第二百十八話 提案
二人の天巫女がにらみ合っている。というより、ボーヤノヒは、あなたなんか相手にしていませんよと言わんばかりに、髪の毛をくるくると弄りながら、あらぬ方向に視線を向けている。
「ま……まあ、落ち着け二人とも」
老人が面倒くさそうに二人に声をかけている。そして、ボーヤノヒのスカートの裾を引っ張り、彼女を椅子に座らせる。そのとき、スッと彼女のお尻に手をやっていた。
「……チッ」
クレイリーファラーズが再び舌打ちをする。だからやめなさいってば。
「聞いた通りじゃ。クレイリーファラーズのヤツが仕事をせんかったお蔭で、ヴァシュロンの魂はこの世に留まることになってしもうた。そこで相談なのじゃが……」
老人がズイッと体を前に乗り出してくる。
「一旦、ヴァシュロンと別れてはくれまいか?」
「は? ちょっと……意味が分かんないですが? 別れるって、どうするのです?」
「まあ、そうじゃろうな。別れるというより、この娘の記憶を消す。しかる後に魂を天上界に召すのじゃ」
老人はそう言って肩を落とす。そして、再び俺に視線を向ける。
「実はな、ヴァシュロンの魂は、天上界に召されてすぐに、別の国で人間として生まれ変わる予定となっておったのじゃ。仲の良い夫婦でな。なかなか子供が授からんかったところに、この子が生まれ変わるのじゃ。夫婦はそれこそ、目に入れてもいたくないほどにこの子を可愛がり、温かい家庭の中で育つことになる」
「そんなことを言われても……」
「まあ、聞け。その子は将来、賢者となってその国を救う」
「……」
「儂も、そこいらのことならば黙って見過ごすこともできたのじゃが、運命が運命だけにな……。これには、将来の多くの人の命がかかっておるのじゃよ。今なら間に合うのじゃ」
そう言って老人は髭を撫でる。
「すみません。であれば、強制的にヴァッシュの命を奪うこともできたはずでしょ? なのに、俺のところにわざわざ来て、そんなことを説明されるのがわかりません」
「道理じゃ。いや、お主たち二人は、すでに夫婦になってしまっておる……。しかも、魂が繋がり合ってしまっておるのじゃよ」
「ええっ?」
「これもまた、珍しいことでな。よほど相性が良くないと、こんなことは起こらんのじゃ。二人の魂が繋がり合っておるために、ヴァシュロンの命を神の力で奪うと、そなたもダメージを受けてしまう。下手をすると死にかねんのじゃ」
「ど……どうしても、ヴァッシュの命を奪わねばならないと言うのなら、俺の命も奪ってもらえませんか。この生活は気に入ってはいますが……。元々、転生する気などなかったのですから、プラマイゼロです」
「いや、そなたの命を奪ってしまっては、せっかく隠したクレイリーファラーズのミスがバレてしまう……というより、また運命が大きく変わってしまう。それは、避けたい」
「そんな勝手なことを言われても……。俺は……ヴァッシュと別れる気はない」
「うむむむ……」
老人は困り果てた表情を浮かべている。イヤだ。せっかく大好きな女性と一緒になれたのだ。新婚まだ、数日だぞ? そんな中で別れろ、しかも命を天に召すなど、絶対に受け入れられることではない。
「ねえ……本当に神様なの? もし、本当なら、神の思し召しなら、私の……」
「黙っていろ」
自分でも驚くような迫力のある声が出ていた。ヴァシュロンが何だか、慄いているように見える。
とはいえ、他に何かいい案があるのかと言われれば、正直それは即答できない。だが、この老人の話を受け入れるわけには、いかない。
「一体何を悩んでんだか。簡単じゃない」
突然声を上げているのは、クレイリーファラーズだ。全員の視線が彼女に集まる。偶然だろうか、全員が、黙っていろよ、お前。と言っている気がする。
「要は、転生先にちゃんと魂が行けばいいのでしょ? 簡単じゃないですか」
「お主、簡単に言うが、そんなに簡単にコトは運ばんのじゃ。簡単にできることならば、とっくに儂がやっておるわ!」
「そんなに怒らなくてもいいじゃないですか。いや、その、クレイドルでしたっけ? 変態野郎の運命はどうなるのです?」
「ヴァシュロンと同じように、後に年端もいかぬ少女を虐待の上、殺してしまい、その父親に殺される」
「なら、さきにその変態野郎の魂を召喚して、その賢者になる家に転生させればいいじゃないですか」
「ああん? そんな者を転生させてはじゃな……」
「天上界で魂は一旦浄化されるのでしょ? その状態で転生させればいいじゃないですか。本来、そんな変態野郎は罰を受けねばなりませんが、いきなり魂を召してしまったことと相殺してやればいいのです。ヤツにとってはお釣りがくる程の好待遇じゃないですか。それに、人格は両親の教育が大きな影響を及ぼします。現世ではクズ野郎でも、立派な、愛情に満ちた過程で教育されれば、いい賢者に育つんじゃないですか?」
いいこと言うじゃないですか。本当にクレイリーファラーズか? 彼女の後ろからまるで、後光が差しているかのようだ……。




