第百九十六話 メッセージ
「……なるほど、そんなことが」
ティーエンは俺のただならぬ気配を察したのか、顔を見るなり、何かありましたかと言って驚いた。そして、力になりますよと言ってくれたのだ。思わず俺は彼にこれまでのことを全て話してしまったのだった。
ティーエンは顎髭を撫でながら何かを考えていたが、やがて、俺に視線を向ける。
「夕食は、妻に持って行かせましょう」
「ありがとうございます。そうしていただけると、助かります」
彼の奥さんであるルカならば、ヴァシュロンたちも顔は知っているだろうが、顔見知りレベルだ。全く知らない人が来るよりはいいだろう。それに、俺としても様子を見てきて欲しいので、ある程度知った人でなければと思っていたところだったのだ。
「ところで、ヴァシュロン様のこと、どうなされるおつもりで?」
「どうと言っても……。旅に出る決意は固そうだったので、説得は無理でしょう。それに……俺とはあまり話をしたくなさそうでしたし……」
「そうですか……。もし、何か伝えることがあれば、妻に言っておきますが……。お手紙などあれば、お預かりしますが……」
「う~ん」
手紙……手紙か。村から出たら開封してくれと言って渡してもらう……。ただ、ヴァシュロンが読まない可能性が否定できない。読まずにそのまま出発する……。そんなイヤな予感がするのだ。そのとき、俺の頭の中にフッとアイデアが思いついた。
「ティーエンさん、すみませんが、こんな形のものを作れますか?」
俺は紙を取り出し、イメージをカリカリと書いていく。
「はあ……こんなものでよければ、すぐにでも拵えますが……。何でしょうか、これは?」
「う~ん。言葉で説明すると難しいのですが……。取りあえず作ってもらえますか。で、彼女が出発するとして、どちらの方向に向かいますか? 帝国側ですか? それとも……」
「ああ、それでしたら、王都の方向ですね。この村を出てしばらく歩くと、北に向かう街道に当たります。そこからダレスアイルに向かうのが一番効率的ですから」
「わかりました。ということは、ティーエンさんの家の前を通りますね?」
「ええ。通ると思います」
「では、家の前に、さっき言ったヤツを立てておいてください」
「し……承知しました」
彼は目を白黒させながら返答する。その様子を見て俺は大きく頷く。
「では、夕食を作っておきますので、取りに来てください」
妻に料理を手伝わせましょうと言うティーエンの提案を丁寧に断り、彼を見送る。そして、再び紙を取り出し、そこにカリカリと文字を書き入れていった。
◆ ◆ ◆
「……」
ヴァシュロンは、目にうっすらと涙を溜めながら部屋の中で立ち尽くしていた。彼女の目の前には、コックリコックリとうたた寝をするパルテックの姿があった。
前日、ノスヤが帰った後、ずっとパルテックは泣き続けた。何も言わず、ただただ泣き続けた。自分に何を言っても無駄であることは、彼女が一番よく知っている。それ故に、ただ泣くことしかできないことを、ヴァシュロン自身が一番よくわかっていた。
……ごめんね、パルテック。
彼女は心の中で詫びる。外はまだ夜明け前で暗い。今、彼女は着替えを済ませ、旅の支度を整えたところだった。実家から持ってきた「トラーロのローブ」を着用し、「プローグの腕輪」を装備している。これで彼女の姿は周囲の景色と同化し、その気配も完全に消えている。パルテックが目覚めたところで、彼女には見えなくなっているのだ。
ヴァシュロンは深々と一礼をして、部屋を出た。外に出ると彼女は、ノスヤの屋敷の方向を向いて、深々と一礼をした。今まで世話になった。あれだけわがままを言ったにもかかわらず、彼は昨夜、とても美味しい夕食を届けてくれた。あまり食欲はなかったが、それでも、二人で完食してしまったのだ。
彼女はクスリと笑みを漏らすが、すぐに悲しそうな表情を浮かべた。しばらく領主屋敷の方角を眺めていたが、やがて、何かを振り払うように、彼女は屋敷に背を向けて歩き出した。
すでに周囲は明るくなり始めていたが、森の中はまだ薄暗い。彼女は懐からメガネを取り出して装備する。夜目が効く効果があるメガネだ。
スタスタと森の中を進んでいくと、目の前に大きな丸太で組まれた家が見えてきた。木こりのティーエンの家だ。彼にも世話になった。また、彼の奥さんも、昨日は夕食を届けてくれた。何も言わず、ただ、ニコニコと機嫌の良さそうな表情を浮かべ、食事を届けるとすぐに帰っていった。その心遣いが、とてもありがたかった。
彼女は家の前に来ると、スッと頭を下げた。直接お礼を言わねばならないのに、何も言わずに出ていく無礼をお許しください……。そう心の中で呟く。そして頭を上げ、出発しようとすると、家の玄関の近くに、大きな看板が掲げられているのが見えた。そこには、何か白い、紙のようなものが張りつけられているように見えた。
……?
近づいて見てみると、そこには、こんな言葉が書かれてあった。
霧が立ち込めるような朝だ
みずみずしい空気が気持ちいい
頑張ってもう少し歩くのです
素敵なひととき
きれいな景色だ
誰もが幸せになるよ
「これは……」
ヴァシュロンはポカンと口を開けたまま、そこから動くことができなくなった……。




