第十九話 平和
あれから3ヶ月経った。屋敷の周囲は、うっすらと白い雪に覆われている。
この国自体がそうなのか、この屋敷が小高い山の上に立っているためなのか、はたまた暖房器具が発達していないためなのか、予想以上に冬の寒さは厳しいものだった。屋敷には暖炉があり、薪を常に燃やしていればそれなりに暖かいのだが、一般の村人たちには、この寒さはキツイだろう。
そんな俺は今、屋敷の裏庭で必死になって薪を割っている。ひきこもっていた以前の生活が嘘のようにアクティブさ全開の生活を送っているのだ。
朝起きると俺は朝食を作る。と言っても、何だかよくわからない食べ物だが、意外と美味くできたので、毎日これを食っている。
作り方は簡単だ。玉ねぎ半分、ジャガイモ半分、にんじん三センチくらい、キャベツ三枚と、何だかよくわからない魔物の肉、一見するとベーコンのような味がするのだが、これを数枚取り出して、これらを細かく刻む。それを鍋の湯の中に入れて塩で味付けをして、それが半分くらいになるまで煮詰める。すると、スープだかシチューだかわからないものが出来上がるのだが、これが実に美味いのだ。俺の毎朝の食事は、これとパンだけで十分なのだ。
それが終わると、約一時間、俺は屋敷の裏庭で薪を割る。この薪は、木こりであるティーエンが運んできてくれるのだが、何せ大きい。持ってきたままでは暖炉にはくべられないために、毎朝コツコツと薪を割っているのだ。これがちょうどいい運動になる。そんなことをしていると、クレイリーファラーズがふわりとハンモックから降りてくる。
彼女は未だにハンモックで寝起きしている。二階に部屋が余っているのだが、彼女はこのダイニング、しかも、ハンモックでの寝起きを譲らない。その理由は、ダイニングが暖かいからというものだ。天巫女のくせに、寒さには弱いらしい。
「おはようございます」
「おはよう」
彼女が顔を洗い、身支度を整える頃に、ヴィギトさん夫婦がやってくる。彼らはほぼ毎日、屋敷の掃除に来てくれるのだが、それだけでなく、俺たちの洗濯ものまできちんと洗濯してくれるのだ。家政婦としては完璧な夫婦だ。当然俺は彼らに謝礼を払おうとしたのだが、それは受け取ってもらえなかった。昔からしてきたことです……と彼らは言うが、実のところは、掃除のついでに、屋敷の肥汲みをしていたのだ。
この世界のトイレは汲み取り式だ。洋式の便座のようなものがあり、真ん中付近に穴が開いている。トイレが終われば水で穴の中に流していくのだが、この穴が地下の肥溜めにつながっている。
大抵こういうシステムは、とんでもない臭いが室内に立ち込めるが、この屋敷ではそういうことは一切ない。不思議だと思っていたら、きちんと臭い消しと消毒作用のある植物がトイレの中に仕掛けられているのだという。詳しいことはよくわからないが、貴族の屋敷の中でも、このトイレはなかなか優秀なものであるらしい。
屋敷の肥を持っていくことは、自分たちの畑の肥料を手に入れることにつながる。彼らにしてみれば、十分な報酬が得られていることになるそうだが、それだけでは俺の気が収まらないので、何らかの食料をほぼ無理やりに渡すことにしている。
彼らの掃除に俺たちは邪魔だ。掃除が始まると、俺たちは彼らに留守を頼んで、村に降りていく。
「あ、ご領主様、おはようございます」
「おはようございます」
「セルフィンさん、畑の様子はどうですか?」
「ええ、ちょっと雑草が伸びてきましたので、刈っておきました。今のところ、大丈夫ですよ」
「ありがとうございます」
作物の状況が問題ないことを確認して、その足でギビッドさんの店に向かう。ギビッドさんとは、俺がここに来た当初に肉を売ってもらった八百屋の店主だ。毎日の昼飯と晩飯をここで作ってもらっているのだ。
彼の店は実に重宝する。魔物であれ魚であれ、何でも捌いてくれる。湖で採れた魚なども、彼の店に持っていけばたちどころに刺身にしてくれるのだ。俺が最初に渡した大金貨はまだまだ有効のようで、今のところ彼から請求は来たことがない。と、いうより、大金貨は日本円で1000万円もの価値があるらしい。最初にこれを渡したとき、お釣りがないと狼狽したのは、今ならわかる気がする。
「あ、ご領主様とクレイリーファラーズさん、いらっしゃいませ。今日のお昼はこちらになります」
「いつもありがとうございます」
「いえいえ、こんなものばっかりで申し訳ないですね」
「そんなことはありませんよ。いつも美味しいです。ありがとうございます」
そんな会話を交わしながら、俺たちは村の店をのぞきながら帰途に就く。
