第百三十五話 誤解
「報告します! 避難所につきましては異常ありません!」
シーズが視察にやった兵士たちが帰ってきた。一人は髭面の大男で、ガタイがいい。声も野太く大きくて、怒らせると怖そうだ。もう一人の兵士は、細面で眼光が鋭い。まるで物事のすべてを見通しているかのような冷たい目をしている。コイツも怒らせると、色んな意味でややこしそうだ。
そんなことを考えている間に、シーズはこの二人にテキパキと指示を与えている。何と、王都に着くまでの、詳細な移動時間まで伝えているのだ。その上、どの街の、どの宿の、どの部屋を使うというところまで指示している。そして、細面の兵士がスッと一礼をして、屋敷を出ていった。あの、膨大な指示を記憶したというのだろうか? マジで? どんな頭の構造をしているのだろうか?
ようやく黙ったシーズは、俺たちに背を向けたまま、腕を組んで何かを考えている。そんな彼に恐る恐る尋ねてみる。
「あの……どうしてそこまでするのです? それに、俺の結婚相手って……」
「すまない! ちょっと話しかけないでくれ! ああ、お前がわからないのも無理はないか。クレイドル公爵は獣なのだ。あと、お前の結婚相手は、アンソレ・レイユ・レーヴ嬢だ」
彼としては、実に効率よく、手短に、要点を掴んだ説明をしたつもりなのだろう。だが、聞いている俺は、話が省略されすぎていて、逆に何のことだかいまいちわからない。それに、終始俺たちに背を向けたままで話しているので、彼の表情や仕草から、話の内容を読み取ることができないので、さらに伝わりにくいものになっている。クレイドル公爵が獣であるという説明は何となくわかるが、結婚相手については、レという言葉がやたらと多用されている女性としかわからない。
「あの……もう少しわかりやすく……」
「サポス! お前は身を挺してヴァシュロン嬢を守るのだ。片時も傍を離れるな」
シーズは残っていたもう一人の、ガテン系の兵士に指示を与えている。兵士は敬礼をしながら、いざというときは、命に代えてお守りします、と物騒な言葉を吐いている。
「では、参りましょうか」
突然、シーズが俺たちに振り返り、そんな言葉を吐く。全く流れがわからない俺たちは、無言のまま固まる。
「ご老女、あなたも、どうぞ」
俺たちの様子は眼中にないとばかりに、話を進めていくシーズ。こんなとき、クレイリーファラーズが何とか言うなり、俺の頭に話しかけてくるものなのだが、彼女は寝ているのか、テーブルに突っ伏したままだ。肩がかすかに震えているように見えるので、まさか、泣いているのだろうか?
俺が呆気に取られているそのとき、ヴァシュロンが落ち着いた声で呟く。
「せっかくだけど、自分の身は、自分で守るわ」
「何を言っておいでです?」
シーズが呆れた口調で返答している。だが、彼女は全くひるまずに、堂々と言葉を返す。
「自分の身は自分で守るわ。それに、このご領主様の結婚相手は決まっていると言っていたけれど、それは、ご領主様は望まれているのかしら? さらに言うと、お相手の方は、ご領主との結婚を、望んでいるのかしら?」
「今は、そういうことを話しているときではございません。まずはあなたの身が」
「私は、私の人生を、私の手で歩んでいきたいのよ!」
あまりにも堂々としたその立ち姿に、さすがのシーズも驚いた表情を浮かべながら固まっている。
「私は、知らないことを学びたいの。両親の決めた人生を歩むことは楽だわ。だって、何も知らないでも生きていけるのだもの。お義母様は言ったわ。知るということは、屈辱を感じることに等しいと。知れば知るほど、自分の至らなさを知ることになるし、悔しい思いや悲しい思いをする場面も増えるわ。でも、私は知りたい。知りたいのよ。どうして豊作と不作の地があるのか。豊作の土地はどうして豊作になったのか? 不作の地はどうして不作になったのか? 私は知りたいのよ。クレイドル様の許に嫁入りしても、私の疑問には答えては下さらないわ。でも、このご領主は、私の疑問に答えてくれるの。この人は、私が知りたいと思うことを知っているのよ。だから、この人の傍に居たいと思ったのよ。傍に居れば、わからないこと、知りたいことがあれば、すぐに教えてもらえるわ。私がこの村に来たのは、そういうことだったの。ただ、この人に私は手籠めにされたから、その責任を取ってもらわないといけないのよ。だから、私との結婚の話をしているのよ」
「て……手籠めって、ノスヤ、お前まさか……」
「どういうことでしょうか?」
突然、男性の声が響き渡る。ふと気が付くと、ガタイのいい兵士のすぐ隣に、ガリガリに痩せた紳士が立っていた。仕立ての良いスーツを着ている。誰だ、コイツは?
「……あなたが、クレストフォード殿かな?」
シーズが落ち着いた声で、その男性に話しかけている。彼は一切表情を変えないまま、スッと一礼をし、再び口を開く。
「クレイドル家で執事を勤めます、クレストフォード・ダリスと申します」
彼は鋭い眼差しのまま、目だけを動かして、俺たち一人一人に視線を向ける。そして、最後にヴァシュロンをじっと見据える。
「手籠めにされたと伺いましたが、それは、事実なのでしょうか?」
「事実よ。無理やり抱えあげられて、押さえつけられて……痛かったわ!」
その言葉を聞いた瞬間、クレストフォードの目が、カッと開かれる。
「何と言うことだ! これは、大変なことでございます! すぐに我が主に報告をせねば! 生娘ではないとは……何と言うことだ!」
そう言うと彼は、まるで霞のようにスッとその姿を消してしまった。あまりのことに、俺は声すら出すことができなかった。
「……ノスヤ、座れ」
沈黙の中、シーズの声が屋敷に響き渡る。彼は無表情で、背筋が凍るほどの冷たい視線を俺に投げかけていた。……兄さん、誤解です。マジで、誤解なのです。




