第百三十四話 お前、今、何て言った?
「やはり、王都にてお預かりいたします」
シーズはそう言い切った。やっぱりそうなるか……。俺は心の中でそう呟いていた。
「それじゃ、意味がないわね」
ヴァシュロンはスッと立ち上がると、目の前に座るシーズをキッと睨み、そのままスタスタとキッチンの方向に向かって歩き始めた。
「パルテック! 帝都に帰るわ! 準備して!」
「姫様……」
老婆が大儀そうに杖を突きながらダイニングに現れる。その後ろを、ワオンを抱えたレークも付いてきていた。
「私をこの国の王都にどうしても連れて行くって言って、聞かないの。話にならないわ。この村に居られないんじゃ、意味がないから、帝都に帰るわよ。準備をしてちょうだい」
パルテックはオロオロと俺とヴァシュロンを交互に視線を向けている。その様子を見ながら、シーズはニコリと微笑みながら、言葉を返す。
「お帰りになるのでしたら、森を抜けるまで護衛をつけましょう」
「いらないわ。それに、あなたの護衛……武装した兵士が国境を越えた段階で、リリレイスが侵攻してきたと帝国は解釈するわ。あなたが戦争の引き金を引くことになるけれど、それでもいいの? むしろ、帝国と戦争をしたいのであれば、そうしてもらっても構わないわ」
「フッ、アッハッハッハ。ハッハッハッハ」
何故かシーズが爆笑している。その様子が癪に障ったのか、ヴァシュロンがキッとした目でシーズを睨んでいる。
「何がおかしいのかしら?」
「いや、お強い女性だと思いましてね」
「皮肉かしら?」
「いや、本心からそう申し上げているのですよ。あなたの才覚があれば、どこでも生きていけますよ」
シーズの言葉に、彼女は何故か俺に視線を向けた。その目が、何コイツ? アンタの兄貴でしょ? なんとかしなさいよ! と語っている。俺はゆっくりと彼女から視線を逸らせた。
その瞬間、俺の目の前に、ヴァシュロンの顔が現れた。俺は思わず仰け反る。
「何なんだ、さっきから。顔が近すぎるよ」
「目が合わないんだから、仕方がないでしょ!」
「え?」
「あなたと話していると、目が全然合わないのよ。だから、あなたが本当にどう思っているのかがわからないよ。それに、女性と話をするときに、目を合わせることは、最低限のマナーよ? それともあなたは、私のことが嫌いなわけ?」
……女子と目を合わせる? なんてハードルの高い要求だ! そんなこと、できるわけないじゃないか! 無理無理、俺には絶対に無理だ!
俺は天井を向きながら目を閉じる。すると、いきなり頭と顎を掴まれる。何事かと思って目を開けると、やっぱりそこにはヴァシュロンの顔があった。
「何で、目を、合わせないのよ!」
鼻と鼻がくっついています! 恥ずかしいですからやめてください! 唇を突き出せば、キスできちゃいます! 離れて、お願いだから、離れて……。
俺の必死の願いも空しく、彼女は超至近距離で俺の目を見つめ続けている。俺はゆっくりと目を閉じて、情けない声を出しながら、必死で彼女に許しを請う。
「かっ、かわいい女子が苦手なのですよ~。目を合わせるなんて無理です~。ごめんなさい、あやまりますから、勘弁してください~」
俺はゆっくりと顔を背けようとするが、ものすごい力で元の位置に戻される。てゆうか、爪が顔に食い込んでいる……。痛い、痛いよ~。
「何て言ったのよ、今!」
「ごっ、ごめんなさい~」
「何て言ったのって、き・い・て・い・る・の・よ」
「かわいい女子が、きれいなお姉さんが、苦手なのです~」
俺はそう言いながら、薄目を開ける。するとそこには、顔を真っ赤にしたヴァシュロンの姿があった。
「……今回だけは、許すわ」
やっとその手が離れた。俺は両手で顔をゴシゴシと磨く。マジで痛かった。何で俺がこんな仕打ちを受けなければならんのだ。そう思いながら、やっとのことで顔を上げる。
すると、目の前には、未だに顔を真っ赤にしたままのヴァシュロンがいた。彼女は俺を睨んでくるのかと思っていたのだが、それはしてくることはなく、何故か俺から視線を逸らせた。これは、完全に怒らせてしまったらしい。
「意外と二人は、似合いの夫婦になるかもね」
そんな冷やかしをシーズが入れてくる。黙っていろよ。
だが、その挑発にヴァシュロンは易々と乗ってしまう。
「元々は、このご領主様と結婚しようと思っていたのよ」
「何だって?」
シーズが目を丸くして驚いている。あれ? 言っていませんでしたっけ? ……ああ、そのくだりは端折った気がする。そうか、じゃ、今、説明しなきゃならないな。
「あの……元々、このヴァシュロンさんがこの村に来られたきっかけは、村が豊作で、しかも神のご加護を受けていると聞いたからでして……。で、お見えになりました。そのとき、ちょっとした小競り合いを起こしまして、それを俺が止めたのをきっかけに、結婚しろと迫られたのが始まりなのです。いえ、俺が結婚しろといったのではないですよ? あくまで、こちらの方が結婚しろと言われるので……」
「まさか、ノスヤ、お前……」
「いえ、最後まで話を聞いてください? そのときは穏便にお引き取りをいただいたのです。その後、再びお見えになりまして……。そう、手紙で報告しました通り、彼女が結婚させられそうになったからお見えになったと。ええと、お相手は誰でしたっけ?」
「バーリントン王国の、クレイドル公爵よ」
「そうそう。その公爵が、確か、43歳になるおっさんなのでして……。それが、14歳の彼女に求婚してきたと。しかもそいつは、妻が何人もいて……。それが嫌で来られたと……」
「すぐに王都に連れて行く!」
シーズは立ち上がりながら、大声で叫んだ。あまりのことに、俺は固まる。
「ヴァシュロン嬢。あなたがここに居ては、確実に命がない。死にたくなければ、私と一緒に王都にお越しください。それと、ノスヤの結婚相手はすでに決まっております。弟の嫁になる、ならないの話は今後、無用です。ささ、早く。そちらのご老女も、ヴァシュロン嬢のお身内の方でしょうか? それならば、あなたも王都にお連れします。さ、早く準備を!」
シーズは二人を急き立てているが、どさくさに紛れて、何か物騒なことを言わなかったか? 俺はシーズに確認をしたいと思っているが、彼は俺のことは一切眼中にないらしい。おーい、お兄さん。俺の話を聞いてくださーい……。




