第百三十三話 お見事
恐る恐る目を開けて見ると、クレイリーファラーズが、シーズに向けてファイティングポーズを取っていた。
「こいっ! こい、コノヤロー!」
何故か顎を突き出しながら喋っている。それはもしかして、アントニオ〇木のモノマネか? 頼むからやめてくれ……。
俺の願いも空しく、シーズは席を立って、ゆっくりとクレイリーファラーズの許に向かう。
「バカ野郎っ!」
あろうことか、クレイリーファラーズがいきなりシーズに向かってビンタを放つ。だが、彼はそれを軽々と躱す。見事なスウェーでそれを躱したかと思うと、まるでプロボクサーのような動きで、彼女の懐に入り、そして、彼女と顔と顔が触れ合うギリギリの所まで近づきながら、声をかける。
「これは一体、何の趣向だい?」
「うっ……くっ……」
あまりの近さに、クレイリーファラーズが顔を背けている。だが、シーズの右腕は彼女の背中に回っていて、ガッチリと抱きしめられている格好になっている。同時に、その左手は彼女の右手を掴んでいる。もはや、彼女に逃げられる術は残されていないように見えた。
「うん? 酒の臭い? 奴隷の分際で酒を飲むとは……」
シーズはそんなことを呟きながら、俺に向けて視線を移してきた。これは一体、何と言い訳したらいいのだろう。頭の中が真っ白になる。だが、そんな俺の心配をよそに、シーズは意外な一言を口にした。
「奴隷に酒を飲ませてから……という趣向かな? ノスヤ、お前は相変わらず、色んなことをしたがるのだね」
彼はそう言うと、クレイリーファラーズの背中に回り込んだかと思うと、彼女の背中をドン、と押した。その勢いで彼女は、まるで飛び六法を踏むような体勢で、トントントンと飛びながら俺たちの所までやって来た。
「ううっ!」
見事なコントロールというべきか。クレイリーファラーズは俺のすぐ左隣、いわゆるお誕生日席となっているところにストンと座り、そのままパッタリとテーブルに突っ伏してしまった。
「おっ……お見事!」
思わず声が出てしまった。その声にシーズはニコリと笑みを浮かべながら、ゆっくりと、もと居た席に着いた。
「いや、話が途切れてしまいましたね。話を元に戻しますと……」
「待って」
シーズが話を続けようとしたところに、ヴァシュロンが割って入る。彼女は俺とシーズに交互に視線を向ける。
「あなた、このクレイリーファラーズさんを手籠めにしたわね? どう責任を取るつもりなのよ?」
「うん? お言葉の意味がわかりかねますが?」
シーズが本当に、意味が分からないといった表情を浮かべている。だが、そんな彼に一切構うことなく、ヴァシュロンは言葉を続ける。
「あなた、結婚しているのかしら?」
「……甲斐性のない男でしてね。未だ独身です」
「それならば、猶更だわ! あなた、未婚の女性の体に触った挙句に、突き飛ばしているわ! どう責任を取るつもりなの? あなたも貴族の一員だったら、責任を取るべきだわ!」
ヴァシュロンはビシッとシーズを指さして決まっている。おお、何か、かっこいいぞ。
「少し落ち着きましょうか、ヴァシュロン様。ここはリリレイス王国です。インダーク帝国ではありません」
シーズが宥めるように話しかけてくるが、彼女は承知しない。
「リリレイスであれ、インダークであれ、女性を大切に扱うのは、紳士としての嗜みであるはずだわ」
「そうですね。お説の通りです。それが、貴族の女性であれば、ですが」
「どういう意味よ?」
「そこで倒れ伏しているのは、奴隷でございますから」
「ど……奴隷? この人、奴隷なの?」
ヴァシュロンが目を丸くして驚いている。そして、その表情のまま俺に視線を向けて、固まっている。
「どうなのよ?」
うわっと俺は思わず仰け反る。だから近いからやめなさいってば!
俺は体勢を立て直しながら、コホンと咳払いをしながら、言葉を返す。
「あの……こちらのクレイリーファラーズさんは、俺の、家庭教師になります」
「ほら御覧なさい! 家庭教師だと言っているわ!」
勝ち誇ったような表情を浮かべるヴァシュロン。一体何が彼女をそこまで駆り立てるのだろうか? そんなことを思いながら俺は目の前のシーズに視線を向ける。彼は不思議そうな表情を浮かべながら俺を見ていたが、やがて何かに納得したような表情になって、再び口を開いた。
「なるほどね。うん、そうか、家庭教師か。家庭教師ということなのだね。それは悪かった。いや、ここで詫びさせてもらう。悪かったね、ノスヤ」
またまたこの人は、とんでもない思い違いをしているようだ。だが、今はそれに乗ることにする。頭の回転が速すぎる兄貴というのも、ある部分では助かるものだ。
「えっ……ええ。こちらこそ、酔っ払って暴力を振るおうとしたこと、俺の方からも謝らせていただきます。今回のことは、お互い様ということで……」
俺のその言葉に、シーズは全てわかっているといった表情を浮かべている。そして、隣のヴァシュロンも、俺たちの表情を見ながら、口を真一文字に結びながら、姿勢を正した。
「さて、話を元に戻そう。ヴァシュロン嬢、あなたの身柄ですが……」
俺は姿勢を正して、兄の言葉に耳を傾ける。




