第百九十話 策略!?
「ふぅ~ん。で?」
俺の目の前には、クレイリーファラーズが座っている。彼女は夕食のパスタを食べながら、俺をじっと見つめている。肘をつきながら食事をするのはお行儀が悪い。定規か何かで肘をブッ叩きたい感情にとらわれるが、今は我慢することにする。
「いや、マジで焦りましたよ。勘のいい子だ」
俺はゆっくりと息を吐き出す。危うくヴァシュロンに、秘密の計画がバレるところだったのだ。
「まあ最悪、バレたときは記憶を消せばいいのですよ」
「えっ? そんなことができるのですか?」
「小手に入っていますよ」
「それって、特定の記憶を消すことができるのですか?」
「たぶん」
「たぶんって……」
「使ったことがないからわかりません。量を間違えると、全部の記憶が飛ぶ可能性がありますけれど、少量であれば、数時間から数日の記憶を消すことができるはずです」
「……そんな不確かなものは、怖くて使えませんわ」
「まあ、そういうモノもあるってわかっただけでも、心強くなりますでしょ?」
「……ところで、あなたに頼んでいたものは、準備できているのですか」
「……たぶん、おそらく、きっと」
「間に合わなければ、制裁を加えますからね?」
「そんな怖い顔をしないでください。ちゃんと、ドニスさんとクーペさんには頼んでいます」
「それならいい……」
「それにしても、あなたもやりますねぇ」
「何が?」
「いいえ。こっちの話です」
クレイリーファラーズはクスリと笑みを漏らす。そして、最後のひと口を味わいながらニッコリと俺に笑みを向ける。
「大丈夫です! 全面的に私が協力するのです。大船に乗った気持ちでいて下さい」
俺はその笑顔に一抹の不安を覚えながら、席を離れた。
◆ ◆ ◆
初夏の日差しが眩しいと感じられる、よく晴れたその日、ヴァシュロンはいつものようにパルテックを伴って、ノスヤの屋敷に向かった。屋敷に着いて扉をノックすると、いつものようにレークが出迎えてくれる。屋敷の中に通されると、ダイニングのテーブルに座るノスヤの姿が見えた。彼は真剣な表情を浮かべながら、手元の紙を見つめている。
「どうしたのよ、そんなに怖い顔をして」
「怖いか? いや、王都から招待状が届いたんだ」
「ついに来たのね!」
そう言って彼女は、ノスヤの背後に回り込み、背中越しに手紙を見ようとする。
「姫様、はしたのうございます」
窘めるパルテック。ヴァシュロンはパルテックに視線を向けたかと思うと、さも残念そうに肩をすくめた。
「いや、別に秘密にするようなものじゃないから」
そう言ってノスヤは手紙をヴァシュロンに渡す。彼女はそれをじっと見つめながら、小さなため息を漏らす。
「ひと月半も後なの? 遅くないかしら?」
王都からの招待状には、インダーク帝国との不可侵条約締結のパーティーの開催を知らせる内容と共に、その開催日が7月21日に決められていた。今日が6月2日だから、ちょうどひと月半後の開催となる。
「そんなものですわ、姫様。今はちょうど雨期でございます。それが終わるのを待って開催するのでしょう」
「何だか、拍子抜けね。それなら焦ることもなかったんじゃない」
「いいえ、そういうわけには参りません。少なくとも、ご領主様は7月に入るとすぐに王都に出立されるでしょう」
「どうしてそんなに早く?」
「まず、王都のご実家に向かわれて、そこで色々と打ち合わせがあることでしょう。その他諸々、王都で準備もありましょうから、少なくとも、パーティーの10日前までには、王都に着いておかねばなりません」
「一人で大丈夫なの?」
「まあ、仕方がないさ。王都ではシーズもいるだろうし、あの人に助けてもらうつもりだ」
「本当に、大丈夫かしら?」
腕を組みながらヴァシュロンは俺を眺めている。そんな彼女を宥めるようにして、俺は昼食の準備に入った。
その後、いつものダンスのレッスンが終わる頃、ティーエンが屋敷を尋ねて来た。
「ご領主様」
「ああ、よく来てくれました。例のものは?」
「はい、持って参りました」
彼は坂の下に向かって、大声で声をかける。すると、二人の若者が、エッチラオッチラと大きな箱のような物をもって上がってきた。
「……!?」
ヴァシュロンは初めて見るであろうその物体を、怪訝そうな表情で眺めていた。ノスヤは満足そうに頷きながら、その箱に手を触れていく。
「うん、いい感じだ。イメージ通りの出来栄えです。ありがとうございます。ところで……開くのは、どこから?」
「ああ、こちらです」
ティーエンが箱の側面に手をやり、ゆっくりと引っ張る。するとそれは引き戸のようになっていて、ガラガラという音と共に、箱の中に、まるで部屋のような空間が現れた。
「一体、何なの、これは?」
まるで怪しいものを見るかのようにして、ヴァシュロンが呟く。そんな彼女に、ノスヤは笑顔で声をかける。
「君の乗り物だよ」
「は? 私の?」
「まあ、取りあえず、中に入ってみてよ。座り心地を確かめて欲しいんだ」
「一体何を……」
「いいから、いいから」
ノスヤに半ば強制的に、彼女は箱の中に座らされる。クッションが効いた座り心地の良い敷物が敷かれてある。そのとき、箱の戸がガラガラと閉められた。
「さあ、行きましょう!」
外でノスヤの声がする。ヴァシュロンは混乱しながらも、必死で声を絞り出す。
「ちょっと何! 何なのよ!」
「……ちょっとだけ、辛抱してね」
その声と共に、箱がフワリと浮き上がったような気がした。そしてそれは、どこかに向かってゆっくりと、進み出したのだった……。




