第二百十六話 マズイことになってた?
「まいったのう……」
一人の老人が、ポリポリと頭を掻いている。彼は手元の本を見ながら、小さな声で呟いている。そんな彼の傍に、一人の若い女性が近づいて来た。
「どうかされましたか?」
「ボーヤノヒか。ちょっと、予想だにせんことが起こってな。これのことじゃよ……」
老人は女性に分厚い本を見せる。
「あらあらあら。これは……大変なことになっちゃっていますね」
「う~ん。何でこんなことが起こるんじゃろうな?」
「そんなことを言われても……」
「仕方がない。やるしかないじゃろうな」
「やるって、何をですか?」
「儂が直接会おう」
「ええええ!?」
「あまり、褒められた行為ではないが、仕方がなかろう」
「はああ……」
老人は、呆然とした表情を浮かべる女性をチラリと横目で見ながら、大きなため息をつくのだった。
◆ ◆ ◆
「……おはよう」
「……おはよう」
目覚めたのが、同時だった。お互い抱き合ったままで目覚めるというのは、何ともうれしいような、恥ずかしいような感覚だ。彼女も同じらしい。顔を赤らめたかと思うと、モソモソと毛布で顔を隠してしまった。
「まだ、もう少し、寝ていようか」
「……うん」
毛布の中から声が聞こえる。俺は毛布ごと彼女を抱きしめる。そのとき、何やらお腹の鳴る音が聞こえた。
「もしかして、お腹すいてる?」
「……」
「朝食を、作ろうか?」
しばらくすると、毛布がコクリと頷いた。俺はニコリと笑いながら、静かにベッドから出る。そして着替えながら彼女に声をかける。
「出来たら呼ぶから、それまで寝てな」
「……ありがとう」
毛布の中から声が聞こえた。
「さあ~て、今日は何を作ろうかな」
そんなことを言いながら俺は、キッチンへと向かう。色々と物色してみながら、何か新しいメニューは作れないだろうかと考える。ふと、ハチミツが目に留まった。これにしよう。
パンを焼きながらサラダを作る。そろそろ夏野菜が届くころだ。今日か明後日には、新鮮なトマトが食べられるだろうか。そんなことを考えながら、ちゃっちゃと作っていく。
パンが焼きあがるいい香りがしてきた。それを皿に移し、俺はソメスの実を裏の畑に取りに行く。それを綺麗に剥いて、適当な大きさに切り、パンの上にまぶす。その上からハチミツをたっぷりとかける。
「おはよう」
「きゅっ、きゅううう……」
ヴァシュロンとワオンが一緒に起きてきた。ヴァシュロンはまだ眠そうだ。一方のワオンは、早く食べたいのか、尻尾と羽を動かして、目を輝かせている。
「さあ、できたぞ。食べよう」
「……ありがとう。明日は、私が作るわ」
「無理しないでいいよ」
そんな会話を交わしながら、食事をテーブルに運ぶ。ワオンはすでにパンにかぶりついている。
「……うん、美味しいわ」
「そう言ってもらえると、うれしいよ」
バン!
突然玄関が開く音がした。一体何だと思っていると、ドタドタと足音が聞こえる。そして、ダイニングの扉を開けて入ってきたのは、何とクレイリーファラーズだった。
「来た? 来た?」
「ちょっと……なんですか?」
「来るって言っているじゃない! あの野郎……何を考えてんだか!」
「ちょっと落ち着いてください」
「落ち着けるかよ!」
ものすごい剣幕で俺を睨んでくる。あまりの迫力に俺は言葉を失う。
「ちょっと、何なのよ? いきなり朝から訪ねてきたと思ったら、大声を上げて……。そんな声を出さなくても……」
「黙っていろよ!」
「黙るのはお前じゃ」
突然、男性の声が聞こえる。気が付くと、白い服を着た老人が俺たちの前に立ち尽くしていた。その後ろには、老人と同じ白い服を着た、見目麗しい美少女が控えていた。この二人は一体……?
「久しぶりじゃな」
「え? え? どなたです?」
俺の声に老人は目を剥いて驚いている。
「まさか……儂の顔を覚えておらんとは……」
彼はオドオドとした様子を一瞬見せたが、やがて落ち着きを取り戻した。
「まあ、何じゃ。時間もないことじゃし、手短に話をしようか」
「あの……どなた様で?」
「ノスヤ様、神様ですよ」
美少女がウインクをしながら俺に話しかけてくる。
「かっ……神様?」
「はあっ?」
ヴァシュロンが驚きの声を上げている。老人はゆっくりと頷いた。
「ま、立ち話も何じゃからな。すこし、座らせてもらおうかの」
そう言って彼は、ダイニングの椅子に腰を下ろした。
「……食事中、すまんかったの」
神様と美少女が俺たちの前に並んで座る。うん、そうだ。俺をこの世界に転生させたのは、確かにこんなおじいちゃんだった。でも、突然現れたのは一体何事だろうか? そんな気持ちを感じ取ったのか、彼はゆっくりと口を開いた。
「いや、ちょっとマズイことが起こっての。本来、儂がこの世界に降りてくるなどというのは、あってはならぬことなのじゃが、緊急事態なのじゃ。悪く思わんでくれ」
「は……はあ。その緊急事態というのは、何でしょうか? まさか俺のことでしょうか?」
「いやいや、お主のことではない」
彼は一旦言葉を切ると、オホンと咳ばらいをして、再び口を開く。
「他でもない、お主の隣にいるその、ヴァシュロン殿のことじゃよ」
「はあ? ヴァッシュの!?」
俺たちは思わず、顔を見合わせた。




