第百三十二話 災いは突然に
まさに突然の来訪だった。いや、別に来るなとは言わない。だが、来るなら来るで、事前に連絡が欲しかった。
俺はそんなことを思いながら、目の前に座る兄のシーズを眺めている。
「いや、前触れもなく突然訪ねて悪かったね」
そう言って彼はニコニコと笑っている。
兄・シーズが現れたのは、ちょうど昼食を終えた直後だった。突然玄関の扉が叩かれ、レークが応対に出た。その直後、彼女の戸惑った声が俺の耳に入ったのだ。
「あの……ちょっと、困ります! あの……」
彼女の声とともにダイニングの扉が開かれ、そこには二人の屈強な兵士を従えた兄・シーズの姿があった。彼は俺の姿を見つけると、ニコリとした笑顔を湛えて、嬉しそうな声を出した。
「やあノスヤ、しばらくぶりだね」
挨拶もそこそこに彼はテーブルに着く。その様子を、キッチンにいたヴァシュロンがひょいと顔を出しながら眺めていた。
「どうしたの? このお方は、どなた?」
パタパタと俺の側に彼女はやってくる。それを見たシーズは小さく頷いた。
「この方かい? コンスタン将軍のご令嬢というのは?」
その問いかけに、ヴァシュロンはすぐに反応する。
「ヴァシュロン・リヤン・インダークよ。あなたは、誰なの?」
およそ公爵令嬢とは思えぬ振舞いに、さすがのシーズも一瞬ひるんだ表情を見せたが、すぐに元の笑顔に戻って、まるで格の違いを見せつけるかのように、スッと立ち上がったかと思うと、右手を胸に当ててお辞儀をし、とても優雅な振舞いで自己紹介をして見せた。
「お初にお目にかかります。リリレイス王国子爵、アーバン・ヒーム・ユーティンの三男、シーズ・ヒーム・ユーティンでございます。以後、お見知りおきを」
その様子を見たヴァシュロンが、シーズに負けず劣らずの優雅さで挨拶を返す。
「お目にかかれて光栄でございますわ。コンスタン・リヤン・インダークの娘、ヴァシュロン・リヤン・インダークでございます。こちらこそ、お見知りおきを」
そう言って、左足を後ろに回して、スッと腰を落として見せた。あとで俺もやってみたが、なかなかあんな感じで美しい所作はできない。この少女もダテに公爵令嬢をやっているわけではなかったようだ。
シーズは兵士たちを後ろに従えたまま、俺たちに着席を促した。いや、ここは俺の屋敷だろうに……と一瞬思ったが、そこは口に出さないことにして、俺はヴァシュロンと共にテーブルに着いた。
「で、訳を聞こうか?」
出し抜けにシーズが口を開く。俺は一体何のことだかわからずに、キョトンとしてしまう。その様子に彼は、目をキラキラさせながら、さらに言葉を続ける。
「こちらのヴァシュロン嬢については、王都でお預かりしよう」
「いやよ」
シーズの言葉に、間髪を容れず少女が言葉を返す。その様子に彼はちょっと驚いたようだったが、すぐに彼女に視線を向け、落ち着いた声で話し始めた。
「あなたは、リヤン・インダーク公爵家の令嬢です。公人としてお迎えせねば、失礼に当たります」
「その気遣いは無用だわ」
「ほう……理由を伺いましょうか?」
「私はこの村に学びに来ているのよ。何も、リリレイス王国のためでも、インダーク帝国のためでもないの。だから、私を王都に迎えるとか、公人と扱うとかいうのは、ちょっと話が違うわ。だから、無用だと言ったのよ」
シーズは一切表情を変えず、優しい笑みを浮かべたまま、俺に視線を向ける。
「ノスヤ、色々と、大変だったろうに」
その言葉に、俺は苦笑いを浮かべる。
「どういう意味?」
「いいえ。他意はございません」
シーズはそこで言葉を切ると、後ろに控えた兵士たちに目配せをした。すると彼らは、スタスタと屋敷を後にしていった。
「あの……何か?」
「ああ、避難所の様子を見に行かせたのだよ。報告は聞いているけれど、一応確認はしないとね」
俺はシーズの言葉の意図が呑み込めなかった。気になるのであれば、自分が行けばいいのだ。避難所は、この屋敷から目と鼻の先にある。それをわざわざ兵士たちに見に行かせる意味が、俺にはわからなかった。
「あなたはたしか、『宰相の頭脳』と呼ばれているお方よね? そんなあなたが、一体この村に何をしに来たわけ?」
俺がシーズの意図を測りかねているうちに、ヴァシュロンが直球の質問を投げかけてしまった。シーズはゆっくりと息を吐き出しながら、彼女を眺め続けている。何となく、二人の間で緊張感が高まっている。
「あなたを、捕らえに来ました」
「は?」
笑顔でシーズが、これまた本音をブッ込んできた。俺は何と答えていいのかがわからずに、固まってしまう。そんな俺を尻目に、ヴァシュロンが呆れたような表情を浮かべながら首を振っている。
「どうしてみんな、捕らえるだとか、捕虜だとか、そんな話をするのかしら? 前にも同じことを言われたわ。そのときも同じ答えを返したのだけれど、リリレイスとインダークは別に、戦争をしているわけではないわ。そんな中で、私を捕らえるなんてことは……」
「いいえ、我がリリレイス王国とインダーク帝国は戦争状態にあります」
「え?」
「昨年、インダーク帝国の攻撃で、我が国の農作物は壊滅的な被害を受けました。……ええ。軍勢で攻めてきた訳ではありません。ですが、インダーク帝国は明確に、我が国の農作物を壊滅させようと意図して、それを実行しました。宣戦布告こそありませんが、攻撃を受けたことは確かです。ただ、我が国が反撃していないだけで、現在、リリレイス王国とインダーク帝国は戦争状態にあります」
「……」
「そのため、私はあなたの身柄を拘束しに参りました。今、こうしてお話致しましたので、あなた個人に我が国を攻撃する意思はないと感じております。ですが、国同士のことであれば、話は別です。我が国はインダークからさらなる攻撃を受けぬようにするために、防衛手段を取らねばなりません。あなたはインダーク帝国軍総司令官のご令嬢です。誠に遺憾ではありますが、あなたの身柄を拘束して、敵軍司令官と交渉したいと考えます。これは……」
「たっ、たらいまー」
シーズの言葉を遮るような大声が屋敷に響き渡る。声のする方向に目を向けると、そこには、酔っ払ってベロベロの、完全にできあがった状態のクレイリーファラーズの姿があった。目が完全に据わっている。彼女は屋敷内を見廻すと、シーズの存在に気が付き、彼を指さしながら口を開いた。
「おっ! 変態兄貴! また来やがったか! さあ、私が相手だ! かかってこい!」
……俺は静かに目を閉じて天を仰ぎ、目の前の現実からの逃避を図った。




