第百七十六話 立場の違い
「ごめんください」
そう言って屋敷に入ってきたのは、何とティーエンだった。しかも、その表情がかなり強張っている。瞬間的に俺は何かがあったなと感じた。
勧められるままに彼はテーブルに着く。そして、ゆっくりとした口調で話しかけてきた。
「領主様、今度行われる我が国とインダーク帝国との会談において、この村の住民全員を動員すると聞きました。会談日の前後3日間は、村における全ての作業を禁止するそうですが、一体なぜここまでなさるのでしょうか?」
ティーエンさん、ちょっと怒っている? そんなことを考えながら、俺は彼を見据える。
「いや、そんな話、俺も初めて聞きました。一体誰が……って、そんなことを考えるのは、あの人以外いませんね……」
「帝国との会談が重要であることはわかります。ですが、この村には村の生活というものがあります。農作業は毎日行わねば、すぐに雑草が生えてきます。私が森の中で木を切らねば、炭を作る者が困ります。会談日の前後3日間、つまり約一週間も仕事を休んでしまえば、この村の生活はメチャクチャになります」
そう言って彼は、ゆっくりと息を吐き出す。サラリーマンならば、一週間のお休みと聞けば、ヒャッハー! という気分になるのだろうが、この村の人々はそうはいかない。一日や二日休むくらいならば問題ないのだろうが、一週間も休んでしまうと、色々なところで生活に支障が出てしまう。こんなことを計画した人は、その辺のことも考えているのだろうか。そんなことを思っていると、屋敷の扉がノックされる。俺はレークに視線を向けて、外にいる客の応対してくれと目で合図をする。彼女もそれを察して、パタパタと玄関に走っていった。
「やあ、ノスヤ」
しばらくしてダイニングに現れたのは、シーズだった。彼は鎧を装備した二人の男を従えて屋敷に入ってきた。そのうちの一人はサポスで、彼は俺と目が合うと、パチリとウインクを投げてきた。だが、顔はいつものイカツイままだったため、その迫力たるや、なかなか筆舌に尽くしがたいものがある。
彼は、ゆっくりと俺たちが座るテーブルに近づいて来る。それを察したティーエンが席を譲り、俺にスッと一礼をして屋敷を出ていこうとする。俺はその必要はないと手で制し、傍の椅子に座るように目で合図をした。
シーズは微笑みを湛えながらゆっくりと椅子に座る。それを見たティーエンも、俺に指示された椅子に腰を下ろした。
「昨日の趣向は楽しかった。礼を言う」
「かなり酔っ払いに絡まれていたように見えましたが」
「まあ、酒が言わせることだ。別に気にしてはいない。それよりも、兵士たちと村人たちが、単に食事をして、酒を酌み交わすことで、あれほど打ち解けることができるとは知らなかった。とてもいい勉強になった」
「そ、そうですか。それはよかったです」
彼は俺の言葉に、笑顔を見せながら頷いている。どうやら機嫌がよさそうだと察した俺は、先程ティーエンが訴えてきたことについて、彼に聞いてみることにする。
「あの……何でも、会談の日の前後3日間に、村人たちの動きを制限されると聞きましたが……」
俺の言葉を聞いて彼は、チラリとティーエンの顔を見たが、やがて視線を俺に戻してゆっくりと口を開いた。
「その通りだ。先ほど、この方に説明したのだよ。この様子では、私が話した内容はお前に伝わっているようだね」
「なぜそんなことをするのです?」
「この村の住民全員を使って、警備をするためだよ」
「え?」
「昨日の様子を見て、我々は村人たちとの心の垣根は取れたと考えている。この上は、我々と村人たちが連携して警備に当たり、不測の事態が起こらぬようにするのだ。村人全員が警備に当たるとなれば、まさしく蟻のはい出る隙間もないくらいの、鉄壁な警備を行うことができるだろう。その配置などの作戦計画は私の方で立案するから、お前は何もしなくていい。すべて私に任せてくれ」
自信満々に胸を張るシーズ。何だかうれしそうだ。
「いや、話の内容はわかるのですが、村人たちの生活はどうなりますか?」
「ノスヤ、お前も村人たちと同じことを言うのだね? 当然、警備に当たってもらう期間については、王国から報奨金が支払われる。それなりの金額を用意するつもりだ。心配しなくていい」
「いや、そうは言ってもですね……。冒険者の方であれば、それでいいでしょうけれど、この村に住む人々の大半は農民です。彼らに農作業を一週間も休めというのは、かなり乱暴だと思うのですよ。そんなに農作業を休んでしまうと、雑草やその他……」
「ノスヤ」
俺の言葉をシーズは遮り、彼はヤレヤレといった表情を浮かべながら、ゆっくりと首を振る。
「お前は今回の会談の意味が分かっているのか? 我が国とインダークとの和平交渉なのだぞ? 何かコトがあれば、両国は戦争状態に突入しかねない事態になるのだぞ? 万難を排してこの会談が成功するように導かねばならないんだ。言ってみれば、歴史の大きな分岐点になるかもしれないのだぞ? そんな重要な会談を、農地のことがどうのなどという理由で水を差すな。お前は……」
「バカね」
シーズの話を、俺の隣に座るヴァシュロンが遮る。シーズはちょっと驚いた表情を浮かべながら、彼女に視線を向けた。
「あなたは、何にもわかっていないわね」
ヴァシュロンは、ヤレヤレといった表情を浮かべながら、首を振っている。……あれ? シーズ兄さん、怒っていますか? 何だか、怖ぇ……。