ちなみに、クレイリーファラーズの姿は村人たちに見えるようにしている。と、いうのも、この世界では、俺が一人でいること自体、かなり不審なことであるらしいのだ。本来貴族というのは、必ず家来の一人は連れているもので、一人で行動するということはまずもってあり得ない。そういう理由もあって村長は、俺の実家に誰か家来を派遣してもらうように連絡しようとしたのだ。
本家から人が派遣されたとしても、俺が全く知らない人間であることには間違いない。それに、来るとなると1人や2人というわけにはいかない。屋敷に部屋が余っていることから、数人の人間が来ることは間違いないだろう。
直感的に俺はイヤだと思った。何となくだが、今の俺が作ろうとしている生活やライフスタイルが壊れてしまうような気がしたのだ。大体、全く知らない人が屋敷の中に入ってきて、しかもその人たちとヘタをすれば死ぬまで一緒に居なければならないのだ。俺と気が合えばいいが、全くソリが合わない人であれば、これは地獄絵図以外の何物でもない。そうした意味でも、俺は断固として本家から人が派遣されるのを止めさせたかった。
で、白羽の矢を立てたのが、クレイリーファラーズだ。俺は彼女に、ユーティン家から派遣されていた人間になってくれと懇願した。彼女はしばらく考えていたが、やがて、「仕方ありませんね」と言って、姿を見せることを了承してくれた。
さすがに、天巫女の衣装では目立って仕方がない。どうしようかと思っていた所に、彼女から衣装は自由に変えられると教えてもらった。色んな意味で便利な人だ。
その後すぐに、村長を始め、村人たちにクレイリーファラーズを紹介した。表向きは俺の家庭教師という設定にしている。怪しまれるかと思ったが、意外に村人たちにはすんなりと受け入れてもらえた。そうしたこともあって、彼女は今、この村の一員と化しているのだ。
セルフィンさんの店からお弁当を受け取って帰ってくると、大抵掃除は完了している。いつも俺はヴィギトさんたちに、米やらタマネギやらを持って帰ってもらう。彼らを見送ると俺たちは昼食を食べるのだが、大抵俺が一品作ることにしている。セルフィンさんのお弁当は、これはこれで美味しいのだが、基本的にサンドイッチのようなものであり、肉と野菜がパンにはさまれているだけなので、ちょっと量が少ない。俺も、クレイリーファラーズも腹6分というところになることがしばしばだった。もう少し量を多めにと言えば追加してくれることは間違いないのだが、何となく俺は足りない分は自分で作ろうと思ってしまったのだ。
今日は野菜炒めを作ることにした。まず肉を焼き、それを取り出してから、野菜を炒める。こうすると野菜と肉の両方の味が楽しめる。クレイリーファラーズも、黙々と食べてくれている。
腹がいっぱいになると、ちょっとまったりとした時間になる。暖炉の火をボーっと眺めていることが多いこの頃だが、それだけで何だか癒されてくる。ちなみに、この暖炉の熱は、各部屋にも行きわたるようになっている。お蔭で、午前中に干している洗濯物が、部屋干しでもきちんと乾く。俺は頃合いを見計らって洗濯物を取り込んでいく。クレイリーファラーズは、ハンモックの上に上がってお昼寝だ。時にこれが夜まで寝るのだから恐ろしい。一体どちらがこの屋敷の主人だか、わかったものではない。
日暮れ近くになると俺は、かまどに火を入れつつ、ご飯を炊く。最初は失敗の連続だったが、ここ最近はかなり上手く炊けるようになった。やはり日本人は米だ。
この世界でも米料理はあるにはあるが、リゾット風の料理が主流だ。これはこれで美味しいのだが、俺は断然白米派だ。これを食べるために、箸も自作したほどだ。最初は木を削り出して作っていたが、見かねたクレイリーファラーズが実に美しく作ってくれたのだ。彼女は手先がとても器用だ。
やがて空が夕焼け色に染まるころ、俺は再び村に下り、ヴィギトさんの店に向かう。そこで夕食を受け取り、屋敷に戻ってくる。そして、その夕食と共にご飯をよそい、夕食が始まる。
「いただきます」
「いただきます」
二人で手を合わせて料理を食べる。この世界でも小麦粉やコショーなど、転生前の世界と変わらない物が多くある。今後は揚げ物にも挑戦していきたい。小麦粉があればなんとかなるはずなのだ。そんなことを考えながら食事を終えて風呂に入る。風呂と言っても、この世界には浴槽などはない。布で体を拭くだけだが、実はこの屋敷のすぐ近くで温泉が出るのだ。地中深くにそれはある。土魔法で掘り起こすことはできるのだが、それをどのように管理していくのかが悩みの種だ。ただ、この冬中には温泉を掘りたいと思っている。
そんなこんなで夜は更け、俺たちは眠りにつく。
「おやすみなさい」
「おやすみ」
……今日も、平和ないい一日だった。こんな生活が、いつまでも続くといいなぁ。
 




