第百二十話 ごめんなさい悪かった
次の日、俺の家に押しかけてきた少女――ヴァシュロンは、滾々と眠り続けた。夜中に追加で作ってやった特大の卵焼きをペロリと平らげた彼女は、しばらくするとテーブルの上でうつらうつらとし出した。仕方がないので彼女には俺のベッドを貸してやり、俺はダイニングの椅子に腰かけて、大きなため息をついた。
「それにしても、自分の国から逃げてくるかな? 他に行くところはなかったのか?」
「あるわけないですよ。だから国境を越えてこの屋敷まで逃げてきたのですよ」
「あの様子じゃ歩いて来たのかな? かなりの時間がかかったろうに」
「いえ、そんなことはありませんよ」
クレイリーファラーズは、ヤレヤレといった表情を浮かべながら首を振っている。
「あの子の履いていた靴ですが、あれはマジックアイテムです」
「え? そうなの?」
「あの靴には回復魔法の効果が付与されているので、どれだけ歩いても疲れることはありません。ちょっとでも傷がつくと治癒してくれますので、マメができてその痛みで歩けなくなることはありません。さすがは皇帝一族の娘ですね。装備品がなかなかのものです。ちなみに、あれを売ると、数年は遊んで暮らせます」
「マジか……」
呆然とする俺に、クレイリーファラーズはさらに質問を畳みかけてくる。
「で、どうするのですか?」
「どうする……とは?」
「あの女の子を、このままこの屋敷に置くのですか?」
「う~ん」
「むしろ、今回こそ、人質に取った方がいいと思いますよ?」
「いや、さすがにそれは……」
「平和な暮らしがお望みなのでしょう?」
「まあ、そうですが」
「それならば、あの子を人質にするのが一番手っ取り早いです。あの子の父親に一筆書かせるのです。この村を、リリレイス王国に侵攻しないと。それさえ手に入れられれば、それをあの変態に渡せばいいのですよ。変態らしく、人が考えもつかないような方法で上手く運ぶはずですから」
「いや、でも、たとえ上手くいったとしても、あの子は結婚させられてしまうのでしょ?」
「それは、私たちの知ったことではありません。……あ、もしかして、好きになっちゃいましたか? だったら、今から……どうです?」
「バカか、お前は」
「逆に、あの子をあなたの嫁にするというのもいい手段だと思いますよ。人質を取るより効果的ですからね。いいじゃありませんか、あの子は望んだ人と結婚できるし、あたなもやっとチェリーから卒業できますから」
「そういえば……」
俺の胸に一つの疑問が沸き起こる。そうだ、考えてみれば、おかしな話なのだ。なぜ今まで気づかなかったのだろう?
「あの……そう言えば、俺って性欲的なものが一切ないんですよ。女性を見てもムラムラしないというか……何なのでしょうかね、これ」
前世の頃は、それこそ妄想の塊だった。頭の中は常に性的な欲望だらけだった。どうすればモテるか? どうすれば女の子と付き合えるか? そんなことばかりを考えていた。こう言っては何だが、エロ偏差値で言えば、俺は間違いなく70は超えている自信があった。だが、今はどうだ。そういったエロいことに対しての興味の度合いが極端に低下している気がする。まさに、性欲が減退しているのだ。これは忙しいというのが理由なのだろうか。それとも、ネットがないために、エロい漫画や動画を見ていないためだろうか? そんなことを考えながら首をひねっていると、クレイリーファラーズが、さらりと俺に告げる。
「それはそうです。あなたの性欲を抑えていますから」
「え? どういうこと?」
「基本的に天巫女には相手の欲望を押さえる能力があるのですよ。考えてもみてください? 19歳の男の子と一緒に居なくてはならなかったのですよ? 19歳の男子って、性欲の塊みたいなものじゃないですか? そんな男の子の前に、可愛い天巫女ちゃんが現れてしまったら、確実に襲われるじゃありませんか。おそらく、お手洗いにも行かせてもらえずに、毎日何度も何度も求められ続けるかもしれないじゃないですか。それどころか、興奮のあまりに、もっと変態的なプレイを強要されることになる可能性だってあるわけじゃないですか。だから、天巫女の力で、性欲を抑えているのです」
「本題に入る前に、一つだけ言っておきます。エロ動画とエロ漫画の見過ぎです。現実はそこまでではないと思います。俺も経験ないから何とも言えんが、男として、あなたには、たぶん、おそらく、きっと、確実に、いや、100%の確率で性の対象としては見ないでしょうから、その点は安心していいと思います」
「何だか言い方がイラっとしますけれども、そんなことはありません。男は野獣です! ああ、怖い怖い……」
目を閉じて、自分を抱きしめるようにして首を振っている。何故だろう? 何故こんなにイラッとするのだろう? 俺のすべての細胞が、この天巫女をブン殴れとテレパシーを送ってくる。
「言っておきますけれど、私といる限り、あなたの性欲は戻りませんからね」
そんなことを毅然と言ってのけるクレイリーファラーズ。それはそれで、ひどくないかい?
「え? じゃあ、あなたがいなくなると性欲は元に……」
「そうですねぇ……。あなたにはかなりの力を使って性欲を押さえていますから、私と一週間も遠くに離れれば、元に戻るでしょうね」
その言葉を聞いて、俺はパシリと膝を打つ。
「よし、じゃあ結婚しよう!」
「ええっ! まさか!」
「結婚して、俺と彼女でこの屋敷で暮らすことにしよう。と、いうことで、あなたはここを出ていってくださいね? それはそうでしょう。新婚夫婦の屋敷に、どうしてあなたがいるのですか? おかしいでしょ? わかったら、すぐに新居を見つけてください? もちろん村の外で。そうなると俺は、普通の男の子に戻れるわけですよね?」
クレイリーファラーズは無表情になって俺を見つめていたが、やがて小さな声で呟いた。
「……ごめんなさい」
「何だって?」
「ごめんなさい!」
ぶ然とした表情のクレイリーファラーズ。それから俺たちは、部屋で寝ている少女のこれからの対応を話し合うのだった。




