第百六十三話 思惑
「ご領主……そんな作物の生育状況を調べて、何をなさるおつもりじゃ?」
ハウオウルが不思議そうな表情で尋ねてくる。俺はフッと笑みを漏らしながら彼に視線を向ける。
「いえね。条件が合えば、やってもいいかなと思うことがありましてね」
「条件?」
「ええ。まあ、色々と問題はあるのですが、上手くいく可能性は高い作戦があるのです」
ハウオウルは、不思議そうな表情を浮かべながら俺を眺めている。俺は彼にニコリと笑顔を返しながら、クレイリーファラーズに早く調べを進めるように目で促す。
「さてと。まずは、報告をしないとね」
そう言って俺は、シーズに認める手紙の内容を考え始めた。
クレイリーファラーズから報告があったのは、それから一週間後のことだった。何と彼女は、この国だけでなく、帝国の作物の生育状況までも報告してきたのだ。やればできるのだ。なぜ、彼女はその力を使わないのだろう?
報告によれば、リリレイス王国は、昨年の大凶作以来、逃げてきた難民たちに荒れ地を開墾させて畑を作り、そこでせっせと作物を育てているらしい。しかも作物は何とか育っているらしく、加えて、国内の畑も作物が育っているところもあるようで、おそらくこのままいけば、昨年よりはかなりマシな収穫高となるようだ。ただし、例年の収穫量にははるかに及ばないことは確実で、おそらく今年も作物の供出を求められるのは確実になるようだ。何より、一番ホッとしたのが、シマタ病に感染しているという報告がなかったことだ。どうやらシーズはシマタ病に感染している木や作物を徹底的に刈り取ったようで、そこには大きな悲劇があっただろうが、結果的にこの国は壊滅を免れている格好だ。
対して、帝国の作物の生育状況は、これは全体的に豊作になりそうなのだと言う。どうやら帝国の強気の姿勢は、ここに原因があるようだ。おそらく、リリレイス王国の民を、ある程度は養えるだけの食料が確保できるという目論見があるのだろう。これで、ようやく帝国の考えていることが、何となく読めた気がする。
帝国の狙いは、戦わずして勝つということをやりたいのだろう。隣国であるリリレイス王国が滅ぶのは、インダーク帝国にとってはむしろ歓迎するべきことだ。だが、まともに戦ったのでは、帝国は甚大な被害を受けることになる。下手をすれば、帝国自体が敗北する可能性すらある。そこで彼らは、一旦、リリレイス王国を弱体化させて、そこに付け込んで攻め入ろうと考えた。それが、昨年のあの農薬事件だ。
その作戦は成功し、リリレイス王国は弱体化した。あともう一押し、この国を弱体化させれば、帝国は戦わずしてこの国を併呑することができる。しかも、国境のラッツ村には、神の加護を受けていると言われるタンラの木が生えている。これを手に入れられれば、権威は最高に上がる。それは誰のためでもない、ただ一人、ライオネル・リエラだけのために行われているのだろう。
おそらくライオネル・リエラは帝国の権力を掌握したくて焦っているのだろう。でなければ、先日以来、俺に何度も接触してきたりはしないだろう。だが、彼の欲望のために、何十万人の人間が犠牲になっている。そこまでして帝国を動かしたいのだろうか。権力を握れば握るほど、色々と大変だろうと考える俺にはその思考回路が理解できず、思わずため息をつく。
ヴァシュロンから聞いた話によると、ライオネル・リエラは、通常であれば皇帝の側には寄れない身分の者であると言う。それが、たまたまそうした権力者と近しくなる機会を得た。できないと思っていたことができるようになった……。その感覚が、もしかすると彼を狂わせているのかもしれない。
「普通に医者をやっていればよかっただろうに……」
ヴァシュロンとお茶を飲みながら、俺は静かに呟く。
「普通に医者をやっていれば、ただ普通の町医者で終わるわ。町医者と言っても、あまり裕福にはなれないわ。賄賂を受け取る……みたいに、悪事に手を染めれば、話は別だと思うけれど……」
「医者じゃ稼げないので、独裁者に転職します……ってか? 最悪の職業選択だな」
「ドク……? よくわからないけれど、ライオネル・リエラが、侍医長になってから、宮廷内が少しずつ変わっている気がするわ。最初は単なる医者だからということで、あまり警戒はしていなかったけれど、あなたに直接、しかもギルドのブロック長を動かして手紙を届けてきたところを見ると、帝国内でかなりの権力を握っていると見てよさそうね。もしかすると、皇帝陛下や皇后陛下をかなり意のままに操っているのかもしれないわね」
「はあ……面倒くさいな。そういう権力闘争みたいなものは、帝国内でやってほしいんだけれどな。何故、俺を巻き込むかね? 早くこんなくだらないことからオサラバして、前のように、村のみんなと土いじりをしながら、美味しい作物を育てる生活に戻りたいな」
俺のその言葉に、ヴァシュロンは何も言わず、ただじっと俺を眺め続けていた。
そして数日後、シーズからの返信が俺の許に届いた。そこには、インダークへの対応は俺に全面的に任せると書かれてあった。その丸投げぶりに、俺は再び大きなため息をつくのだった……。




