第二百九話 返却
集まった人々が未だに静かにならず、ざわめいている。ハウオウルもどうしようかとキョロキョロしている。ここはどうやら俺が挨拶をしないと収まりがつかないようだ。
ヴァシュロンが気になるが、彼女は恥ずかしそうな表情を浮かべているが、怒っている様子には見えない。俺は村人たちの前に進み出て彼らをじっと眺める。
俺の姿に気付いたのか、人々が徐々に静かになっていく。そして、先程の喧騒が嘘のようにシンとした静けさに包まれた。
「ノスヤ・ヒーム・ユーティンです。今日、先程、俺はヴァシュロン・リヤン・インダークさんと結婚しました。俺は彼女が大好きです。一生をかけて彼女を幸せにしたいと思います。さっきの……やつは、俺の覚悟です。皆さんに俺の覚悟を見てもらいました。これからも……。これからも、俺たち夫婦をよろしくお願いします!」
そう言って、深々と頭を下げる。……あれ? 静かだな。俺の声は聞こえているのかな?
そんなことを思いながら、ゆっくりと頭を上げる。
「「「「「ウオォォォォォ~~~~~!!」」」」」
大歓声が起こった。一体何事かと思いながら、唖然として人々を見廻す。何やら叫んでいるが、それぞれが好き勝手なことを叫んでいるので、何を言っているのかがわからない。
「ご領主、見事じゃった」
ハウオウルが俺の傍に寄ってきて呟く。彼はにこやかに右手をヴァシュロンの方向に向けている。彼女の傍にはパルテックが控えていて、俺に視線を向け、小さくお辞儀をしている。どうやら、屋敷に入れと言っているようだ。俺は勧められるままに彼女の許に向かい、一緒に屋敷に入った。
「……まだ騒々しいな」
何とも言えぬ喧噪が屋敷の中まで聞こえてくる。俺は上着を脱ぎながら、キョロキョロと周囲を伺う。
「さっきのは、何? 死ぬほど恥ずかしいわ」
椅子に腰かけ、ちょうどベールを外されたヴァシュロンが、怖い目で睨んでいる。ちょっと、体がすくむ。
「……ごめんなさい。知らなかったんだ」
「……まさか、またあの家庭教師!?」
「まあまあ姫様、そう怒るものではありません」
パルテックが優しく窘める。そんな彼女にヴァシュロンはキッと視線を向ける。
「だって、二人の秘め事なのよ? あんなにたくさんの前で……」
「フオッフオッフォッ、お嬢ちゃん……いや、奥方。あれはあれでよいものじゃったよ。考えてもみなされ。あれだけの人々の前で、ご領主は奥方に対して愛を誓ったのじゃ。もう、ご領主は逃げられませんぞ? 奥方を大事にしなかったら、村人全員から怒られることになるのじゃから。奥方は、未来永劫、ご領主から愛し続けられるという確証を得たのじゃ」
ハウオウルが満面の笑みで口を開いた。そんな彼にヴァシュロンはチラリと視線を向けたが、やがて、恥ずかしそうに俯いた。
「それならそれで、いいわ」
そんな声が聞こえた気がした。そのとき、玄関の扉が勢いよく開かれた。
「ごめんください!」
そう言って入ってきたのは、レークだった。その後から、ティーエン夫婦も入ってきた。その三人をパルテックが丁寧にお辞儀をしながら迎えている。
「ありがとうございます。お世話をおかけしました」
そう言って彼女はレークたちから布で包まれたものを受け取っている。彼女はそれをもったまま、ヴァシュロンの許に行き、彼女に小さく耳打ちをした。そして、俺に向かって深々と頭を下げる。
「恐れ入ります。お部屋をお借りいたします。姫様の……お着替えを……」
「あ、ああ。どうぞ。そこの部屋を使ってください」
俺は自分の寝室を指して、二人を案内する。確か、レークがいつも以上にキレイに片付けてくれていたはずだ……。そんなことを考えながら、部屋の扉を開ける。
「それにしても、本当に素晴らしい結婚式でした。感激しました」
レークが目を輝かせている。皆も、彼女の言葉に笑顔になっている。
始めはどうなることかと思ったが、何とか無事に終えられてよかった。俺は全身から力が抜けていくのを感じる。
『集合。キッチンに集合。速やかに集合。あ、誰も連れて来ないでください? 一人で集合……』
頭の中に声が響き渡る。言うまでもなくクレイリーファラーズだ。何でそんなに上からなんだ!?
「どうされました?」
「ああ、いや、大丈夫だ。ちょっと水を飲んでくるよ」
「それでしたら私が……」
「いや、水くらい一人で飲むよ。疲れただろう、レーク。しばらく休んでいてくれ」
そう言って俺はスタスタとキッチンに向かう。中に入ると、クレイリーファラーズが腕を組んで仁王立ちになって立っていた。
「……何だよ?」
「ちょっと来てください」
手招きをするので、面倒くさいとは思ったが、彼女の許に近づく。すると彼女は右手を俺の目の前にかざし、何やら呟き始めた。
「ゴシ……ラハ……サキ……ベット……ナイ……ウソ……ヲ……シナイ……ウサ……フッ」
「うっ」
呪文の最後に、彼女は俺の顔に息を吹きかけた。正直、あまり気持ちのいいものではない。思いっきり睨みつける俺に、彼女は小さな声で呟く。
「はい、返しましたからね」
「何を?」
「性欲ですよ」
「は?」
「これであなたは普通の男の子に戻りました。頑張ってくださいね」
そう言いながらニヤリと笑う彼女。その表情のままスタスタとキッチンを出て行ってしまった。俺は、呆気に取られながらその後姿を眺める他なかった。




