第百二十九話 老婆の懇願
「恐れながら……」
イケメン野郎は出ていったが、その後ろに控えている老婆はまだ、残ったままだ。彼女は心配そうな表情を浮かべながら、俺とヴァシュロンを交互に視線を向けてきた。
「ご領主様、姫様のこと、何卒よろしくお願い申します」
「パルテック……」
ヴァシュロンは思わず声を漏らす。その様子に老婆はニコリと笑いながら、俺に視線を向けた。
「この通り、姫様は世間知らずでございます。それはこの婆が、世間一般のことはお教え申さずにここまで育ててきたためでございます。何卒、その点をお汲み取りいただきまして、どうか姫様を、姫様をお願い申し上げます」
「心配いらないわ、パルテック。あなたは何かというと心配ばかりしているわ。少しは私のことを信じてちょうだい」
「姫様は、頼もしくおなり遊ばしました。ただ、世間というものは、姫様が想像している以上に冷たく、また、過酷なものでございます。ですが、こちらのご領主は、きっと姫様の良い味方となってくれましょう。ええ、私にはわかります。きっと、色々なことを学び、経験されることでしょう。良いことも悪いことも、そして、悲しいことも……。ですが、きっと姫様ならば乗り越えられます。ええ、乗り越えられますとも。私は、成長した姫様を見るのを楽しみに待っております」
「ええ、きっと、パルテックが驚くような才女になってみせるわ」
どこまでも強気なヴァシュロンに老婆はニコニコと微笑んでいる。
「あの……何でしたら、ビッグ〇ックが届くまで待ちませんか?」
俺は思わずそんな声をかけてしまった。何となく、この老婆が二度と俺やヴァシュロンの前に現れなくなってしまいそうな気がしたのだ。俺はレークに命じて、外で待っているであろうイケメン野郎に、早くケンタッ〇ーフライドチキンで、ビッグ〇ックを買ってくるように伝えさせる。
「どうぞ。立ちっぱなしてお疲れでしょう。どうぞ、中へ」
そう言って俺は二人を屋敷の中に招き入れた。
結局、イケメン野郎はものすごい速さで馬を駆って、この屋敷を後にしたらしい。そして、ヴァシュロンとパルテックは、しばらくは村長の屋敷に寝泊まりしてもらうことにした。あそこならば、ティーエンをはじめ、ウォーリアたちもいる。一応、彼女の身分は伏せてはいるが、明らかにそこいらの少女とは雰囲気が異なるために、皆、薄々はどこかの令嬢だろうということは、すぐに気が付いたようだ。彼女のことはティーエンには話したのだが、さすがの彼も驚いていた。
あれから三日が経つが、イケメン野郎は戻ってくる気配がない。ヴァシュロンはパルテックと共に、毎日朝から晩まで俺の屋敷にやって来ては、俺やレークの作る食事をシゲシゲと眺めている。合間に、これは何? などと食材や調味料のことを聞いてくる。
パルテックはパルテックで、日がな一日ヴァシュロンの動きを眺めながらニコニコとしている。彼女はヴァシュロンの家庭教師で、もう10年以上一緒にいるらしい。今はにこやかな笑みを湛える上品なお婆さんだが、ヴァシュロンが子供の頃は、それはそれは厳しい人だったのだそうだ。実は若い頃は高名な魔導士だったそうで、本人は謙遜していたが、火魔法と回復魔法はかなり上位のものを扱うことができるらしい。
「本当に、ご領主様には、何とお礼を申してよいのやら……。一体、なぜ、敵国である私たちに、そこまでの御慈悲をくださりますのでしょうか?」
ヴァシュロンがワオンに懐いてもらおうと、必死にソメスの実を与えようとしている光景を見ながら、パルテックはそんな言葉を俺に向けて呟いた。彼女が不思議に思うのも無理はない。着の身着のままでこの村にやって来た二人のために、衣服を村長の屋敷に届け、さらに、生活に必要な品物をすぐに用意したのだ。さらにはウォーリアが二人の服を作ると言ってくれて、現在、その作業に取り掛かっているのだ。通常では想像すらできない好待遇を受けていることになるのだ。
「何となく、ですかね」
「はあ……」
わかったような、わからないような表情を浮かべながら老婆は返事をする。
「いや、何となく、ですが、あなたがいてくれた方が、彼女が過ごしやすいのではと思ったのですよ。きっと、一人でこの村にいるとなると、どうしても寂しくなるでしょうから。それに……あなたはこの村を出て国に帰ると、二度と彼女の前に現れなくなるのではと思ったものですから……」
相変わらず、彼女はニコニコと笑みを浮かべている。そして、聞き取れるか、聞き取れないかの小さな声で、誰に言うともなく呟いた。
「もう、私は、そろそろ隠居せねばならぬ年ですから……」
「隠居生活なら、この村で送ってもらって、結構です。この村に住んでいただいて、ウチの屋敷にいるもう一人の姫の、行儀作法を叩き直して欲しいのですよ」
その言葉に老婆はケラケラと笑う。
「ご領主は面白いお人ですね。デオルド殿が帰ってくるまでに、勤まるでしょうか?」
「ええ、おそらくなかなかここには来られないでしょうから、大丈夫だと思います」
「そういえば!」
突然ヴァシュロンの声が響き渡る。彼女はスタスタと俺の許にやって来て、ずいっと顔を近づける。
「デオルドに言っていた、何とか……何とかっていう食べ物、あれは何よ?」
「ひっ、姫様……。そのように……」
慌てるパルテックを横目で見ながら、俺は彼女にゆっくりと口を開く。
「君みたいな食べ物さ」
「どういう意味よ!」
「ボリュームがでかくて、大口を開ける食べ物なんだよ」
その言葉に彼女は口を閉じて、プイっと横を向いた。




