第二百十話 引っ越し
……特に何ともない。性欲を返してもらったとはいうものの、エロいことをしたいという思いは微塵もない。
「ま、いっか」
誰に言うともなくそう呟いて、俺はダイニングに向かう。
「ご領主、どうするかの」
俺の姿を見つけたハウオウルが口を開く。
「いや、二人の祝いのことじゃよ。先だって、奥方の成人の祝いをやったばかりじゃろう? そのすぐ後にまた祝いというのも……な」
「そうですね……。そうしたことは、もういいんじゃないかとも思いますが、やはり、やった方がいいですか? それなら、王都から帰って来てからにしましょうか。何なら、収穫が終わった時期にしてもいいですね」
「いや、それでは遅すぎるじゃろう。そうじゃな……ご領主が王都から帰ってくるのが、おそらく8月頃じゃろうて。その頃……日中は暑いが、夜になれば大丈夫じゃろう。そのときにでも、ご領主の帰還祝いも兼ねて、盛大にやるとしよう」
彼の提案に、ティーエンたちは大きく頷いている。そのとき、玄関に来客があった。レークが取次に出てみると、そこには、セルフィンさんの姿があった。
「この度はご結婚おめでとうございます。お昼はまだでしょうか? それでしたら、こちらをお召し上がりください」
まるでオードブルのような、色々な料理が箱の中に収められている。俺は思わず声を上げる。
「うわぁ、美味しそうだ。セルフィンさん、ありがとうございます! ありがとうございます!」
「今後も、昼食は私の手で作らせてください。奥方様の分も、もちろん作りますから!」
俺は笑顔で彼の両手を握る。セルフィンさんもとてもうれしそうだ。
「うわぁ、美味しそう!」
背後で声がする。見てみると、着替えを終えたヴァシュロンが、セルフィンさんの作った料理を見て声を上げていた。
彼女はスッと俺の隣にやって来て、深々と頭を下げながら、彼に礼を言う。
「本当にありがとうございます。うれしいです」
「そんな、お手をお上げください。何と勿体ない……」
セルフィンさんは、ものすごい勢いで恐縮している。彼は汗をかきながら、早々に屋敷を後にしていった。
「さあ、せっかくだから、お昼にしよう。これはみんなで食べましょう」
そんなことを言いながら、俺たちは昼食を摂った。
セルフィンさんの腕によりをかけた料理は、とても美味しかった。彼の他にも訪ねてくる人がいるかと思ったが、それは全くなく、俺たちは和気藹々と食事を楽しむことができた。デザートには、タンラの実を出して舌鼓を打ち、俺たちは存分にこの日の食事を堪能したのだった。
ハウオウルやティーエンは、早々に屋敷を辞退していった。残ったのはパルテックとレーク、そして、ティーエンの奥さんであるルカだった。彼女たちは事前に、ヴァシュロンの衣装などを持って来ていて、それを部屋の中に運び込むのだという。四人の女性は色々と話をしながらバタバタと動き回る。どうやら、空き部屋のタンスに彼女の衣装などを入れることにしたようだ。そこは元々、クレイリーファラーズが使っていたが、今はカラになっている。
寝室のクローゼットもかなり空きがあるので、そこも使ってもらって構わないと言ってみたが、彼女らの返事は上の空だった。
しばらく女性たちの動きを眺めていたが、俺はやることがない。ただ、ひたすらワオンを抱っこしながら彼女たちの動きを眺めるしかない。
手持無沙汰なので、ちょっと早いが、夕食を作ることにした。せっかくなので、豪華な食事を作るべく、俺はすきやきの調理にかかる。野菜を刻み、肉を切る。さすがにプロではないので、肉を薄くはなかなか切れなかったが、それでも何とか、大量の肉を切り終えた。
鉄なべを取り出し、それを火にかけてスキヤキを作る。しばらくすると、美味しそうな香りがキッチンを包む。ワオンがとてもうれしそうに尻尾を振っている。彼女に味見をさせてみたが、かなり気に入ってくれたようだ。
「わあ、美味しそうな匂いですね」
レークがキッチンに入ってくる。どうやら、荷物も無事に運び込まれたようだ。一度、見て欲しいとのことだったので、俺は寝室に向かう。
「……何と、まあ」
思わず嘆息が漏れる。ただベッドがあるだけの殺風景な部屋が、天井には天蓋のような布が張られた、とてもオシャレな部屋に生まれ変わっていたのだ。
絶句する俺の様子を、女性たちは満足そうに眺めている。そんな彼女たちに礼を言いつつ、俺は夕食を食べようと勧める。
ルカは夫のティーエンが待っているとのことで、屋敷を辞そうとする。そんな彼女を呼び止めて、スキヤキを小さな鍋に入れて、持って帰らせる。少し驚いたような表情を見せたものの、丁寧に礼を言って、彼女は屋敷を後にしていった。
残った、ヴァシュロン、パルテック、レークと俺、そしてワオンと共にスキヤキを食べる。よい肉を使ったためか、かなり美味しく出来上がった。皆、満足そうに食べてくれている。
「明日からは、私が作るわ」
ヴァシュロンが誰に言うともなく、呟く。
「いや、一緒に作ろう。その方が、早く覚えられるよ」
俺の言葉に、彼女は頬を赤らめた。
食事が終わり、デザートタイムになる。パルテックがレークに何やら耳打ちしているのが見えた。レークはパタパタとワオンの許に近づき、彼女を抱っこして俺のところにやって来た。
「ご領主様、ワオンは私の家で預かります」
「え? どうしてだい?」
レークはパルテックに視線を向ける。彼女は真面目な表情のまま、無言で俺に頭を下げた。
しばらくして、二人はワオンと共に屋敷から下がっていった。気が付けば、俺はヴァシュロンと二人っきりになっていた……。




