第百四十四話 女心
ダイニングに戻ると、レーヴ嬢がテーブルの椅子に腰かけ、俯いたまま何もしゃべらなくなっていた。彼女の全身から、話しかけてくれるな、放っておいてくれという雰囲気が満ち満ちている。そんな彼女に俺は、声をかけることができなかった。
しばらくして、アンソレ子爵夫婦が屋敷に帰ってきた。二人はラッツ村を素晴らしいだの、この世の奇跡だのと言ってくれたが、両親の帰りを待っていたかのようにレーヴ嬢が、家に帰ると言い出して屋敷を出ていってしまった。驚きと戸惑いを隠せない子爵夫婦は、一体何があったのかと尋ねてきたが、俺は、自分の振る舞いに失礼あり、彼女を失望させてしまったのだと答えた。詳しくは本人に聞いてくださいと、やんわりとこの二人にもお帰りを願った。二人はショックを受けた状態のまま、屋敷を後にしていった。
その後、事の顛末をハウオウルとクレイリーファラーズ、そして、パルテックに話をした。ハウオウルは、ご領主がお怒りになるのも当然じゃと理解してくれたが、パルテックはヴァシュロンに、何と言うことをしたのだと言って叱っていた。
その晩は、皆で夕食を囲んだ。ヴァシュロンは俺のことを天才だ、などと褒めちぎってくれ、レークの見事な応対を褒めていた。それはかなり恥ずかしく、俺はレークと顔を見合わせながら、戸惑い続けていた。だが一方で、クレイリーファラーズだけは冷静に、これから先に起こるであろう問題を予想していた。
「今すぐあの、変態野郎に連絡しましょう」
ヴァシュロンたちが帰った直後に、クレイリーファラーズは俺にそう告げた。
「何故、今なのです?」
「早いうちに手を打った方がいいかと思います」
「どういうこと?」
「確か、あのレーヴという人は、一人娘ですよね? きっと今日のことをあること、ないことないことないことを両親に吹き込んでいるはずです。と、なればアンソレ子爵はあなたに対して激怒する……。そうなると、パパンは、ウチの娘が~とお仲間にあなたの悪口を吹聴することになります」
「別に、言いたければ言わせておけばいいのでは?」
「あなたの悪評が広まれば、もっとあなたを追い落とそうとする輩が現れるに決まっています。そうなると、税を上げられたり、難癖を付けられたりして、面倒くさいことが多く降りかかってきます。そうならないために、あの変態野郎に報告をして、先手を打っておくのです」
「なぜそのようなことが……あなたにわかるので?」
「女の勘です」
「マジで?」
「あのレーヴという女性……。あれは大人しい顔をしていますが、中身はプライドの塊です。絶対自分が一番かわいいと思っていますし、その上、自分の都合の悪いこと、思い通りにならないことが起こると、人のせいにしたり、逆ギレしたりするイヤな女です。こういう人は力のある男が好きですからね。権力者や金持ちにはすり寄ってぶりっ子をする……。そうやって権力をかさに着て自分の思い通りにコトが運ぶようにするものです。さしずめ、あの女の近くにいる権力者と言えば、パパンでしょうから、きっと今頃パパに猫なで声を出しながら、ノスヤというポンコツ童貞野郎をシメてちょうだいと言っているに違いありません。もっと女心をわかるようになりませんと、ヤケドをしますよ?」
まさか俺の目の前で俺をディスるとは思わなかった。ただ、言っていることは的を射ていると思う。似た者同士、よく相手のことがわかるのだろう。
「わかりました。あなたの言われる通りにしましょう。では、今からシーズの許に手紙を書きます」
そう言って俺は自室に入った。ワオンも一緒についてきたが、今からちょっと仕事があるから、大人しくしていてねと言うと、彼女はピョンとベッドの上に飛び上がり、横になった状態で大人しく俺を眺めていた。本当に頭のいい仔竜だ。
その後、ちょっと時間がかかってしまったが、何とか今日の顛末を書き上げ、お見合いがおそらく破談になるだろう、というより、俺にはあの女性とは結婚するつもりはないことも併せて書き記した。
ふと、ベッドを見ると、ワオンが既に眠りについていた。俺はその姿を微笑ましく思いながら、部屋の扉を開けてダイニングへと出た。
……何と、クレイリーファラーズも熟睡していた。すでにハンモックに横になり、イビキをかいていた。俺は無言で彼女のハンモックを強めに揺らす。
「ちょ……何ですか! 何をするのですか!」
「……手紙が書けましたよ」
「で?」
「で、じゃねぇ。今すぐこれをシーズの許に送ってください」
「私が?」
「鳥を使役できるのはあなたしかいないでしょう?」
俺は募るイライラを抑えながら、努めて冷静に話をする。
「今から鳥を使って届けるのと、明日の朝に早馬で届けるのと、どちらが早く着きますか?」
「……鳥です」
「お願いしていいですか?」
クレイリーファラーズは無言で手紙を受け取ると、そのままスタスタと勝手口から外に出ていった。しばらくすると、口笛が聞こえ、何やら鳥の羽音が聞こえてきた。
「すでにあの、変態野郎のところに向かわせました。これで安心です。あなたの名誉は守られるでしょう」
「いや、そんなドヤ顔で言われても……」
「よく鳥を使役することに気が付きました。決して私は寝ていたわけではありませんよ? ただ、体を休めていたのです。あなたが手紙を送ってくれと言ってくるのを待っていたのです」
どの口が言うとるんじゃと思ったが、今日の俺は疲れていた。俺は無言で頷くと、踵を返して部屋に戻り、そのままベッドに潜り込んだ。




