第百七十二話 対策
シーズは、俺の目の前にインダーク帝国からの書簡を差し出した。きちんと封蝋が押された、公式の書簡だ。俺は無言でそれを受け取り、封を切って中身を検めた。
「……ねえ、なんて書いてあるのよ」
せっかちなヴァシュロンが話しかけてくる。ちょっと首が伸びているように見える。おそらく、書簡を覗き込みたい衝動に駆られているのだろう。だが、それをしないのは、いかにも行儀作法が身に付いている彼女らしい。
「インダークからは、現在進行している農業被害を食い止めて欲しいと要請してきている」
屋敷内が沈黙に包まれる。そのとき、シーズが大きなため息をついた。
「絶好の好機だ」
「……」
彼は微笑みを浮かべながら、小刻みに頷いている。
「相手がこちら側に弱みを見せたのだ。ここはひとつ、どこかの領地を割譲するように要求して、それを呑まなければ放っておいて、さらなる被害を出させるといい」
その言葉を聞きながら、俺は腕組をして天を仰ぐ。
「ノスヤ、どうした?」
「この、インダーク帝国の宰相は、どういう人ですか?」
俺の質問に、シーズがキョトンとした表情を浮かべる。それを見ながら俺は隣のヴァシュロンに視線を向ける。
「……宰相様であるニウロ・アマダ様は、とても頭の切れる人よ。というより、知識の泉のような方ね。知らないことはないというか、そんな御方ね」
「人望があるんだよね?」
「ええ、それはもう。仲裁の名人と言われていて、宰相様が間に入ると、ほとんどの問題は解決してしまうと言われているわ」
「そうか。じゃあ……」
俺はフッとため息をついて、目の前に座っているシーズを見据える。彼は少し目を見開いて、俺の言葉を聞こうとしている。
「農業被害を止めよう」
「で、条件は?」
「無条件です」
「何を言っているのだ……」
シーズは信じられないといった表情を浮かべながら俺を見据えている。そんな彼に視線を向けながら、俺はゆっくりと語りかける。
「ここで条件を付けて、しかも、相手が呑めないような条件を付けてしまうと、せっかく設定した会談がダメになる可能性があります。それは両国にとっても建設的ではないと思いますし、何より、国の住民たちが望んでいないと思います」
「甘い。どこまで甘いのだ、お前は」
「そうですね、甘いかもしれません。ただ、インダークの宰相はとても人望のある人だと聞きました。ということは、情の深い人だと思うのです。その人に恩を売っておけば、それは何倍にもして返ってくると思うのです。いや、根拠はありません。あくまで俺の直感です」
「ではもし、相手が我々の出した条件を反故にしたら、お前はどう責任を取るのだ?」
「……」
「このままこの村の領主でいることは難しくなるぞ? それどころか、王都に召還されて、下手をすれば、追放。悪くすれば首を討たれる可能性だってある。その覚悟がお前にはあるのか?」
「……旅に出ちゃいなさいよ」
小さい声でヴァシュロンが呟く。彼女はスッと俺に視線を向けて、胸を張る。
「今回の話し合いが失敗したら、私と一緒に旅に出ればいいのよ。あなたはインダークとこの国のために力を尽くしたのだから、それを咎めだてられることなどないはずよ。それに、宰相様は、約束を反故にする方ではないわ。ライオネル・リエラなら話は別だけれど、宰相様は信じていいお方だわ」
俺は彼女の言葉を受けて、大きく頷く。
「申し訳ありませんが、俺は、インダークの農業被害を食い止めようと思います。すぐには効果は出ないとは思いますが……。何卒、ご理解ください」
そう言って俺はシーズに頭を下げた。しばらくの間、部屋の中に沈黙が流れる。
「好きにしろ」
その声に、慌てて顔を上げてシーズを見ると、彼は呆れたような表情で俺を見ていた。
「お前の策がどういう結末を生むのか。よく見させてもらう」
そう言って彼は立ち上がり、スタスタと玄関に向かって歩き始めた。だが彼は、外に出ようとしたそのとき、クルリと踵を返して再び俺に向かって口を開いた。
「そうだ。一つ聞き忘れていた。私たちが村人たちと仲良くなる方法、それを指示してくれるかい?」
「え?」
「ここまできたらノスヤ、お前のやり方に従ってみたいと思ってね。お前のやり方が、どんな結果となるのか、見てみたいと思ったのだよ。だから、指示をしてもらえないだろうか」
相変わらず口元は笑っているが、目は全然笑っていない。俺は内心はビビっていたが、何とか自分を落ち着かせて、ゆっくりと口を開く。
「では、村長の館……わかりますか? そちらで待機していてください。追ってお話に上がります。兵士の皆さんは……。避難所に空き部屋があるはずですから、そこを利用してください。館に行けば、ティーエンかウォーリアのどちらかがいるはずです。俺がそう言ったと言ってください。詳しいことは、彼らの指示に従っていただければと思います」
俺の話を聞いてシーズはゆっくりと頷いて、そのまま屋敷を出ていった。兵士たちも彼に続く。屋敷に再び静寂が訪れた。
「……ねえ、どうするつもりなの?」
ヴァシュロンが落ち着いた声で話しかけてくる。俺は手を顎の下にやって、ちょっと考える素振りをしながら、彼女に返答する。
「村人と仲良くなる方法かな? うん、一番手っ取り早いのは……」
そこまで言うと、ヴァシュロンがスッと顔を近づけてきた。
「実は、私にも考えがあるの……」
彼女の瞳の奥が、キラリと光った。




