第百十八話 インダークからの工作
兄さんマジっすか? 何でやらなかったンスか?
そんな心の声が聞こえてきそうな程に、俺の目の前に座る二人の兵士は、目を丸くして驚いていた。
「……何か?」
「いっ……いえ……あの……その……。今のお言葉を、そのままシーズ様にお伝えして、よろしいでしょうか?」
何だか、その言い方が気になるが、帰してしまったものは仕方がない。今更、もう一度来てくれとは言えないだろう。そんな思いもあって俺は彼らに、そのまま伝えて構わないと答える。それを受けて彼らは、足早に俺の屋敷を後にしていった。
彼らを見送ると、それと入れ替わるようにして、ティーエンたちがやってきた。どうやら、村長の畑を、避難してきた人々に割り当てる作業が終了したようだ。俺はその報告をじっと聞き、一切の反対意見を言わずに賛成した。
「よっ……よろしいのでしょうか?」
「何がでしょうか。皆さんで話し合って決めたのでしょう? みんなで時間をかけて、話し合って決めたことに対して、どうして俺が反対できますか。一度、やってみましょう。ダメなら、次の手を考えればいいのです」
俺の言葉に皆、顔を見合わせていたが、やがて、それぞれの持ち場に戻っていった。
広大な村長の畑をどうするのかは、ちょっとした俺の悩みのタネだった。彼に従っていた農民の半分以上が、その土地を捨てて逃げていた。その結果、畑は雑草が生えて無残な姿になろうとしていたのだ。避難してきた人々のなかで、どれだけの人が農業を希望するのかが読めなかったのだが、意外に手を挙げた人が多く、希望者には全員に畑が行き渡っていた。
最後まで意見がまとまらなかったのが、毎年秋に徴収する税のことだが、これは敢えて、これまで通りの税率にしていた。かなりの激論を費やして導き出した結果だ。俺はそれを尊重しようと思う。もし、昨年のように大凶作となるのなら、そのときは俺も考えるつもりだ。
そんなこんなで、さらに一週間が経った。俺の許には、兄・シーズからの書簡が届いていた。さぞやご立腹のことだろうと、覚悟を決めて手紙を広げてみたが、そこには意外な言葉が書かれてあった。
『親愛なるノスヤへ
報告は聞いた。まさかインダークの姫、しかも軍総司令官の一人娘がお前のところに訪ねてくるとは驚きだった。王都の貴族たちの中には、お前が空手で姫を帰したことに対し、罪に問うべきだという意見もあるが、それは気にしなくていい。むしろ、よくやったと私は思っている。これで、我々はインダークに対して敵意がないことを示すことができたからね。それでも敢えて我が国を攻めるというならば、インダークは大変不利な状況の中で戦争をしなければならなくなるからだ。おそらくヤツらは、戦争の大義名分を手に入れるために、様々な工作を仕掛けてくることが予想される。何かあれば、すぐに知らせて欲しい。また、使者を遣わすので、困ったことなどがあれば、彼らに伝えて欲しい
シーズ・ヒーム・ユーティン』
俺はため息をつきながら、手紙を元の通りに戻す。何となく、兄貴は俺の味方になっていることを感じる内容ではあったが、これから来るであろうインダーク側の工作については、何とか自分で対応しろという意図がよく見えて、俺は暗鬱とした気持ちになる。今度はどんな工作を仕掛けてくるのか……。精神をガリガリに削られるようなのはゴメンなんだけれどな……。そんなことを考えながら、俺は立ち上がり、勝手口から外に出た。
相変わらず村は雪に閉ざされている。この雪が解けたら、村中の畑が色づくのだ。早く春が来ないかと思いながら、この平和な村をいつまでも守っていきたいと心に思うのだった。
取りあえずシーズからの返信については、ハウオウルに相談したところ、インダークがすぐに動くことはなかろうということで、少し胸をなでおろした。冬の間は国境が雪に閉ざされているので大軍で攻めるのは難しく、工作を仕掛けようとするとしても、この真冬ではなく雪が解け切ってからだろうということだった。それまではゆっくりと敵の出方を見極めればよいとのことだった。
だが、ハウオウルの予想は見事に外れ、問題はその夜に起きた。
「きゅっ。きゅっ。んきゅきゅ?」
深夜、ワオンの鳴き声で目を覚ますと、月明かりの光が窓から差し込んできていた。俺は眠い目を擦りながらワオンを見る。彼女はキョロキョロと部屋を見廻していたが、やがて俺に抱きついて来た。一体何事だと彼女の話しかけようとしたとき、屋敷の玄関の扉がけたたましく叩かれた。
ドン! ドン! ドン! と、どうやら力任せに叩いているようだ。これは村の人間ではない。村の者ならば、深夜に緊急事態が起こったときにはまず、勝手口で俺の名前を大声で呼ぶ。一瞬、シーズからの緊急の使者かとも思ったが、彼らとて、無言で扉を叩くことはない。いつものように、「ノスヤ殿の屋敷はこちらか!」くらいのことを言いながら扉を叩くはずだ。
俺はワオンを抱っこしながら部屋を出る。すると、ちょうどクレイリーファラーズが起きたところだった。彼女は寝ぼけ眼のまま、フワリと床に降りてきた。
「うるさいですね~。誰です、こんな夜更けに?」
「村人でも、シーズからの使者でもなさそうですね。……まさか、神様からの?」
「そんなわけありません。ジジイはバカでスケベでクズですが、深夜に、こんなに狂ったように扉を叩いたりはしませんよ」
俺は玄関に出る。相変わらず扉は大きな音を立てている。俺はその扉に向かって大きな声で叫んだ。
「誰だ! 盗るものはないから鍵はかけていない! 開けて入れ!」
しばらくすると、玄関の扉がゆっくりと開く。
そこに立っていたのは、先日帰国したインダーク帝国の姫、ヴァシュロン・リヤン・インダークだった。




