第百二十五話 つよがり
「姫様、その必要はございません」
目の前のイケメンは、そう言い切った。だが、そんな返事で彼女が納得するわけはない。
「どうして? 何も知らない私が結婚したら、我が家はいい物笑いの種になるわ」
「そんなことはございません。ご父君の威光は国中はおろか、近隣諸国まで轟いております。よもや、その一人娘であられます姫様を、どうして物笑いの種に致しましょうか」
そう言って彼はフフフと笑う。だが、そんなデオルドにヴァシュロンはさらに言葉を続ける。
「では、お父様がお亡くなりになったとしたら、どうかしら? 何も知らないバカ女と嘲りを受けないかしら? お爺様の愛妾だったピルケ様のように」
その言葉にデオルドは一瞬、目をキラリと光らせた。だがすぐに元の柔和な表情に戻った彼は、あきらめたような口調で、ヴァシュロンに問いかけた。
「では、姫様はこの小さな村で一体何を学ぶと言われるのですか?」
彼女はしばらく沈黙していたが、やがて、落ち着いた声で、静かに口を開いた。
「ねえ、デオルド。そして、パルテック。あなたたちは、自分で食事を作ったことがある?」
彼女の問いかけの意図がよくわからないといった表情で、二人は顔を見合わせている。
「ここの領主は、自分で食事を作るのよ? すごいと思わない? 私はそんなことはできないし、お父様も、お母様もお出来にはならないわ。そして、デオルドもパルテックも。私は今まで料理はコックがするものだと思っていたわ。でも、ここでは領主が料理をしている。領主が料理をしてはいけないなんていう法は、インダークにはなかったはずだわ。どうしてみんな、料理をしないの? きっとそれは美味しく作ることができないからよ。難しいと思っているからよ。でも、意外と料理って難しくないかもしれないわ。だって、焼いた卵をパンに挟んだだけで、とても美味しいんですもの。あれなら私だって作れそうだわ。それに、このお屋敷で出された野菜も、卵も、お肉も……全てが帝国で出されたどんな料理よりも美味しいのよ? きっとこの村の農民たちが作る野菜や卵が帝国の作り方とは違うんだわ。私はそれを知りたいと思ったの。そうした知識を身に付けることができれば、私は、蔑まれない女性になることができると思うのよ。わかる?」
彼女の話を、デオルドはじっと聞いていたが、やがてフフンと鼻を鳴らしながら、再び諭すようにして話し始めた。
「農民の作る野菜や卵のことを知りたい? 料理? ご冗談を。農民などは牛馬も同じです。日々、雑穀を食している者どものことなど、知る必要はありません。料理なども下賤な者のする仕事です。手を汚しながら食材を料理する……。そのような汚れ仕事は、姫様のような方がなさることではございません。御身が汚れてしまいます」
「おいおい、お前正気か?」
「何ですって?」
思わず本音が口を突いて出てしまった。あ、ヤバイ、イケメンが明らかに怒っている。取り敢えず、冷静に話をすることにしようか。
「あまり、農民をバカにしない方がいいんじゃないかな」
「ハッ、何を言われるのかと思えば……。それは、こちらのような小さな村では、農民たちが多いでしょうから、情などをお持ちかも知れませんが……。所詮、彼らは作物を作るためだけに生まれてきた者どもです。そのような者たちのことを知って、何になると言うのです?」
「いやいや。あなたが今まで生きてこられたのは、そもそも農民たちが作った食べ物を食べてきたからじゃないですか。農民たちがいなくなれば、あなたは間違いなく生きてはいけません。農民たちこそ、国の礎かと思うのですが……」
俺の言葉に、彼はヤレヤレといった表情を浮かべながら首を振っている。どうやら、俺と話し合う気はないようだ。
「こんなことを申し上げては甚だ不躾ですが……。大人しく姫様をお返しになった方がよろしいかと思います」
「いや、俺は別に引き留めているわけじゃないですよ。こちらのお方がこの屋敷においでになるのですよ。私は一度、お引き取りを願っています。そうですよね?」
俺は老婆に確認の意味を込めて、視線を向ける。彼女は無言のまま頭を下げた。
「こう申し上げては何ですが、我がインダーク帝国が総力を挙げて軍を動かせば、この村など一日と持たずに灰にされるでしょう。そうならないためにも……」
「デオルド、黙って!」
突然ヴァシュロンが話に割って入る。彼女は鋭い眼差しをイケメンに向けている。
「この村は神の加護を受けているのよ? そんな場所に大軍で攻め込む? 灰にする? 帝国に天罰が下るようにするの、あなた? それにこの村には仔竜がいるのよ? 親竜の怒りに触れたら、どうなると思うの?」
「……誠に申し訳ございません。私の言葉が過ぎました」
そう言って彼は深々と頭を下げた。でも、コイツは全然反省していないな。彼の慇懃な態度を見て、俺はそう直感した。
「ですが姫様、それとこれとは別でございます。姫様には、何としてもお戻りいただかねばなりません。そうなされませんと、この村が滅ぶことになります」
「さっきも言ったけれど……」
「いいえ、兵を向けることは致しません。兵を向けずとも、この村を滅ぼす手立てはいくらもある、というわけです」
「まさか、去年のように毒を広めるというんじゃないだろうな?」
そういえば、この国がこんなに混乱しているのも、インダーク帝国が農薬と称した毒を持ちこんだことに始まるのだ。そのお蔭でどれだけの人間が迷惑を被っているのか、この男にはわかっているのだろうか? そんなことを考えていると、目の前の男はニヤリと笑みを浮かべながら、ゆっくりと口を開いた。
「まあ、ご想像にお任せいたします」
「また作物に何かしようと考えているのなら、俺は許しませんよ?」
「ほほう。それは随分と威勢のいいことですね。許さない? どうなさるおつもりでしょうか? まさか、我が帝国を攻めるとでもいうおつもりですか? それは面白いお話ですね。やれるものなら、やっていただいて結構ですが、あなた様はむしろ、そのような強がりを言わず、大人しく姫様をお返しなるのがよろしいと思います。私とて、手荒な真似は致したくございません」
その言葉を聞いて、ヴァシュロンが再び声を上げる。
「あなた、デオルドにこんなことを言われて黙っているの? 悔しくないの? 戦いなさい! 戦うのよ!」
何で俺に向かってキレているんだ? てゆうか、アンタはどっちの味方なんだ……?




