいいです」
「そうか……」
「あの……」
「何だよ」
「何か、ごめんなさい? 二人の邪魔をしたみたいで」
「何言ってるんだ。ヴァッシュの服の試着をしていただけだ。上に羽織るジャケットを合わせていただけですよ」
「何だ」
「何だとは何だよ」
「いっ、いや……。でも、よかったです。賊じゃなくて。安心したら何だか、体がゾクゾクしてきちゃいました。ハハハハ」
ひきつった笑みを浮かべながらクレイリーファラーズは踵を返した。そんな彼女を二人は首をかしげながら、見つめあうのだった。




