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第百九十八話  すばらしい女性

ラッツ村の領主屋敷に続く長い坂道を、ゆっくりと一人の女性が歩いている。クレイリーファラーズだ。彼女は全力で気配を消しつつ、周囲を伺いながら、注意深く屋敷に向かう。とはいえ、太陽の光が降り注ぐ中での移動であるために、その姿は村人からは丸見えだ。


彼女の視線はただ一点、領主屋敷に注がれていた。外に誰が出てくるのかによって、その対応が変わるからだ。


彼女は祈るような気持ちで、歩みを進める。そして、その願いが天に通じたのか、彼女は誰にも会わずに目的の場所に着くことができた。


……お腹がすいた。何か食べたい。


昨夜はドニスとクーペの店に泊ったが、朝、起きてみると誰も居なくなっていた。それはそうだ。皆、家に帰ってしまったからだ。朝食を用意しているかと思ったが、それはなかった。自分で作ろうかとも思ったが、材料がない。店で買おうかとも思ったが、お金を持っていない。店にお金があるだろうと思って探しては見たが、用心深い彼らだ。ビタ一文、店にはなかった。


襲い来る空腹感に、彼女は勝てなかった。もはや、あそこに向かう他はなかった。


まさかこの早朝に、あの生意気な小娘が来ているはずはない。あれから一日経っている。かわいく謝れば許してくれるだろう。もしかして、昨日一日帰らなかった自分を心配しているかもしれない。姿を見たら、涙を流して喜ぶんじゃないかしら……。


恐ろしく虫のいい思いを抱きながら、彼女は屋敷へと到着する。そして、足音を殺して勝手口に向かう。音を立てぬように扉を開けると、そこには驚きの光景が広がっていた。


目の前には、男の背中が見えた。ノスヤだ。両わき腹に指が見える。


……何やっているの? 自分で自分を抱きしめている?


そんなことを考えていると、彼の顔がゆっくりと動いた。


「イヤ!」


「……ご、ごめん」


突然、女性の声が聞こえた。予想外のことに、クレイリーファラーズはその場に固まる。


「……誓いのキスは、ここじゃ、イヤだわ」


「う……わかった……。じゃあ、抱きしめるのは……」


「それは、いいわ」


「ヴァシュ……大好きだ」


そう言ってノスヤは再び動かなくなった。クレイリーファラーズはゆっくりと後ずさりをしながら勝手口から外に出た。そして、脱兎の如く屋敷の坂を下っていく。


……何? 何? 何なの? ヴァシュって、あの小娘? 怒っていたんじゃないの? どうなっているのよ。


一気に坂を下り切り、丘の上の屋敷に視線を向ける。


「いや、待てよ? まあ、いいか……。考えてみれば、これはいい展開ですよね。まさか、あの女がOKするとは思わなかったけれど……。これで彼に恩を売れたってことになりますよね。……フフフ。あ、もしかして今頃二人って、イチャついている……? チッ」


彼女は舌打ちをして、憎々し気に屋敷を睨みつける。そして、ゆっくりと歩き出した。二人が付き合うとなると、あの屋敷には居づらくなるだろう。とはいえ、食事は、オヤツは彼に作ってもらいたい……。どうするか……。そんなことを考えながら、彼女の足は無意識に、ウォーリアの店に向いていた。


◆ ◆ ◆


その頃、パルテックはぼんやりと窓の外を見つめていた。いつもと変わらぬ朝の光景……。ただ一つ違うのは、ヴァシュロンがいないということだけだ。


……姫様は今頃、どこを歩いておいでなのだろう。ちゃんと装備品は持って出たのだろうか。ちゃんと食べているのだろうか。


彼女は無意識に天に向かって、両手を合わせて祈る。どうか姫様が無事で過ごせますよう……。平和で、息災で暮らせますように……。


ガチャ


突然、扉が開く音がした。一体誰だろうか。ノックもなく部屋に入ってくるとは……レークちゃんかしら?


そんなことを思いながらゆっくりと振り返る。


「ひっ……姫様……。ご領主様も……」


そこには、ヴァシュロンとノスヤの姿があった。


「心配かけたわね、パルテック。旅に出るのは、やめにしたわ。ずっとここに住むことにしたわ」


「何と……」


パルテックはあんぐりとした表情を浮かべながら、ノスヤとヴァシュロンへ交互に視線を向けている。


「あのね、私、プロポーズされたの」


「ええっ!? 姫様……」


「私は、謹んでお受けすることにしたわ。だからパルテック……。これからも、ずっと一緒にいてね。助けてね」


「姫様……」


パルテックは目に涙を浮かべながらヴァシュロンを眺めていたが、やがて視線をノスヤに向け、彼の傍近くまでやって来た。


「ご領主様……」


「はい……」


「姫様は……お転婆でわがままなところもありますが、人を思いやる心のある優しいお方です。この私が、丁寧にお育て申しました。私の口から申し上げるのも何ですが、どこに出しても恥ずかしくない、すばらしい女性でございます」


「俺もそう思います。姿・形ではなく、彼女はきれいな心を持っています。一つ一つの振る舞いに、その気品と美しい心が溢れ出ています。そんな彼女の美しさと、やさしい心が俺は好きです。これからも、大事にします。今後とも、よろしくお願いします」


そう言ってノスヤは両手でパルテックの手を握った。その振る舞いに、今まで堪えていたものが溢れるようにして、彼女は声を殺して泣き始めた。そんな彼女を見て、ノスヤとヴァシュロンは笑みを交わし合った。

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