第百九十三話 ハンカチを開いてください
「さあ、できました。お待たせしました」
パルテックが両手でトレイを持ちながら、キッチンから出てきた。その後ろから、レークがスープが入っている鍋をもって出てきた。二人はテキパキとテーブルの上に皿を並べていく。
メニューは、スクランブルドエッグとサラダ、温かいスープ、そして、何やら茶色いドロドロした、ジャムのようなものが置かれてあった。
「お口に合えばいいのだけれど……」
そう言いながらヴァシュロンが、沢山のパンの入った籠をもって出てきた。彼女はそれをテーブルの真ん中に置くと、ゆっくりと席に着いた。
「よければパンに、そのブロウをつけて食べてちょうだい」
「ブロウ?」
聞いたことのない名前だ。聞けば、肉を油に漬けて擂り潰したものなのだそうで、ヴァシュロンの実家でよく出ていたものだそうだ。俺はそれをパンに塗り、口に運ぶ。
「うん、これは美味しいな! 肉のコクが何とも」
コッテリとはしているが、しつこくはない。何よりパンが温かい。炭火で丁寧に焼いたのだろうか?そんなことを思いながら俺は、スクランブルドエッグとサラダ、スープを次々に味わっていく。
「うん、どれも美味しいな。やればできるじゃないか」
「どういう意味よ」
「いや、君が料理を作るなんて、想像もしていなかったからさ」
「姫様は時間を見つけて、少しずつ料理の練習をなされていたのです」
「パルテック、やめてよ」
口を挟んできたパルテックを、ヴァシュロンがイヤそうな顔をしながら窘める。パルテックは、申し訳ございませんと言いながらも、その顔はとてもうれしそうだ。ヴァシュロンは、バツの悪そうな顔をしながら、淡々と朝食を口に運んでいる。
聞けば、彼女は館のキッチンを時々借りて、料理を作っていたらしい。
「だって、いつもいつもあなたに料理を作るのを頼むってわけにはいかないでしょ?」
「別に俺の料理じゃなくてもいいだろう? 料理を出す店はあそこにもでているだろうし、村の広場にも何件かあるだろう?」
俺の質問にヴァシュロンは答えず、黙々と朝食を食べている。その様子をパルテックはにこやかに見守りながら、俺に向けて小さく一礼をした。
俺は彼女に目礼をしながら、周囲に視線を向ける。レークはコクコクと頷きながら、一つ一つの料理をまるで確かめるように味わっている。きっと、色々な場面で手伝ってくれたのだろう。この娘にも何か、お礼をしなきゃいけない。
「う……う……おほん、おほん」
まるで棒読みのようなセリフ廻しが聞こえてきた。クレイリーファラーズだ。彼女は朝食を口に運びながら、チラチラと俺に視線を向けてくる。わかったよ。言えばいいんだろ。言いますよ。
ちょうど、食事もあらかた終わっている。まあ、タイミングとしてはいいだろう。
「ごちそうさまでした。美味しかった」
俺はそう言ってヴァシュロンを見る。彼女は少しホッとした表情を浮かべたが、やがて普通の表情に戻り、ペコリと頭を下げた。
「お粗末さまでした」
「とても美味しかったです」
レークが元気のいい笑顔を浮かべながら、口を開く。その彼女に、ヴァシュロンは少し照れた表情を浮かべる。
「ありがとう。嘘でもそう言ってくれれば、うれしいわ」
「嘘なんかじゃありません。それを証拠に、ほら!」
レークが指さす先にはワオンがいた。彼女は与えられた朝食を全て完食していた。突然全員の視線を向けられたためか、キョロキョロと戸惑いの表情を浮かべている。
「ワオンは美味しいものしか食べませんから」
その声にヴァシュロンは不思議そうな表情を浮かべている。
「一度、パンをあげたことがあるけれど、そのときは食べなかったのよね。どうして今日は食べてくれたのかしら?」
「美味しいものを食べていただきたい……姫様のそのお心が、料理を美味しくしたのですよ」
パルテックの言葉に、ヴァシュロンは少し顔を赤らめながら、俯いた。
「では、美味しい食事もご馳走になったし……取りあえず、俺から言わせてもらおうか」
俺の言葉に、ヴァシュロンとパルテックがキョトンとした表情になる。うん? そんな顔をしなくてもいいんじゃないか……。そんなことを思いながら、コホンと咳ばらいをして、一つ、気合を入れる。
「ええと……。ハンカチを、開いていただけますか?」
「え? 何ですって?」
「え? だから、ハンカチを、開いてください」
ヴァシュロンとパルテックが顔を見合わせている。何やら驚いているように見える。一体、どうしたんだ?
「バカぁ!!」
突然、怒号が響き渡った。見るとヴァシュロンが顔を真っ赤にして立ち上がっている。ものすごい怒りの表情を湛えている。一体何が起こったんだ?
「最……低!」
彼女の両目にみるみる涙が溜まっていくのが見えた。その表情を見せるのを嫌ったのか、彼女は踵を返して足早に屋敷を出ていった。それと同時に、パルテックがとても残念そうな表情を浮かべながら一礼し、ヴァシュロンの後に続いていった。
「え? え? ちょっと、ちょっと……」
レークが驚きながら二人の後を追いかけていく。さっきまでの団らんが嘘のような静けさがダイニングに訪れていた。
「あら~帰っちゃいましたね。本当にもう、恥ずかしがり屋さんなんだから……」
「オイ」
「いや、心配する……ヒッ!」
振り向いた俺を見て、クレイリーファラーズが慄いている。それはそうだろう。自分でもわかる。今まで見せたことのない表情をしているのだろう。だって俺は、明確な殺意をもって、この天巫女を睨みつけていたのだから……。




