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第百四十三話 なおも、お見合い

入り口からのぞいたキッチンの中は、まるで時が止まったかのようだった。俺の方向を向いて目をカッと見開いて固まっているレークと、その膝に抱かれているワオン。彼女も不思議そうな表情を浮かべながらレークと同じ方向を見ている。そして、ヴァシュロンは、いつもの表情を崩さないまま、ある一点を眺めている。三人の視線先には、細い肩を震わせているレーヴ嬢の姿があった。


彼女は俺に背を向け、無言のまま一言もしゃべらない。背中越しのために、彼女が泣いているのか、笑っているのかがわからない。おそらくそのどれにも当てはまらない表情を浮かべていることは想像に難くないが。


「……だわ」


レーヴ嬢が何かを呟いた。背中越しのために、彼女の声を聞き取ることができない。一体何を言っているのかと聞こうとしたそのとき、ふと彼女が俺に振り返った。


「侮辱ですわ! このような年端も行かない子供と私を比べるとは……。こんな子供と比べた挙句、私がこの者より劣っていると言われるのは心外ですわ! 侮辱ですわ!」


まるでお芝居のヒロインのように右手を前に出しながら、彼女は声を荒げている。その後ろで、ヴァシュロンが呆れたような表情を浮かべている。


「お茶にしましょう」


ヴァシュロンが誰に言うともなく呟く。彼女はスッと椅子から立ち上がって、テーブルの上に置かれているポットを手に取った。そして、その前に置かれている大きなガラス瓶にお湯を注いでいく。


「レーク、よく見ていてね? 違っていたら、すぐに教えるのよ?」


ヴァシュロンはチラリとレークに視線を向けながら、ゆっくりとポットを上下させながらお湯を注いでいく。すると、ガラス瓶の中にはお茶の葉が入れてあったらしく、小さな葉っぱが、まるで泳ぐようにその中で躍動している。


「これでいいかしら?」


ちょっと得意そうな表情を浮かべながらヴァシュロンはレークに視線を向ける。レークは瓶をじっと見ていたが、やがて笑顔を浮かべる。


「大丈夫です。きっと美味しいお茶になります」


「そう? じゃあスナックにしましょう」


そう言って彼女は、あらかじめ用意していたのだろう、大学イモが盛り付けられた皿を2枚、テーブルの上に置いた。


俺とレーヴ嬢はまるでいないかのように、淡々と準備が整えられていく。レークだけはチラチラと俺たちに視線を向けて気遣ってくれるが、目の前で準備をしているヴァシュロンのことが気になるらしく、ほぼ、彼女と後を追うように動いている。


そんな中、ヴァシュロンが俺たちに視線を向けた。


「あなた達も食べる? 欲しければそのお鍋の中にあるから、勝手にとって食べるといいわ」


「ノスヤ様!」


レーヴ嬢が俺に訴えかけるような目で睨んでいる。俺は視線を外したい思いに駆られるが、我慢して彼女の額を見ることにする。


「あのような下女の振る舞い、許しておかれるのですか? あり得ませんわ。我が家でこのような振舞いをすれば、即座に手討ちに致します! このような作法も知らぬ者は、お斬りください。行儀作法も身に付いておらぬものなど、貴族の側に寄るべきではありませんわ!」


俺は彼女の顔をじっと見ていたが、やがて、ゆっくりと顎をしゃくる。レーヴ嬢は怪訝な表情を浮かべながら後ろを振り返ると、そこには驚きの光景があった。


……何と、ヴァシュロンが見事な作法でお茶を飲み、大学芋を食べていたのだ。


膝の上に器用にティーカップの受け皿を置き、そこからとても洗練された動きでお茶を飲んでいた。さらには、皿を手に持ちながら、流れるような動きで大学芋を口に運んでいたのだ。


「……何よ?」


喋りさえしなければ、ヴァシュロンは立派な公爵令嬢だ。どこに出しても恥ずかしくないお嬢様なのだ。俺は改めて彼女を尊敬のまなざしで眺める。


ふと、隣のレーヴ嬢を見ると、オロオロとした様子で、悔しそうな表情を浮かべている。何か言いたそうな雰囲気で、口がモゴモゴと動いているが、言葉が出てこない。


「こんなことって……こんなことって……」


俺は静かにレーヴ嬢に話しかける。


「これが知るということです。あなたは彼女を見た目だけでただの下女だと思いました。ですが、実際の彼女はどうでしょう? あれほど洗練された作法で振舞える女性なのです。今、あなたは彼女の何たるかを知った……。だから悔しいのですよ。それは正常なことです。もし、知らないままで、あなたが彼女を侮ったままであったら……それこそ大恥をかいています。ですから、知ることは大切なのだと俺は思います」


「何という……。皆で寄ってたかって私を……。酷い……」


「酷くなんてないわよ? むしろ、優しいわよ?」


今にも泣きだしそうな表情を浮かべているレーヴ嬢にヴァシュロンが声をかける。彼女は持っていた皿と膝に乗せているティーカップをテーブルの上に置くと、さらに言葉を続ける。


「あなたも貴族の一員ならばわかるでしょ? 貴族と言うのは人の粗探しをするのが好きなのよ。ご領主様が貴族らしい貴族なら、黙ってあなたのことを見過ごして、その後で、貴族中にあなたの無知を言いふらすでしょうね。そしてあなたは、みんなに笑われる……。でも、あなたはそれを知らないから、また同じようなことになる……。その行きつく先がどのようなものかは、言わなくても分かるわよね? 何も知らないというのは楽だけれど……何も良いことはないわね。ご領主様はそれを丁寧に教えているのよ、わかる?」


ヴァシュロンが止めともいえる一言を放っている。レーヴ嬢はフラフラとその場から離れ、ダイニングのテーブルに向かってゆっくりと歩いて行った。


俺は思わずヴァシュロンに向けて親指を立てた。そして、彼女も俺に向かってウインクを返した。

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