第百八十二話 宰相、メゾ・クレール
……この人は絶対、いい人だ。
俺が初めて会ったときの偽らざる感想が、それだった。その、いい人オーラ全開の男が、俺の目の前に座っている。
まだ若い……。34歳~35歳くらいだろうか。にこやかな微笑みを湛え、機嫌の良さそうな雰囲気を醸し出しながら、男は俺の屋敷を眺めている。この男が、この国の宰相を務める、メゾ・クレールだ。
来訪は突然だった。俺がヴァシュロンたちと話をしているときに彼は現れた。これからこの屋敷に住むにあたって、必要な物はないだろうか。あれば村に出て買ってこなければならない……そんな話をしていると、突然、失礼しますと機嫌の良さそうな声が聞こえたのだ。
パタパタとレークが玄関に走っていって応対する。やって来た彼は、シーズの同僚だと名乗り、これまで彼が働いてきた非礼を詫びるために来たと言って俺に面会を求めてきた。これは話せそうだと直感した俺は、レークにその客を案内してくれと命じた。で、現れたのが、彼だったのだ。しかもその後ろには、真面目な表情を浮かべたシーズまでいたのだ。
「いいお屋敷ですね。何と言うか……趣がありますね」
「ありがとうございます」
「ノスヤ・ヒーム・ユーティン殿でしょうか?」
「そうです」
「初めまして。私は、メゾ・クレールと申します」
「へ?」
「ノスヤ、宰相様だ。宰相、メゾ・クレール様だ」
男の後ろでシーズが厳しい視線を向けながら、小さな声で呟く。俺はスッと立ち上がり……。
「ああいや、座って下さい。いいのです。私に対して畏まる必要はありません」
そう言いながら男は鷹揚に手を振る。俺は立ち上がろうとしたところで、中腰姿のまま固まる。
「せっかく宰相様がそのままでいいと仰っているんだから、座ればいいじゃない」
隣に座っていたヴァシュロンが事も無げに言う。俺は戸惑いながらゆっくりともとの位置に座る。
「で、突然の宰相様のご来訪。何の御用がおありでしょうか」
ヴァシュロンが堂々とした態度で宰相に対峙する。すごいと言うか、頼もしいと言うか、何ともすごい少女だ。そんな彼女に対して、宰相はにこやかな笑みを崩すことなくスッと立ち上がり、右手を胸に当ててゆっくりと腰を折った。
「インダーク帝国、コンチネンタル将軍閣下のご息女であります、ヴァシュロン様。初めてお目にかかります。リリレイス王国で宰相を務めます、メゾ・クレールでございます。以後お見知りおきを」
その挨拶を受けて、ヴァシュロンもスッと立ち上がる。
「ご丁寧なご挨拶をいただきまして、恐縮でございますわ。ヴァシュロン・リヤン・インダークでございます。今後ともよしなにお願い申し上げますわ」
そう言って彼女は、スカートをちょっとつまんで、膝を少し折った。いつ見ても見事な所作だ。
宰相は右手をスッと出す。それを受けてヴァシュロンが元の席に座る。宰相はそれを満足そうに見つめていたが、やがて彼も元の椅子に座った。
「突然お邪魔をして申し訳ございませんでした。あなた方から頂いた警備計画……拝見しました。これは是非、お礼に伺わねばと思い、失礼も顧みずに参上しました。突然の来訪、ご容赦ください」
「お礼……と言うと、宰相様は、私たちの案を採用すると仰るわけ?」
ズケズケとヴァシュロンが質問する。いいな、俺もこんな度胸が欲しいものだ。
「ええ。彼……シーズが提案してくれた案と共に検討しましたところ、あなた方の案を採用することにしました」
「宰相様!」
シーズが驚いたような表情を浮かべながら、彼の背後から声をかけている。だが、メゾ・クレールはスッと右手を挙げて彼を制しながら、ゆっくりと振り返る。
「シーズ、まずは座り給え」
彼は挙げていた右手を横にして、シーズを隣の椅子に座るよう促した。シーズはフッと息を吐き、諦めたような表情を浮かべながら、勧められるままに椅子に座った。
「結論から先に言います。双方の意見は、まさに、甲乙つけがたい内容だった」
彼は満足そうに大きく頷く。そして、目の前に座る俺たちを交互に眺めながら言葉を続ける。
「ただ、決め手となったのは、ノスヤ殿の案はインダーク側の立場に立ったものだった。対してシーズ、あなたの案はあくまで我が国の立場に立ったものでした。その点が決め手です」
彼は一人一人に視線を向けながら頷いている。
「……私の意図がわからないようですね。ではこう考えてみてください。インダーク帝国の宰相を始めとする方々はどんな気持ちで我が国に、この村に来るのでしょうか?」
宰相の言葉に誰も反応する者がいない。彼は想定通りだと言わんばかりの表情でさらに言葉を続ける。
「おそらく……不安でしょう。彼らとて国の命運を担ってくるのです。一歩間違えば両国は戦争となる。さりとて戦争はしたくはない。一方で国益は守らねばならない。我が国に譲歩するのは最低限としなければならない……。そんなことを考えているでしょう。そんな中で、威圧的な警備を行っては、彼らの心を逆なですることにならないでしょうか。心が頑なになります。そんな心構えではなかなか腹蔵なく話をすることはできません。まずは彼らに安心感を与えること……。これが大事だと思ったのです。シーズ。あなたの案も見事なものでした。しかし、今回は、先程のような理由により、採用を見送りました」
宰相の声に、シーズは静かに首を垂れた。彼はその様子に大きく頷きながら、俺たちに向き直った。
「さて、そういうことで、これから、あなた方の警備計画について少しお話を伺いたく思います。お時間、よろしいでしょうか?」
宰相の雰囲気が変わった。俺は思わず、息を呑んだ……。




