第百十九話 帰還
少女は、目を爛爛と輝かせながら、俺たちを見つめている。月明かりに照らし出されたその端正な顔立ちが、実に不気味な様子を醸し出している。彼女は全力で扉を叩き続けていたためか、ハアハアと肩で息をしている。その呼吸する音が屋敷の玄関に響いていて、これも不気味さに拍車をかけている。
「また君か。何の用だい?」
俺はビビっていることを悟られまいと、必死で平静を装う。そんな俺から彼女は一切目を離さずに、睨み続けている。どうやら息を整えようとしているのか、少女は呼吸を落ち着けて、ゆっくりと俺に向けて話し出した。
「匿って……欲しいの」
「匿うだぁ!?」
「どこでもいいわ。召使の部屋でも、衣裳部屋でも、とにかく私を匿ってほしいの」
「理由を聞いても?」
「結婚させられるからよ」
「へ?」
「私、バーリントン王国の、クレイドル公爵と結婚することになったのよ。だから、逃げてきたのよ」
何だ? このテンプレ全開の流れは? その流れに従えば、俺はこの女の子を匿って、追っ手を追い払うことになるのか? で、ステキ! 抱いて! って流れになって、この子と結婚……。ハーレム生活の始まり始まり……ってか? イヤだ! 絶対にイヤだ! どこかの物語みたいに、嫁を四人も五人も抱えて、幸せ全開ライフ。子供も生まれてさらに幸せが加速しています……みたいな小説のような流れになど、誰がなるかってんだ! 俺は俺の幸せのために生きたいのだ。本当に、これ以上の面倒ごとに巻き込まれるのはゴメンなのだ!
俺はそんなことを考えながら、隣のクレイリーファラーズに視線を向ける。彼女はチラリと俺を見ながら、面倒くさそうに口を開いた。
「バーリントン王国のクレイドル公爵は、国王の妹のお婿さんですね。軍の出身ですが、かなりの敏腕政治家として名を馳せています。現在のバーリントンは、この公爵一人が担っていると言ってもいいでしょう」
「いいじゃないの! 玉の輿……とは言わないかもしれないけれど、いい結婚じゃないか」
「イヤ、あんな男、絶対にイヤ!」
「あのねぇ……何で嫌がるかなぁ」
呆れる俺に、クレイリーファラーズが小さな声で囁く。
「クレイドル公爵は、43歳なのです」
「よ……43歳? オッサンじゃないか。と、いうことは、サークル系の方ですか?」
「まあ、普通は14歳の女子に、43歳の男が求婚しませんよね?」
「……しないと思う」
そんな会話を交わす俺たちに、少女は悔しそうな表情を浮かべながら、口を開いた。
「結婚相手がお父様より年上なんて……。イヤだわ。私は、絶対にイヤだわ!」
ダン! と足を踏み鳴らしながら、彼女は大きな声を上げる。取りあえず、玄関での話も何だということになり、俺は彼女をダイニングに案内する。テーブルの椅子に腰かけた少女は、懐かしそうな表情を浮かべながら、屋敷の中を見廻している。
「もう来られないかもと思っていたけど、望めば叶うものね」
満足げな表情を浮かべながら、彼女は頷いている。
「この屋敷に戻って来たいと思っていたのか?」
「当り前よ、あなたと結婚しようと思っていたんだから。旦那様の家で住むのは、当然でしょ?」
「じゃあ、裸になりに来た、というわけですね?」
すかさず、クレイリーファラーズが、カマボコ型の目をしながら聞いて来る。だが、彼女は毅然とした態度で言い切る。
「私は、裸になんかならないわ!」
「じゃあ服を着たままで?」
「服を着たままでなら、いいわ」
「ふっ、服を着たままですって! 大胆だわ~」
このバカ天巫女は何を想像しているのか、腹を抱えて笑っている。やめなさいよ、もう。ほら、相手の女子が、軽蔑の眼差しを向けているじゃないか。
「ウッ、受けるわぁ~。この子に是非、『〇〇〇〇日記』や、『イケない〇〇授業』を見せてみたいわぁ。あと、ちょっとマニアックなところで、エン……ふぐっ……ふぐっ!」
俺は手で彼女の口を押えていた。年端も行かない女の子の前で、何てことを言いやがるんだ。どっちも有名なエロ動画じゃないか。てゆうか、何でこの天巫女は、こんなどうでもいいことを知っているんだ?
「何をするんですか! あなたねぇ!」
「ゲスいエロ動画の話をするんじゃないよ!」
「あなたも知っているとは……スケベですねぇ」
「バカ野郎! それはお互い様だ! 星キララは高校生時代の男子全員が一番お世話になった女優だ!」
クレイリーファラーズが、おおっ! コイツ、カミングアウトしやがった、という表情を浮かべている。イラッとする。この国って暴力はどうなっているのだろうか?
グッ……グゥゥゥゥ~。
俺たちの会話を遮るように、お腹の鳴る音がする。見ると、目の前の少女が顔を赤らめながら、必死でお腹をさすっている光景が目に入った。
「何だ、腹が減っているのか?」
「お腹なんて、減っていないわ!」
「そうか、それならいい。ところで、昨日は何回食事を摂ったんだ?」
俺の問いかけに彼女は、一瞬答えに詰まったが、やがて少女は、はっきりした口調で返答した。
「昨日は……食べてないわ!」
「そうか」
俺はため息をつきながら立ち上がり、キッチンに行く。そして、卵を四つ取り出し、それをボウルに割ってかき混ぜる。同時に、釜の中に魔法で火を起こし、油を引いたフライパンを載せる。程なくして、フライパンが温まり、そこに溶いた卵を入れ、形を作っていく。最後に塩を加えると、そこには、我ながらうまくできた大きなオムレツが出来上がった。
「腹減っているだろう? 食べな?」
彼女はしばらくオムレツをじっと見ていたが、やがてスプーンを取り、無言でそれを口に運んだ。少女は一切表情を変えなかったが、皿にあったオムレツは見る間に無くなっていった。
全てを食べ終えた彼女は、鋭い眼光のまま、俺を睨みつけた。
「ねえ、もう一個、作ってよ?」
屋敷の中に、俺の乾いた笑い声が響き渡った。




