第百三十六話 助け船
いつになく、真剣な眼差しをシーズは俺に向けている。まずは、誤解を解かねばならないと思いながら、俺も席に着く。
「何と言うことをしてくれたのだ。ヴァシュロン嬢は公爵令嬢だぞ? 奴隷とは訳が違うのだぞ?」
「あの……言っておきますが、誤解です。誤解なのですよ」
「黙れ! こんな年端も行かない少女が、自分の口から手籠めにされたと言っているのだ。どう責任を取るつもりなのだ?」
「いや、だからですね」
「お前の婚約は、白紙にする」
俺の話を全く効く耳を持たず、どんどん話が進んでいる。今のところ、俺にアドバンテージがある形で話が進んでいるために、これはこれでいい感じなのだが、ともあれ、この人の誤解を解いておかないと、あとあと面倒なことになりそうな気がするので、俺は言葉を挟む余地を見極めようとする。
だが、その俺の計画は潰されてしまった。うつ伏せに寝ていたクレイリーファラーズが、突然起き出したのだ。
「黙って聞いていりゃペラペラと! さっきからうっせぇんだよ!」
完全に酔っ払っている。この馬鹿野郎がと言いそうになったそのとき、クレイリーファラーズが、顔を真っ赤にしながら、振り絞るようにして声を出す。
「早く、返して……」
一体何のことだかわからず、俺は彼女を呆然と見つめる。シーズはその声がまるで聞こえていないかのように、完全に無視をして、俺を睨みつけている。
「返せよ!」
真っ赤なクレイリーファラーズの瞳から涙が溢れ出ている。何だこの天巫女は、怒り上戸のうえに、泣き上戸なのだろうか?
そんなことを考えていると、シーズが一切表情を変えないまま、ポケットに手を突っ込み、白い布切れをテーブルの上に放り投げた。
……よく見ると、それは女性ものの下着だった。
一体いつの間に? 驚きのあまり目を向いてシーズを凝視するが、彼は先ほどから俺を見つめたまま、一切表情を崩さない。クレイリーファラーズは泣きながら、そのパンツをひったくるようにして自分の手の内に隠し、そのまま俺の部屋に消えていった。
「さて、話の続きだ、ノスヤ。一体どういうつもりだ?」
ここはチャンスだと俺は踏んだ。むしろ、ここを逃すと永遠に誤解は解けそうにもない気がしていた。俺は気合を入れる。
「どうするもこうするも、俺は彼女を手籠めにはしていません。確かに尻は叩きましたが、……おっと、俺の話を最後まで聞いてください? 村の中で強力な魔法を、何も考えずに彼女は放とうとしました。そのきっかけを作った男……要は彼女にケンカを売った冒険者がいたのですが、二人の小競り合いで、下手をすると死人が出るところでした。すんでの所で俺が止めましたが、喧嘩両成敗ということで、冒険者には剣が使用できなくして、彼女には尻たたきの刑を受けてもらったというわけです」
「尻叩きとは……何でやったのだ?」
「俺の手です」
「お前の手? ということは、女性の尻に触れたということじゃないか! 未婚の女性の尻に触れるとは……失礼にも程があるぞ! 何という男だ、お前という男は……金輪際兄弟の縁を切る!」
ヤバイ……火に油を注いでしまった。これは、どうしたらいいのだろうか?
「あなたも人のこと言えないわよ」
突然ヴァシュロンが口を開く。シーズの視線がようやく俺から外れた。
「あなただって、女性を手籠めにしているじゃない。それを棚に上げて、ご領主様を批判するなんて、あなた、最低よ?」
どこまで恐れ知らずやねん、この女子は!? 明らかに、兄さんの顔色が変わっていますやん! 謝りなはれ! 謝っておくんなはれ! お願いや~!
神に祈るように俺は心の中で絶叫していた。
シーズは、何を言っているのかがわからないと言わんばかりに、少女をじっと見つめている。
「クレイリーファラーズさんのことはどうするのかしら?」
「何を言って……奴隷のことなど……」
「あの人は奴隷じゃないでしょ? 家庭教師でしょ? 奴隷でもない女性を、あなたは抱きしめて、あろうことか下着を奪って辱めているわ。それが貴族のすることかしら? 私から言わせれば、あなたこそ一体どういうつもりなのかしら。それに……」
彼女は、タン! と両手をテーブルについて、シーズを睨みつける。
「たとえ、あの人が奴隷であったとしても、今のようなことが許されるのかしら? あなたは、女性の奴隷に対して、人を人とも思わない振る舞いをするのかしら? あの子を見て!」
ヴァシュロンが指さした先には、レークの姿があった。彼女はいきなり指を差されたので、ビクッとなっている。
「あの猫獣人の子も、ご領主様の奴隷だというわ。でも、ご領主様はあの子に対して、とても紳士に接しているわ。抱きついたり、下着に手をかけたりするなどと言う振る舞いは、私の知る限り見たことがないわ。そんなことは、していないのでしょ?」
俺は思いっきり、コクコクと頷く。よく言ってくれた! 姉さん、よく言ってくれました!
シーズを見ると、彼はゆっくりとヴァシュロンから視線を外した。どうやら彼も思うところがあるらしい。
さて、仕切り直しをしようかと思ったその矢先、俺の部屋の扉が開いて、再びクレイリーファラーズが姿を現した。
「さっきからうるせぇよ小娘! しゃしゃり出て調子に乗ってんじゃねぇよ! つーか、さっきの細いジジイ、あれは誰なんだよ!」
この馬鹿野郎、酒毒に頭をやられたか? 誰彼構わず喧嘩を売っていやがる。だが、いいパスだ。ちょうど俺も、あの老紳士のことを知りたいと思っていたのだ。俺は姿勢を正して、改めてシーズに向き直った……。




