第百十五話 My name is ……
また、インダーク帝国か……俺は心の中で唸りながら、目の前の少女を眺めた。そして、ゆっくりと、クレイリーファラーズに視線を向ける。
……彼女は、全くの無表情で、まるで機械の如く、大学芋を口の中に放り込んでいた。結構な量があったのだが、いつの間にか半分くらいに減ってしまっている。知らんぞ、晩飯が食えなくっても。
少女はスッと立ち上がり、両手を腰に当てたまま、ズイっと顔だけを俺の方に投げ出す。
「で、どうなのよ、返答は?」
「あの……インダーク帝国と言ったかな? もしかして、俺と結婚するために、この村に来たのか?」
俺の言葉に、彼女は一瞬キョトンとした表情を浮かべたが、すぐに何かを思いついたような表情に変わる。そして、両目を左右に揺らし始めた。
「こっ……ここは……インダークじゃなかったわね……」
「君は一体、何者だ? 何をしにこの村に来た?」
俺の問いかけに、少女はしばらく目を見開いて固まっていたが、やがて、ふぅ、と息をついて、あきらめたような表情を浮かべた。
「……会いに来たのよ」
「会いに? 誰にだ?」
「ここの領主様よ」
「はぁ? 何言ってんの、アンタ?」
俺の言葉が癪に障ったのか、彼女は怒りの表情を浮かべながら、言葉を続ける。
「だって、あのノーイッズ様が何もできないで帝国に帰って来たのよ!? そんなこと、あり得ないわ! あの、鉄の女と言われるノーイッズ様が、何の成果もなく帝国に帰参するなんて、聞いたことがないわ! でもそれは、事実だって言うじゃない。だから興味を持ったのよ。ノーイッズ様を追い返した、この村の領主様に」
そこまで言うと彼女は、俺を睨みながら、再び席に座る。そして、じっと俺の目を見つめながら、ゆっくりと口を開いた。
「あなたには責任を取ってもらわないといけないけれど、それよりも、この村の領主様に会わせて欲しいのよ。どうかしら、私と取引をしない? あなたの責任は問わないことにするわ。その代り、あなた、ここの領主様に、私と会って下さるように言ってもらえないかしら?」
「あの……それ、本気で言っているのですか?」
「本気に決まっているじゃない!」
あまりのブッ込みように、俺は返す言葉が見つからず、思わずクレイリーファラーズの方向を見る。彼女も、打つ手がないという表情を浮かべながら、肩をすくめながら首を左右に振っている。
「で、どうするのよ? 会わせるの? 会わせないの?」
「あの……大変申し上げにくいのですが……」
「何? 会わせないって言うの!? じゃあ、あなたには責任を取ってもらわないといけないわ! まさか、このリリレイス王国では、女性を手籠めにしてもいいという法がある、なんて言うんじゃないでしょうね? 私だって、この国のことはそれなりに調べてきているんだから、そんな言い訳をしても無駄よ!」
そこまで言うと彼女は、再び顔を前に突き出して、俺を睨みつけた。
「あなたに、ちょっとでも紳士の心があるのなら、私を領主様の許に案内しなさい!」
俺を目を閉じて、天を仰ぐ。しんどい、面倒くさい、これ以上関わりたくない……。まさか、これもインダークの作戦か? だとしたら、大成功だ。俺の心は折れかけている。勘違いするなよ? 「俺」と「折れ」をかけているわけじゃないぞ? まあ、そんなことはどうでもいい。頼むから、もう勘弁してもらえませんかね?
『早く追い払いましょうよ、この子』
不意にクレイリーファラーズの声が頭の中に聞こえる。彼女は、このやり取りには飽きましたと言わんばかりに、頬杖を突きながら、ダルそうに俺を見ている。コイツも後で、尻をブッ叩いてやろうか……。一切の下心のない男が、全力でやらかすお尻ペンペンがどれだけ痛いか、その身にとっくりと味わわせてやろうか?
そんなことを考えながら、俺は目を開ける。その瞬間、少女の顔が目に飛び込んできた。
「うわっ!」
驚いた俺は思わず仰け反って、危うく椅子から転げ落ちそうになる。一体、この女の子は何だって俺の顔に近づきたがるのだろうか。逆にこっちがドキドキする。
俺は素早く椅子から離れて、少女から距離を取る。何だか、さっきからこの女の子に振り回されてばかりだ。さすがにもう、この辺でシメなければならない。俺は覚悟を決めて、この少女に応対することに決めた。
「で? どうなのよ? 逃げてばかりいないで、何とか言いなさいよ!」
「この村の領主に会いたいんだな?」
「そうよ! さっきから、そう言っているじゃない!」
「なるほど。それならもう、会っているよ」
「え? どこで? まさか、ここに来る途中に会ったのかしら?」
「いや、そうじゃなくて」
「何よ」
「目の前にいる男が、この村の領主です」
「は? あなた、何を言っているの?」
「改めて、自己紹介を致します。このラッツ村の領主をするはめになっています、ノスヤ・ヒーム・ユーティンです。初めまして」
少女の目が徐々に開かれていく。そして、口もゆっくりと開いていき、最終的には、ポカンと驚いたような表情になった。それでも、それなりの可憐さは保っている。全力でおめかししても、かわいいという言葉をかけてもらえなかった、どこかの誰かさんとはえらい違いだ。
「ところで、あなたの名前は? どちらのお方ですか?」
俺の問いかけに、彼女は固まったまま返答することができないでいる。
「名前は? 木や石じゃないんだから、名前くらいあるだろう?」
「私は……」
そのとき、屋敷の扉が勢いよく開かれる音が響き渡った……。




