第百六十四話 敵の素顔
まさかあのシーズが、インダーク帝国への対応を俺に一任するとは思わなかった。てっきりそれなりの指示が、無茶ぶりがあるものだと思っていた。何だか拍子抜けがしてしまうが、心の中には不安が湧き上がってくる。
シーズがこのような返事を寄こすのには訳があった。彼は彼で、政務に忙殺されているらしい。リリレイス王国の食料生産率を上げるために、あちこちと飛び回っているらしく、常に王都にいる状況ではないそうだ。
そんな兄の状況を語って聞かせてくれているのは、ガチムチのオネエであるサポスだ。彼は体をくねらせながら次から次へと話を展開していく。
「あっ、そうそう。デオルドちゃんだけれども、あたし達の仲間のところに身を隠したわ。静かなところだから、しばらくしたら元気になると思うわ」
彼は精神的にもかなり参っているらしい。ワオンに噛まれた足がまだ完治しておらず、足を引きずりながら生活しているというのもあるが、何より、ライオネル・リエラからの追手を恐れているらしい。彼は裏切り者には容赦がないらしく、実際、彼の同僚などは自ら命を絶った者もいるらしいのだ。
サポスは、隠れ家がバレることはほぼないと言っていたが、話を聞く限りでは、かなり粘着質な男であるようだ。できれば、関わり合いになりたくないものだ。
「殺すしかないですね」
突然、物騒な言葉をクレイリーファラーズが吐き出す。およそ天巫女とは思えない程の過激な言葉だが、サポスはうんうんと頷いている。
「きっと、ライオネル・リエラはとても弱い子なのよ」
「どういうことです?」
「本当に強ければ、一人で生きていけるし、自分で人生を切り開いていくものよ。そうした姿に、人は憧れて付いてきてくれるのよ。でも、ライオネル・リエラは、皇帝の権威をかさに着ているだけなのよ。ライオネル・リエラ一人では、誰も彼の言うことに耳を貸さないわ。彼自身もそれがわかっているんじゃないかしら? だから病的に自分の敵に回る者を追い落とそうとするんじゃないかしら? きっと、彼自身も不安なのかもしれないわね」
サポスの言っていることは腑に落ちる。もし、彼が本当に強い、もしくは自信があるのなら、直接俺のところに来て腹を割って話し合いをするくらいのことをしてもいいだろう。だが実際の彼は、無記名の手紙を寄こして、何となく自分の存在を臭わすようなことをして、無言の圧力をかけようとしている。俺が感じた気持ち悪さは、弱いくせに強く振舞おうとするその根性が原因なのかもしれない。
だが、俺自身も人のことを言えた義理ではない。立場が違えば、俺も同じことをしただろうと思うからだ。たまたま今の俺は、いい人に囲まれて伸び伸びと暮らしているが、権謀術数渦巻く社会に放り込まれ、不安の中で暮らすことになれば、強い者の後ろ盾を得ようとするだろうし、得たら得たで、それを離すまいと必死になるだろう。
俺は目を閉じて考える。俺がライオネル・リエラの立場に立っていたなら……。きっと、色々な権威を欲しがるだろう。その一番の権威である神の加護を得ようと、なりふり構わないだろう。そこまではわかるが、それから先はどんな手を打ってくるのかがわからない。感覚的に、とんでもないことをやってのけそうだというのはわかる。そして、話し合いは通じないだろうということも、何となくわかる。
俺はサポスが屋敷を出ていったあと、隣の天巫女に話をぶつけてみた。すると彼女から、こんな答えが返ってきた。
「こういう手合いを鎮めるためには、どうしたらいいだろうかですって? 殺すしかありません。先日の無記名の手紙は、言うことを聞かなければ、もっと陰湿で汚いことをやるぞというメッセージです。このまま放っておけば、きっとあなたもヴァシュロンも命を狙われます。話し合い? 通じるわけありません。あ、あなたが全面的にライオネル・リエラの言うことを聞きますと言うのなら、話は別ですけれど。でもそれはそれで大変ですよ? 無理難題を吹っ掛けてくるでしょうし、気に入らない仕事をすればすべてあなたのせいにされます。口答えでもしようものなら、皇帝の権威をかさに着て、徹底的に潰しにかかるでしょう。敵は、自分の都合のいいようにしか取らないので、基本的に話し合いはメチャメチャになります。まさに、こんなゲス野郎は近づかないのが一番ですが、すでにぞっこん注目度ナンバーワンになっているので、それも難しいですね。だから、殺すしかないと言ったのです」
「……すげぇ。よくそこまでわかりますね。類は友を呼ぶというヤツか?」
「何ですって?」
「いえ、こっちの話です。う~ん。この先も粘着されるのか……参ったな」
俺は天を仰いでいたが、やがてゆっくり息を吐き出すと、クレイリーファラーズに視線を向けた。
「あんまりやりたくはないのですが、こうなっては仕方ない。先手必勝で行きましょう」
「何をするつもりですか?」
「あなたにお願いしたいことがあるのです。それはね……」
「はぁ⁉ 何で私がそんなことを! イヤです! 絶対にイヤです!」
「これは、あなたしか、できないことなのです」
俺のその言葉に、クレイリーファラーズは何か汚いものを見るかのような表情を浮かべて、後ずさりをしている。そんな彼女に俺は紳士的な対応で、説得を試みるのだった……。




